(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その9)
◯そのものの言葉と刑罰の性質で、すでにそのものの名が分つてゐたので、このやうに完全な返辞が出来たのだ。
するといきなり直立して叫んだ、「なんと言つた? ゐた、と? あれはもう生きてゐないのか? 温和な光があれの眼を照らしてゐないのか?」
答へる前にわたしがすこしためらつてゐるのに気づくと、あのものは仰向きに倒れて、それきり姿を見せなかつた。(ここまで前回)
◯だが望んでわたしを立止まらせてゐた、もう一つの高潔な霊は、顔つきを変へず、頸(くび)を動かさず、脇腹を曲げもせず、
最初の言葉を続けて言つた、「戻る術(すべ)をよく学び取らなかつたとすれば、それはこの寝床以上にわたしには苦痛だ。
が、ここを統治してゐる女の顔が、五十回繰返して燃え立たぬうちに、その術がどんなに学び難いかそなたは知るだろう。(つづく)
◯2015年7月12日は、今年の第二十七主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、イザヤ書44章1~8節、その6節、「イスラエルを贖う万軍の主はこういわれる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。」と、「万軍の主」というが、これは神の創造の偉大さと栄光の輝きを現わす呼び名である。それゆえわれわれには畏れ多い威厳を想う思いが与えられる。
写真は、去る7月7~9日の札幌北一条教会で開催された大会伝道局理事会、窓側左、理事長・堤 隆(札幌北一条、牧師)、右、書記・斉藤修(磐田西、牧師)その他7名合計9名の理事たちが集まって協議した。