日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2015-07-22 20:20:23 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その10)(原 光訳 2000年、沖積舎)

◯だが望んでわたしを立止まらせてゐた、もう一つの高潔な霊は、顔つきを変へず、頸(くび)を動かさず、脇腹を曲げもせず、

   最初の言葉を続けて言つた、「戻る術(すべ)をよく学び取らなかつたとすれば、それはこの寝床以上にわたしには苦痛だ。

   が、ここを統治してゐる女の顔が、五十回繰返して燃え立たぬうちに、その術がどんなに学び難いかそなたは知るだろう。

(ここまで前回 )

◯そなたがいつか温和な世界に戻るなら、わしに言つてくれ、なぜあすこの住民はあらゆる法律で、わしの一族に対してあんなにも残酷なのだ?」(「アルビア河」1260年9月有名なモンタベルナの古戦場)

わたしは答へた、「アルビア河を真つ赤に染めた、あの破壊と大殺戮が、わたしらの寺院であのような祈祷をさせてゐるのです。」

するとあのものは溜息をつき、頭を振り動かして言つた、「わたしだけが闘つたのではない、わしは理由もなく他のものたちとともに盲動したのでもない。(つづく)

 

◯2015年7月19日は、今年の第二十九主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、ダニエル書6章17~25節、その25節、「王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろともししの洞窟に投げ込ませた~」と。これはダニエルの勝利ではなく神の勝利という、数々の痛快な物語の一つである。

 

写真は、7月15日、改修された墓地を確かめた。墓標の下の地上に遺骨格納庫を持つ形に改められました(地下の格納庫は以前まま)。


プロテスタントとカトリック

2015-07-14 00:26:38 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(320)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

1572年11月のノックスの死後のその時代から1643~49年のウエストミンスター会議まで70年間の、スコットランド教会の歴史は、その争いは近い隣国イングランドの教会政治との葛藤であったといえる。イングランド国教会の政治の影響からスコットランドの長老主義制度をいかに守るかの争いに明け暮れたといっても過言ではない。とくにジェームス1世が両国を一つにする統治の1603年からは厳しいものになった。先に言ったようにノックスの後継者メルヴィルの投獄がすべてを物語っている。彼はその後一時海外に逃れるが、すぐ帰国し1622年世を去るまで教会とともに戦った。彼の後継者(ここまで前回)

にロバート・ブルースがいる。彼は1576年ころメルヴィルの感化を受けて教職となった人物であり、その早い時代にはカペナント派の神学の学者として知られるが、後に優柔不断なジェームスⅠ世王の庇護を受けて1580年エディンバラで教会総会議長となって活躍し、そのとき、正式に長老主義教会の憲法を確定するが、後に、同じジェームス王によってエディンバラを逐われ、1631年世を去った。これらの指導者達によってスコットランドの改革教会はその後永く存続する教会となり、スイス以外の改革教会の中では最も深く民衆の生活に根を下した安定した教会となった。(つづく)


聖書研究

2015-07-14 00:24:58 | 大分中央ウィークリー

創世記21章16節である。「『わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない』といって、矢の届くほど離れ、子供のほうを向いて座り込んだ。彼女は子供のほうをむいて座ると、声をあげて泣いた。」という。ここの「矢の届くほど離れ」というのはヘブライ人たちの間での慣用句。遠くに眼の届く距離を言う。 

その距離のところまでハガルが離れたということは、何らかの特別な理由で息子のイシュマエルの方が体力を消耗していたと見るのが良い。瀕死の状態であったようである。離れたところからわが子の瀕死の状態を見る母親の苦しい心境をよく現わす、その距離であった。 

17節である。「神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。」という。「子供の泣き声」というが、これも幼い子供の泣き声のようであるが、そうではない。子供は子供でも少年の苦しみに耐えかねた鳴き声である。 

「神は子供の泣き声を聞かれ」という言い方は、「泣き声」が、ある種の求めであり、その要求を聞き入れられたという意味であろう。神の救済の業が始まったことを告げている。「あそこにいる」とは特定の場所ついての言葉ではない。彼の周りの状況を指している。彼がおかれている環境およびその状況は厳しいものがあったと思われる。救済の神としてのその働きは、新約聖書のイエス・キリストを予想しているというべきであろう。


牧 会 通 信

2015-07-13 21:26:54 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その9)

◯そのものの言葉と刑罰の性質で、すでにそのものの名が分つてゐたので、このやうに完全な返辞が出来たのだ。

するといきなり直立して叫んだ、「なんと言つた? ゐた、と? あれはもう生きてゐないのか? 温和な光があれの眼を照らしてゐないのか?」

答へる前にわたしがすこしためらつてゐるのに気づくと、あのものは仰向きに倒れて、それきり姿を見せなかつた。(ここまで前回)

◯だが望んでわたしを立止まらせてゐた、もう一つの高潔な霊は、顔つきを変へず、頸(くび)を動かさず、脇腹を曲げもせず、

   最初の言葉を続けて言つた、「戻る術(すべ)をよく学び取らなかつたとすれば、それはこの寝床以上にわたしには苦痛だ。

   が、ここを統治してゐる女の顔が、五十回繰返して燃え立たぬうちに、その術がどんなに学び難いかそなたは知るだろう。(つづく)

 

◯2015年7月12日は、今年の第二十七主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、イザヤ書44章1~8節、その6節、「イスラエルを贖う万軍の主はこういわれる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。」と、「万軍の主」というが、これは神の創造の偉大さと栄光の輝きを現わす呼び名である。それゆえわれわれには畏れ多い威厳を想う思いが与えられる。

 

写真は、去る7月7~9日の札幌北一条教会で開催された大会伝道局理事会、窓側左、理事長・堤 隆(札幌北一条、牧師)、右、書記・斉藤修(磐田西、牧師)その他7名合計9名の理事たちが集まって協議した。


プロテスタントとカトリック

2015-07-06 08:47:32 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(319)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

つまりジェームス1世と改称して、イングランドと共にスコットランドも一緒に統治することとなった。このころからジェームス1世は教会の統治権を手中に収めようとする意欲をあらわにしだした。7年後の1610年国会の賛同を得て、英国国教会の監督政治をスコットランドにも取り入れようとした。しかし、スコットランド教会は強力な抵抗体制をとった。ジョン・ノックスの死後の教会の後継者となった、ノックスの友人アンドリュー・メルヴィルは、かつてジュネーヴで学び、カルヴァンの感化を強く受けた人であったために長老政治を固守し王と争い投獄された。(ここまで前回)

1572年11月のノックスの死後のその時代から1643~49年のウエストミンスター会議まで70年間の、スコットランド教会の歴史は、その争いは近い隣国イングランドの教会政治との葛藤であったといえる。イングランド国教会の政治の影響からスコットランドの長老主義制度をいかに守るかの争いに明け暮れたといっても過言ではない。とくにジェームス1世が両国を一つにする統治の1603年からは厳しいものになった。先に言ったようにノックスの後継者メルヴィル投獄がすべてを物語っている。彼はその後一時海外に逃れるが、すぐ帰国し1622年世を去るまで教会とともに戦った。彼の後継者 (つづく)