昨日 温泉に行く途中にある 宗功寺墓地に 立ち寄ってみました。
この墓地には、高校生の頃同級生と一緒に来た事が有りました。
墓地は綺麗に管理されていて 昔もこんなだったかなと思いました。
宗功寺墓石群
さつま町教育委員会資料より
この墓地は、江戸時代 宮之城郷の領主であった宮之城島津家の墓所で、
島津家本家 島津貴久の弟 尚久を初代とし、
墓地には、尚久の嫡男 忠長(2代)から14代久實まで
家族を含め 35基の墓石と 「島津久通祖先世功碑」が あります。
此処には、慶長の頃(1596~1615) 忠長が 京都妙心寺の末寺として
「大徳山宗功寺」を 創建しました。
お寺は、江戸時代末まで有りましたが、明治初めの廃仏棄釈で壊されました。
今ある墓石群が、当時の面影を残しています。
墓の形状は、祠堂型をした壮大な造りで 他に類を見ないと言われます。
台座には彫刻が施されています。
墓地中央には 5代久竹が 延宝6年(1678)に建立した 「島津久通祖先世功碑」が
あり、台座は亀跌となっています。
昭和50年に県指定史跡文化財に指定されています。
案内板
2代 忠長の墓石
14代 久實の墓石
墓地の中央にある 島津久通祖先世功碑
こんなところに 淡墨桜
岐阜の淡墨桜は有名ですが、まだ見た事ないので 今度此処で見ましょう。
2代 忠長の墓石
14代 久實の墓石
墓地の中央にある 島津久通祖先世功碑
こんなところに 淡墨桜
岐阜の淡墨桜は有名ですが、まだ見た事ないので 今度此処で見ましょう。
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