日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-07-06 08:47:32 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(319)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

つまりジェームス1世と改称して、イングランドと共にスコットランドも一緒に統治することとなった。このころからジェームス1世は教会の統治権を手中に収めようとする意欲をあらわにしだした。7年後の1610年国会の賛同を得て、英国国教会の監督政治をスコットランドにも取り入れようとした。しかし、スコットランド教会は強力な抵抗体制をとった。ジョン・ノックスの死後の教会の後継者となった、ノックスの友人アンドリュー・メルヴィルは、かつてジュネーヴで学び、カルヴァンの感化を強く受けた人であったために長老政治を固守し王と争い投獄された。(ここまで前回)

1572年11月のノックスの死後のその時代から1643~49年のウエストミンスター会議まで70年間の、スコットランド教会の歴史は、その争いは近い隣国イングランドの教会政治との葛藤であったといえる。イングランド国教会の政治の影響からスコットランドの長老主義制度をいかに守るかの争いに明け暮れたといっても過言ではない。とくにジェームス1世が両国を一つにする統治の1603年からは厳しいものになった。先に言ったようにノックスの後継者メルヴィル投獄がすべてを物語っている。彼はその後一時海外に逃れるが、すぐ帰国し1622年世を去るまで教会とともに戦った。彼の後継者 (つづく)


聖書研究

2015-07-06 08:45:04 | 大分中央ウィークリー

創世記21章15節である。「皮袋の水がなくなると、彼女は子供を一本の潅木の下に寝かせ、」という。ここでは「彼女は子供を一本の潅木の下に寝かせ、」とある。あたかもイシュマエルが16~17歳ぐらいの少年(16:16,21:5)であるとは思えない。幼児のごとくである。ロビンソン訳英へブライ辞書によると「子供」のへブライ語の原語の「イェレド」は、幼少からのいろいろな年代に用いられたとする。たとえば、創4:23「若者」と訳されている。 

従って、原語そのものの幅広い用い方によるのが原因のようである。「一本の潅木の下に寝かせ」の「寝かせ」というが、新改訳(1970)では「投げ出し」と訳している。この翻訳によると、疲れ果てた母親のハガルが少年の手を離して「投げ出した」とも取れるところである。とにかく翻訳上の問題のようであって、資料の違いの資料説による説明は困難である。 

16節である。「『わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない』といって、矢の届くほど離れ、子供のほうを向いて座り込んだ。彼女は子供のほうをむいて座ると、声をあげて泣いた。」という。ここの「矢の届くほど離れ」というのはヘブライ人たちの間での慣用句。遠くに眼の届く距離を言う。 

その距離のところまでハガルが離れたということは、何らかの特別な理由で息子のイシュマエルの方が体力を消耗していたと見るのが良い。瀕死の状態であったようである。離れたところからわが子の瀕死の状態を見る母親の苦しい心境をよく現わす、その距離であった。


牧 会 通 信

2015-07-06 08:40:00 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その8)(原 光訳 2000年、沖積舎)

◯他のものがわたしと連立つているか見究めようとでもするかのやうに、わたしのまはりを見まはしたが、もしやといふ思ひがすつかり消えてしまふと、

涙を溢れさして言つた、「そなたが才知の高さの故に、この暗黒の牢獄を通つて行くのなら、わたしの息子はどこにゐる?  なぜそなたと連立つてゐないのか?

わたしは答へた、「わたしは自身の力で来たのではなく、あすこで待つてゐられる方に導かれてきたのです、恐らくあなたのグイド(ダンテの親友)はあの方をみくびつてゐたやうですが。」

(ここまで前回 )

◯そのものの言葉と刑罰の性質で、すでにそのものの名が分つてゐたので、このやうに完全な返辞が出来たのだ。

するといきなり直立して叫んだ、「なんと言つた? ゐた、と? あれはもう生きてゐないのか? 温和な光があれの眼を照らしてゐないのか?」

答える前にわたしがすこしためらつてゐるのに気づくと、あのものは仰向きに倒れて、それきり姿を見せなかつた。(つづく)

 

◯2015年7月5日は、今年の第二十七主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、出エジプト記34章1~17節、その17節、「あなたは鋳造の神々を造ってはならない。」という。「鋳造」とは、偶像完全禁止のこと。 

写真は、去る6月24日の九州中会伝道委員会が八女伝道所を問安してきました。出席者は伝道委員2名権藤国光先生と南茂昭夫と応援教師枝松博展先生と会員5名の合計8名。