日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2015-05-04 23:17:53 | 大分中央ウィークリー

創世記21章6節である。「サラは言った。『神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。』」という。既述の17章17節「笑って」(資料J典)と18章12節「笑った」(P典)と均衡を保ちながら、ここE典によってのこの「笑い(イサク)」という言葉は、著者が改めて「イサク」の名の説明を試みている。 

この「笑いをお与えになった」の原文は、「笑いを造られた」である。この文章には、跡継ぎ「イサク」が神の干渉によって実現したことへのアブラハムとサラの側に深い反省を誘発させているのが見られる。その結果、神だけがなしうる恵みの業として、彼らを喜びへと誘い込むのであった。 

7節である。「サラはまた言った。『誰がアブラハムに言いえたでしょうサラは子に乳を含ませるだろうと。しかしわたしは子を産みました 年老いた夫のために。』」という。この時代といわずいつの時代も、不妊の女の悩みは深い。奴隷の側女に、その子イシュマエルを産ませたのも、その悩みが原因であった(16:2~4)。 

しかし、自分に子が生まれると、単純にその悩みがなかったかのように振舞う。いや振舞える。ここの「しかし」には、わたしたちは、サラの「嘲笑」が「喜びの笑い」に変わる大いなる発想の切替えを見ることができる。神の側では、神のご予定通りにたんたんと事が進むのである。神のご計画は単純ではないが冷静である。人間社会の神の歴史はかくの如くである。


牧 会 通 信

2015-05-04 23:13:34 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第9歌(カッコ内は筆子、その13)

◯入るなりぐるりと見まはした、左右に大きな平地が見え、激しい悲鳴と苛酷な苦痛に満ちてゐた。

 ロダノ河(仏蘭西のローン川)のよどむところ、アルリ(河畔の町)や、イタリヤを仕切りその境界を洗つてゐる、カルナロ湾の近くのポーラ(現在のイタリヤ領の南端にある町)では、

  さまざまの石の墓が全地をでこぼこにしてゐるが(伝説に言う、「一夜にして無数の墳墓出現した」と)、ここでもいたるところそんな風で、違つているのはここではずつと苛酷だつたことだ、

(ここまで前回)

◯石棺(はか)の間には火がばら撒かれてゐて、それで墓はみんなすつかり灼熱させられ、いかなる技術も鉄をそれ以上灼熱させることはできなかつた。

すべての墓の蓋が持上げられてゐて、拷問に苦しめられている悲惨なものたちにふさはしい、激しい悲嘆が発してゐた。

わたしは言つた、「師よ、これらの石棺(はか)の中に埋葬されて、悲痛な呻きを聞かせてゐるのは、いかなるものたちですか?」(つづく)

 

◯2015年5月3日は、今年の第十八主日。日聖協の「聖書愛読こよみ」は、詩編33編1~12節、その3節「新しい歌を主に向かってうたい~」という。わたしたちの日日の生活はすべて新しい。主にある恵みの一日。 

◯待望の県立美術館が去る4月24日開館した。写真は、初日、玄関広場風景(午後7時頃撮影)。


プロテスタントとカトリック

2015-05-04 22:37:37 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(309)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

(その翌日、彼はその僕と従者たちに礼を尽くした後、彼らに「熱心に神を畏れて生活し、キリストの信仰者は、まずその家庭において教育されねばならないことを熱心にすすめた。そのとき以来、彼は眠ることが多くなり徐々に不規則な日々を過ごすようになった。彼は日課としていた新約聖書のある部分と旧約聖書のある部分、とくに詩編を読み、また教会歴史のある重要な部分を読むことを習慣にしていた。そのうちに、側近の人々によってこれを中止するよう要請された。そうすると、今度は彼の愛する妻とその親しい側近Rバナタインに代読を頼んで、毎日、ヨハネによる福音書17章またエフェソの信徒への手紙のある部分とイザヤ書53章などを読むように求めもした。(ここまで前回)

さらに彼は自分の魂のためにはしばしば詩編を読んでもらい、慰めを受けていた。四日目、11月14日(水)、朝7時頃、彼はベッドから起き上がったので、側近たちは驚いて、静かに休むよう頼むと、彼は言った。「わたしは、今日は安息日だと錯覚していた。昨夜中、キリストの復活について瞑想し、それを語って、自分も慰められたいと考えていた。」と彼はなおも、キリストによって恵みと祝福を追い続けていたといえる。17日(土)には、エディンバラ教区の主な教職たちその他の人々をベッドの周囲に集わせ「わたしの最期(つづく)

 


聖書研究

2015-05-04 21:55:53 | 大分中央ウィークリー

創世記21章5節である。「息子イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳であった。」という。かつて、アブラハムに「男の子を与えよう」神が告げられたとき、「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』」(17:17)。 

また、サラも同じように「笑った」。今度は三人の旅人が立ち寄ったときに、彼らの一人がアブラハムにいった。「~あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」と。それを盗み聞きいた彼の妻サラが「ひそかに笑った」と。そのはずで、サラは「主人も年老いている」という(18:12)。それをここでは「百歳であった」のに「息子イサクが生まれた」とある。イスラエルの民の起源が、神の介入によってのみ可能であったとの主張である。 

6節である。「サラは言った。『神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。』」という。上述の17章17節「笑って」(資料J典)と18章12節「笑った」(P典)と均衡を保ちながら、ここE典によってのこの「笑い(イサク)」という言葉は、著者が改めて「イサク」の名の説明を試みている。 

この「笑いをお与えになった」の原文は、「笑いを造られた」である。この文章には、跡継ぎ「イサク」が神の干渉によって実現したことへのアブラハムとサラの側に深い反省を誘発させているのが見られる。その結果、神だけがなしうる恵みの業として、彼らを喜びへと誘い込むのであった。


牧 会 通 信

2015-05-04 21:32:23 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第9歌(カッコ内は筆子、その12)

◯それから穢(けが)れた道を引返したが、わたしらには話しかけず、前にあるものと別のことにたいする配慮に、

  せきたてられてるもののやうに見えた。神聖な言葉のすぐ後なので安心して、わたしらは門の方へ歩みを進めた。

いかなる争ひもなく中に入つたが、このやうな城塞が閉込めてゐる状態を、見究めたくてたまらなかつたわたしは、ここまで前回)

◯入るなりぐるりと見まはした、左右に大きな平地が見え、激しい悲鳴と苛酷な苦痛に満ちてゐた。

  ロダノ河(仏蘭西のローン川)のよどむところ、アルリ(河畔の町)や、イタリヤを仕切りその境界を洗つてゐる、カルナロ湾の近くのポーラ(現在のイタリヤ領の南端にある町)では、

  さまざまの石の墓が全地をでこぼこにしてゐるが(伝説に言う、「一夜にして無数の墳墓出現した」と)、ここでもいたるところそんな風で、違つているのはここではずつと苛酷だつたことだ、(つづく)

 

◯2015年4月26日は、今年の第十七主日。日聖協の「聖書愛読こよみ」は、ローマ3章9~22節、その9節「わたしたちには優れた点があるのでしょうか。」と。その答えは「全くありません」です。これには誰でも驚く。人に何か優れているところがあるもの。しかし人と人の比較ではなしかしここでは、神の真実に比べるなら、どうかである。

 

◯写真は4月21日、小倉教会で開催の中会伝道委員会。右から南茂昭夫、権藤国光、名古屋義弘の教師委員と木村愛子長老旧委員。