昨日の午前中、何気なくテレビをつけていたのだが、フト目に留まった臓器移植に関する番組を見た。1週間ほど前の孫の発言を思い浮かべた。
孫が、突然「ジジはいつ死ぬの」と言った。一瞬躊躇してから「それは分からないよ」と言ったものの、しばらく孫との会話の流れが途絶えた。分からないというのは、正解なのかもしれない。しかし、その後も、自分自身(の戸惑い?)がうまく表明されていなかった気がして、割り切れない思いが後を引いている。
死が怖いというレベルでなく、死について「いつ」という問いかけをされたこと。死について期限を確定した捉え方をしたことが無かったからだ。それまでは「いつか」死ぬだろうという漠然とした思いしかなかった。
また、孫の雑念のない純粋な発言が、うらやましかった。死を畏れたり、疎んじたりする大人は、もう子供にはなれないということを改めて認識した。
そして、テレビ番組で臓器移植、脳死について考えるというので、孫の「いつ死ぬの」という発言を思い出しながら、見入った。NHKテレビ番組の「週間ニュース深読み」で脳死について考えることをテーマとした討論だ。
運転免許証の裏面の下半分に「臓器提供に関する意思表示」の欄があり可否を署名できるようになっている。
マイナンバーカードの表面下に臓器提供意思を表示する欄がある。しかし、ルーペがないと読みにくいし、署名欄も狭い。
マイナンバーカードの臓器提供意思に関する記載内容。
脳死からの「臓器移植法」が施行されてから今月で20年たった。運転免許証や保険証などの裏面に提供の意思を表示する方法などがあり、記入は自由だ。法の改正で、本人の意思表示が不明でも、家族の承諾で臓器提供が可能になり、多少は提供するケースが増えてきた。でも、世界各国と比べまだ少なく、対応の遅れも指摘されているとのこと。
ヨーロッパなどでは、法律で原則臓器提供を義務づけていて、反対する時だけ意思表示することになっている国もあるという。
しかし、番組とは異なる情報だが、それらの国でも最終的には家族が決めるので拒否することがある。ある国では家族の拒否が多く、臓器提供がされる場合の方が少ないとのことだ。
番組の中で「臓器移植法20年。あなたは意思表示できますか?」という問いに対して、視聴者からの意見が紹介されていた。
(以下はNHKホームページより抜粋)
提供したくないという意見:「身体から切り離される違和感」「たとえ死んでも体は本人のもの」「死後であっても傷つけたくない」「心肺停止しない限り死ではない」など。
もやもやしているというジャンルに入る意見。
「親からもらった体を傷つけてはいけないと言われる」「体が温かいうちに提供は難しい」「家族の誰か一人でも反対なら提供できない」「助けたい気持ちはあるけどやっぱり怖い」「冷静な判断ができそうにない」「提供の意思を話したら家族に反対された」「夫のは提供できるが、子供のは考えられない」
提供したいという意見(少なかった)。
「家族もあの世で喜ぶと思う」「最後に人のためになるようなことをして死にたい」「アメリカ」では考える授業がある」「火葬されて灰になるなら欲しい人に提供したい」「家族が誰かの中で生き続けるように感じられる」「誰かの役にたつことは残された者の救いになる」「人生最後のボランティア」
提供された人の意見。
「移植を受けました!毎日元気に過ごせるようになりました」「下さった方に感謝です」
その他。「心臓病の友人がいました。海外へ、募金集めて・・・でも、間に合わず亡くなりました。悔しいです」
視聴者の意見はどの意見も理解できる。私の中にもいろいろな立場が混在している。
妻は思い切りがよく、だいぶ前から保険証の裏面に臓器提供の意思を示している。私は孫の言葉を聞く前だったが、今年から提供の意思にサインし、個人情報保護用のシールを貼った。
自分の死よりも、自分以外の者が死ぬのが悲しいし怖いと思う。自身の死が「いつ」か、分からないが、「いつか」来るという認識が静かにかつほつほつと湧きたっているようだ。
