大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

難波八阪神社

2023-11-09 06:23:00 | 神社仏閣
妹が高野山に行くので一緒に行かないかと誘ってくれました。姉も今回は一緒で、妹夫婦、妹の仲良しのご夫妻も一緒です。

私は難波にて合流することにしました。夜行バスにて早朝着きました。ぐっすり快眠できました。難波の地名縁起については、年末にワニ族について空想を膨らませ(過ぎ、、^_^)たことから、なんだか親しみが持てる地です。


朝、姉妹が乗った高知からの車に拾ってもらうまで時間があったので、難波八阪神社に行ってきました。6時位でしたから、人も少なかったです。


そして、八阪神社に到着!ガオーと大きな口をあけていましたね 。大阪らしくて、面白い珍しい感じです。


ぷくぷくの鼻に鳩が停まっていました。可愛らしい。。。手を合わせてきました。



まだまだお迎えまで時間があったので、次は、近くにあったえべっさん、今宮戎神社に歩いてむかいました。妹と以前参拝した神社です。


こちらは地名も戎(エビス)でした。

お商売をされている感じのお店が周りにはありました。商売繁盛良きかな。。。


妹の旦那さんから今明石海峡を渡っているとラインが入り、朝焼けの綺麗な写真を送ってきました。






まだまだかかるなぁ、どうしようかなと坐をする場所を探しましたが今宮戎神社では見つからず、ふと裏から出ると、廣田神社がありました。


廣田神社にも、参拝しようと思って参拝してきました。御神使いのアカエという魚ついての逸話が書かれていました。初めてみる御神使。興味深々。




アカエは、美味しくて、漢方薬としても珍重されており、また、アカエの尾には鋸状のものがあり、これに刺されると物凄い痛みを覚えるので漁師はアカエを捕らえると同時に尾の付け根から切り落とすみたいです。


この美味しいアカエを食べないこと(断食)と、アカエの「尾を断ち切る」をかけて、トゲに刺された痛みのような激痛を伴う疾患を癒すという信仰が生まれたみたいです。

尾を断ち切る、、特に「痔」に効くらしいです。


この地域は漁師町で、舟底の冷えなどで漁師に多かったといわれる「痔」に霊験あらたかとされたようです。またして、大阪独特の面白い発想ですね。


痔に効くのかぁ、、と、手を合わせてきました。痔は痛そうですからね😙


アカエについて説明した看板の前に丁度、坐するのによい所があり、朝の坐をしてきました。坐が終わったころは、身体が冷えてしまいました。


舟底の冷えで漁師さんは痔になったようですが、私もかなり冷えてしまいました。😅

痔になりませんように。。。


近くの公園で日向ぼっこしながらお迎えを待つことにしました。




紅葉便り

2023-11-06 06:22:00 | 神社仏閣
紅葉🍁狩りしてきました。
高野山→奈良→京都
あついくらいの11月連休でした。















静かな冬の白無垢を着る前の和の装い。

色打掛みたいに秋の紅葉は可憐でした。



聖なる国 日本

2023-10-27 06:56:00 | 神話・物語・本から

ジェロニモさんの本が

我が家に届きました。


本のご出版おめでとう御座います。


私はジェロニモさんのブログ

聖なる国 日本

によくお邪魔します。


様々な神社ブログがある中で

ジェロニモさんのブログの写真

がすごく綺麗で見惚れます。

御神気みたいにも感じます😌


私は日本が大好きです。

そして、日本語の言霊に不思議な魅力を

ずっと感じています。

自然のあるところに太古から建てられた

神社に参拝することも楽しみのひとつです

し、日本神話からも、太古の人々の生き様

感じます。

教祖経典のない神道が脈々と継続する

自然豊かな国、日本。

日本人独特のDNAに受け継がれた、和を

もって貴しとする、様々な異文化でさえ溶

かし融和する精神性を心から誇りに思いま

す。


ジェロニモさんは、全国津々浦々の沢山の

神社を参拝されており、私の参拝した神社

沢山参拝されています。

ジェロニモさんご自身の感性により

聖なる国、日本を感じ

はるか昔、私たちのDNAに残された

争いのない縄文信仰のことなども

ブログで独特の切り口で語られています。

既存の概念を超えた感性で本にはもっと詳し

く書かれているのかなと楽しみです。


ゆっくり読んでみます😌


聖なる国、日本


本の帯の言葉

「私たちは自然の一部であり、宇宙の一部である。」

まさに同感です。🙏

最初の数ページを読んだだけでも、素晴らしい内容だなと感じました。

先が楽しみです。


なぜなんだろう

2023-10-26 09:36:00 | ひとりごと

なぜなんだろう


なぜ人は敵と味方に分かれるんだろう


なぜ人は人がいる建物に爆弾を

落とせるんだろう


なぜ人は人をあやめる爆弾を

作るんだろう


お金は蜜の味ですか?

