標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

レジ袋とマイバック、マイバスケット。そして、はやぶさ2の着陸成功。

2019-02-22 23:00:22 | 日記
今日の「チコちゃんに叱られる」で、何故レジ袋ができたかについて放送していた。
多摩川梨の梨狩り農園が発祥という。当時うどんが30円だがストッキングが400円だった1960年代のこと。梨狩りで刈り取った梨を持ち帰るのに、当時は竹で編んだかごを使っていた。しかし、籠がストッキングを履いた足に当たると、いわゆる伝線してしまう。そこで、袋メーカーに頼み、梨を入れる袋を開発してもらったという。

そのポリエチレンで作られた袋が、一般の小売店に取り入れられ、通称レジ袋として広がったそうだ。

その後、この袋は家庭でもごみ入れ袋として使われるなど、便利に使われている。しかし、近年ポリ製品は自然環境破壊につながるとのことで、レジ袋の使用を抑制しようと、有料化などの対策をしている。マイバックを持参すると値引きをするスーパーなどが増えている。

わが家では、10年ほど前からマイバックなどを使っている。車の荷室には常にマイバスケットとマイバックが積んである。また、外出時に携帯する妻のショルダーバックには、必ず折りたたんだ携帯用のマイバックが入っている。


マイバック


マイバスケット。あるスーパーのロゴ入りだったが、どの店でも使えるように手書きで「マイバスケット」と書いてある。

チコちゃんでも、レジ袋以前の買い物のシーンで流れていたように、我々の幼いころ、母は豆腐を買う時は金ボールを持って、豆腐屋に買いに行った。八百屋でも魚屋でも品物を新聞紙にくるんで売ってくれた。それらを母は籠にいれて家に持ち帰ってきた。妻の回想だが、よく引き売りが来ていたという。今のように引き売り用の車というより、三輪車だった。

私も思い出した。大きな籠に入った野菜などの品物を大きな風呂敷に包んで、背中に背負った行商人が来ていた。富山から毎年同じ人が、荷物を背負って薬の行商にきていた。子供のころの私は、紙風船を貰うのが楽しみだった。今でもわが家には、置き薬がある。本社が富山県にある製薬会社だが、車でやってくる。

物売りではないが、リヤカーで廃品回収業者が来ていたことも思い出した。
そういえば、子供のころ私が住んでいた地域では、牛が大八車を引いていた。道に落ちていた牛尾の糞のイメージは今でも鮮明だ。

ところで、今朝、はやぶさ2が「リュウグウ」に無事着陸した。リュウグウは地球からおよそ3億4000万kmの距離にある。2014年に打ち上げられたはやぶさ2は、4年数か月の旅をしてリユウグウに着陸した。はやぶさのスピードは速いのだが、宇宙時間からみるとゆっくりだ。私の幼いころは、新幹線もなかった。リヤカーが移動手段だった。生活範囲も狭く、移動するにも時間がかかった。はやぶさ2のように長い時間をかけて、第一目標を達成した。

レジ袋を考え直すと同じように、たまには時の過ごし方を、昔のようにゆったりとした、または、はやぶさ2の旅のように、長いスパンで過ごしてみたいものだ。
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