日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-07-14 00:26:38 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(320)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

1572年11月のノックスの死後のその時代から1643~49年のウエストミンスター会議まで70年間の、スコットランド教会の歴史は、その争いは近い隣国イングランドの教会政治との葛藤であったといえる。イングランド国教会の政治の影響からスコットランドの長老主義制度をいかに守るかの争いに明け暮れたといっても過言ではない。とくにジェームス1世が両国を一つにする統治の1603年からは厳しいものになった。先に言ったようにノックスの後継者メルヴィルの投獄がすべてを物語っている。彼はその後一時海外に逃れるが、すぐ帰国し1622年世を去るまで教会とともに戦った。彼の後継者(ここまで前回)

にロバート・ブルースがいる。彼は1576年ころメルヴィルの感化を受けて教職となった人物であり、その早い時代にはカペナント派の神学の学者として知られるが、後に優柔不断なジェームスⅠ世王の庇護を受けて1580年エディンバラで教会総会議長となって活躍し、そのとき、正式に長老主義教会の憲法を確定するが、後に、同じジェームス王によってエディンバラを逐われ、1631年世を去った。これらの指導者達によってスコットランドの改革教会はその後永く存続する教会となり、スイス以外の改革教会の中では最も深く民衆の生活に根を下した安定した教会となった。(つづく)


聖書研究

2015-07-14 00:24:58 | 大分中央ウィークリー

創世記21章16節である。「『わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない』といって、矢の届くほど離れ、子供のほうを向いて座り込んだ。彼女は子供のほうをむいて座ると、声をあげて泣いた。」という。ここの「矢の届くほど離れ」というのはヘブライ人たちの間での慣用句。遠くに眼の届く距離を言う。 

その距離のところまでハガルが離れたということは、何らかの特別な理由で息子のイシュマエルの方が体力を消耗していたと見るのが良い。瀕死の状態であったようである。離れたところからわが子の瀕死の状態を見る母親の苦しい心境をよく現わす、その距離であった。 

17節である。「神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。」という。「子供の泣き声」というが、これも幼い子供の泣き声のようであるが、そうではない。子供は子供でも少年の苦しみに耐えかねた鳴き声である。 

「神は子供の泣き声を聞かれ」という言い方は、「泣き声」が、ある種の求めであり、その要求を聞き入れられたという意味であろう。神の救済の業が始まったことを告げている。「あそこにいる」とは特定の場所ついての言葉ではない。彼の周りの状況を指している。彼がおかれている環境およびその状況は厳しいものがあったと思われる。救済の神としてのその働きは、新約聖書のイエス・キリストを予想しているというべきであろう。