孫が、突然「ジジはいつ死ぬの」と言った。一瞬躊躇してから「それは分からないよ」と言ったものの、しばらく孫との会話の流れが途絶えた。分からないというのは、正解なのかもしれない。しかし、その後も、自分自身(の戸惑い?)がうまく表明されていなかった気がして、割り切れない思いが後を引いている。
死が怖いというレベルでなく、死について「いつ」という問いかけをされたこと。死について期限を確定した捉え方をしたことが無かったからだ。それまでは「いつか」死ぬだろうという漠然とした思いしかなかった。
また、孫の雑念のない純粋な発言が、うらやましかった。死を畏れたり、疎んじたりする大人は、もう子供にはなれないということを改めて認識した。
そして、テレビ番組で臓器移植、脳死について考えるというので、孫の「いつ死ぬの」という発言を思い出しながら、見入った。NHKテレビ番組の「週間ニュース深読み」で脳死について考えることをテーマとした討論だ。
運転免許証の裏面の下半分に「臓器提供に関する意思表示」の欄があり可否を署名できるようになっている。
マイナンバーカードの表面下に臓器提供意思を表示する欄がある。しかし、ルーペがないと読みにくいし、署名欄も狭い。
マイナンバーカードの臓器提供意思に関する記載内容。
脳死からの「臓器移植法」が施行されてから今月で20年たった。運転免許証や保険証などの裏面に提供の意思を表示する方法などがあり、記入は自由だ。法の改正で、本人の意思表示が不明でも、家族の承諾で臓器提供が可能になり、多少は提供するケースが増えてきた。でも、世界各国と比べまだ少なく、対応の遅れも指摘されているとのこと。
ヨーロッパなどでは、法律で原則臓器提供を義務づけていて、反対する時だけ意思表示することになっている国もあるという。
しかし、番組とは異なる情報だが、それらの国でも最終的には家族が決めるので拒否することがある。ある国では家族の拒否が多く、臓器提供がされる場合の方が少ないとのことだ。
番組の中で「臓器移植法20年。あなたは意思表示できますか?」という問いに対して、視聴者からの意見が紹介されていた。
(以下はNHKホームページより抜粋)
提供したくないという意見:「身体から切り離される違和感」「たとえ死んでも体は本人のもの」「死後であっても傷つけたくない」「心肺停止しない限り死ではない」など。
もやもやしているというジャンルに入る意見。
「親からもらった体を傷つけてはいけないと言われる」「体が温かいうちに提供は難しい」「家族の誰か一人でも反対なら提供できない」「助けたい気持ちはあるけどやっぱり怖い」「冷静な判断ができそうにない」「提供の意思を話したら家族に反対された」「夫のは提供できるが、子供のは考えられない」
提供したいという意見(少なかった)。
「家族もあの世で喜ぶと思う」「最後に人のためになるようなことをして死にたい」「アメリカ」では考える授業がある」「火葬されて灰になるなら欲しい人に提供したい」「家族が誰かの中で生き続けるように感じられる」「誰かの役にたつことは残された者の救いになる」「人生最後のボランティア」
提供された人の意見。
「移植を受けました!毎日元気に過ごせるようになりました」「下さった方に感謝です」
その他。「心臓病の友人がいました。海外へ、募金集めて・・・でも、間に合わず亡くなりました。悔しいです」
視聴者の意見はどの意見も理解できる。私の中にもいろいろな立場が混在している。
妻は思い切りがよく、だいぶ前から保険証の裏面に臓器提供の意思を示している。私は孫の言葉を聞く前だったが、今年から提供の意思にサインし、個人情報保護用のシールを貼った。
自分の死よりも、自分以外の者が死ぬのが悲しいし怖いと思う。自身の死が「いつ」か、分からないが、「いつか」来るという認識が静かにかつほつほつと湧きたっているようだ。
そして私も提供する派です。
うまい言葉がでませんが、なんかその方が命、というか身体を大事にするような感覚です。
人それぞれ色々な考えがあると思うので、提供しない派の人が大事にしていないとはいいませんが。。
臍帯血も提供したかったです。
病院がだいぶ限られていて出来ませんでしたが、、