日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2015-12-10 20:49:15 | 大分中央ウィークリー

創世記22章3節である。「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」という。ここに、わざわざ「朝早く」とは、翻訳者が特別な時の到来と見ているようである。原文のヘブライ語を見ると、朝早くの「早く」がない。普通に「朝起きて」というよう言葉使いになっている。「そして、彼は、朝起きて、」といつものように普通に「起きた」というように読んだ方がいいのではなかろうか。 

ここでは、1節に「神はアブラハムを試された」ということばから始まっているから、彼は信仰の試練にあっている最中と見られる。従って、確かに彼の夜は、普通の夜ではなかったであろう。それにもかかわらず、神への服従と信頼に心に決めて夜眠り、普通に「朝起きて」神のご要求に従いつつ、何か神ご自身の御心を示されるのではないだろうかと。淡々と薪の準備をして二人の若者を従えたのであろう。 

22章4節である。「三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、」という。「三日目になって」と。まる二日間歩いた。三日目になってどれぐらい歩いたのかは想像に任せる。歩くのが普通の時代であるから、これくらいで、60~80キロというところは一休みの距離であったのかもしれない。 

しかし、休みどころではない。「目を凝らすと、遠くにその場所が見えた」と。予定の場所に来たという、いよいよ神様からのご命令を実行に移さねばならない。やっと得た一人の息子の命をささげねばならない試練である。遅疑逡巡、複雑な心境であったに違いない。信仰的決断がここに来て試さると見るべきであろう。


牧 会 通 信

2015-12-10 20:26:49 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その3)

◯この崖の下り坂もそんなぐあひだつた、破壊された崖の縁の上には、贋の(木製の)牝牛が受胎したクレタ(島)の恥辱(牛頭人体)が

横たはつてゐた、わたしらを見るとそれは自分自身を噛んだ、激怒にげつそりするもののやうに。

賢者はそのものに向って叫んだ、「恐らくお前は上の世界でお前を殺した、アテネの君主がここにゐると思ひこんでゐるのだろう?     (ここまで前回)

◯立去れ、獣よ、このものはお前の妹に教えられて来たのではなく、お前たちの刑罰を見に行くのだから。」

  死の打撃を受けた刹那に繋(つな)ぎ策を断切つた牡牛は、歩めずにあちこちへ跳び跳ねるものだが、

  ミノタロウ(牛頭人体の怪物の名)がさうするのをわたしは見た、機敏な師は叫んだ、「下り口へ走れ、これが怒り狂つているうちに下りてしまふのだ。」(つづく) 

◯2015年12月6日は、今年の第四十九主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主をあがめ ほめたたえよ」という主題である。聖書は黙示録3章1~6節、その1節、「あなたが生きているとは名ばかりで」という。世界で最初に金貨が醸造された町、サルディスの教会は、その信仰に異教の宗教習慣を残していた。われらも気をつけねばならない。

 

◯写真は、故田辺晃二(前小倉教会牧師)先生の死去に伴う、前夜祈祷会が12月2日午後6時から。小倉教会で撮影。翌3日、午後1時、葬儀執行。


プロテスタントとカトリック

2015-12-01 01:58:45 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(338)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

その翌日、13日には最初の福音主義の立場による聖餐式が執行された。それまでは、派手な緋色の祭服を身にまとい、会衆には背を向けて、祭壇に相向い、「これはわたしの身体である」と称えたそのときにパンが聖なるキリストの体に変化し、聖体となったキリストを、罪の贖いとなった犠牲として先ず神に奉献する。それが人々の見慣れたミサの祭儀であったが、今や、質素

な説教ガウンを身に着けた牧師が、会衆に向かい合って正面に立ち、聖餐台の上の木の皿に盛られた小さく四角く刻まれたパンと杯のぶどう酒とを会衆に分かち与える。それまでは会衆が受けることができたのはパンのみであった。ぶどう酒は祭司が飲み干す定めであったが、今や会衆のすべての手にぶどう酒の杯が渡される。(ここまで前回)

それまで親しんでいたラテン語の讃美歌や多声音楽(ポリフォニー)による奏楽もすべて廃止され、ただ聖書の言葉の朗読だけになった。こうしてカトリックのミサ祭儀は完全に退けられた。

すなわち、ミサが挙行されるときに行われた、キリストの聖体(パンとぶどう酒)が神への犠牲(なだめの供え物)として司祭の手によって奉献されると、そのまま十字架のキリストの体の犠牲の供え物となるという「犠牲説」と、司祭の聖別の祈りによってパンとぶどう酒の実態がそのままの形でキリストの体と血とに変化するという「化体説」とがしぞけられ、福音書の最後の晩餐がそのまま聖餐式で(つづく)


聖書研究

2015-12-01 01:51:35 | 大分中央ウィークリー

創世記22章2節である。「神は命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。』という。アブラハムには大変な試練となった。異教の神々に献げる人身供養のような神からの言葉であった。神の言葉を聴かされたアブラハム、その言葉に従うべきか、従わざるか、まず、その判断に苦しんだのであろう。

アブラハムがいかに苦しんだか、言葉の並びが暗示している。他でもない先ず「あなたの息子」という。第二は、「あなたの愛する者」、第三、「独り子」そして「イサク」であった。一つ一つによってアブラハムの胸を打ったであろう。 

22章3節である。「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」という。ここに、わざわざ「朝早く」とは、翻訳者が特別な時の到来と見ているようである。原文のヘブライ語を見ると、朝早くの「早く」がない。普通に「朝起きて」というよう言葉使いになっている。「そして、彼は、朝起きて、」といつものように普通に「起きた」というように読んだ方がいいのではなかろうか。 

1節に「神はアブラハムを試された」ということばから始まっているから、ここでは彼は信仰の試練にあっている最中と見られる。従って、確かに彼の夜は、普通の夜ではなかったであろう。それにもかかわらず、神への服従と信頼に心に決めて夜眠り、普通に「朝起きて」、神のご要求に従いつつ、何か神ご自身の御心を示されるのではないだろうかと。淡々と薪の準備をして、二人の若者を従えたのであろう。


牧 会 通 信

2015-12-01 01:31:41 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その2)

◯崖を下るためにわたしらの来た所は嶮しく切立つてゐたし、さらにそこにゐたもののために、誰でもぞッとして眼をそむけずにはゐられぬほどだつた。

  激震か支えが不十分なためにトレントのこつちで、側面からアディチェ川を襲つたあの岩崩れのために(トレントの南約13キロ)、

それが動き出した山頂から麓まで岩石ががらがらに積み重なつてゐて、上にゐるものはどうにか下つて行けさうになつてゐるが、(ここまで前回)

◯この崖の下り坂もそんなぐあひだつた、破壊された崖の縁の上には、贋の(木製の)牝牛が受胎したクレタ(島)の恥辱(牛頭人体)が

横たはつてゐた、わたしらを見るとそれは自分自身を噛んだ、激怒にげつそりするもののやうに。

賢者はそのものに向って叫んだ、「恐らくお前は上の世界でお前を殺した、アテネの君主がここにゐると思ひこんでゐるのだろう。     (つづく)

◯2015年11月29日は、今年の第四十八主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「霊的成長は試練から」という主題である。聖書はヤコブ3章1~12節、その10節「同じ口から讃美と呪いが出てくるのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。」という。できれば、讃美のみの口にしたい。 

◯写真は、九州中会連合長老研修会・総会。11月23日(月・休)の午前11時から下関教会で開催。(33名参集)