人をあやめてまでお金欲しいですか?


なぜ人は誰かを傷つけてまで

自分の利を求めるんだろう


なぜ人は正義をふりかざして

人をあやめることができるのだろう


そんな正義なんて

くそくらえ


なぜ私は泣き叫ぶ子供達の映像をみて

助けてあげることが出来ないのだろう


無力感が


押し寄せる



2023-10-25 06:42:00 | ひとりごと

徳には道徳、明徳、陰徳、玄徳などがあるようです。

明徳とは、天から与えられたすぐれた特性のようですね。

古代中国の書には

大学の「道」は明徳を明らかにするにあり

とあり、原文は

「大学之道、在明明徳。」 

となっています。

意味は「君子が実践する大いなる学問の道は、天与の徳(良心・仁)を明らかにすること」のようです。

大学とは、〇〇大学とかを思い浮かべそうですが、ここでいう大学は、古代中国の書であり、

天下国家の政治もその根本は一身の修養にあることをといているのが『大学』みたいですね。


一身を修養するわけですから、生涯大学みたいな感じかなとも思います。単位を取得したら卒業とか、そんなものではなく

大きすぎて決して捉えることの出来ないもの、人が全身全霊をかけ生涯「学び」続けるのが大学(大いなる学)であり、学びの対象は無形のようにも感じます。

徳が道(どう)に則っていれば道徳です。道は無形ですが、陰徳や明徳というくらいですから、陰と陽の働きはありそうです。

「徳」という字の本字は、「悳」と書いていたそうです。「直」の下に「心」を書いた字が本なので、漢字からみると「素直な心」で「行う」のが徳です。

「大学之道、在明明徳。在親民、在止於至善。」

大学の道は、至善に止まるともあります。

「道」が素直な心からの行、「徳」と一体なると、自然に至善となり、それが明らになったものが「明徳」なのかもです。

徳は行動が裏づけになっているとすれば、原動力となる行動も道(ドウ)に則したものになります。

道って奥深いですね。

陰徳は、影で人知れず、人のため、社会のため、大地のため、地球のための行いのようにも思います。

明と陰は、対の概念のようにも思われそうですが、何かをすれば、思うだけでも、何か見えざるもの(陰)を残します。

その、見えざるものこそ、大いなるものを下支えするものであり、道に則っていれば陰徳となるように感じます。

徳の根が陰徳で、根をじっくりと土の中に深めながら、茎や幹が息吹きます。その目に見えるものは明徳かなと思います。

根と茎や幹は繋がっていますから、実際は一つのもので、この一つのものこそ、道の一部かもしれません。

日本神話でいうと、国常立神です。大地の神、隠れて下支えしてくださる神様です。天地の自然の運行の地の部分をしっかり支えて、無形の恵みを与える存在です。


「徳奥」という言葉が中国語にあるようです。陰徳のさらに奥の働きのように感じますから、玄徳に近い気がします。玄徳とは、老子によりますと「産みだしても所有せず、成功しても誇らず、そこで最高になっても支配するようなことをしない。 それを玄徳という」とあります。

徳奥は日本語にはありませんが、

中国語では「ドウ」と読むようです。

道という漢字が当てはめられていなくても徳の奥も「ドウ」なのです。


始めに言葉ありき。ドウという響きは

文字の無い時代にも実はあったのではないかとさえ思いました。

原初にただ存在した一。

大学の「道」は明徳を明らかにし

また至善に止まります。

至善は、自然と同じ響きです。


道の教えである道徳経を2500年も前に残し、無為自然を説いた老子。

道、徳、自然の理を81章に全て凝縮します。「明徳」出版からでた道徳経の書は素晴らしいと思いました。


名づけることの出来ないもの。無名、無形の道(ドウ)。それは、妙(ミョウ)でもあり、本来、ヒトが求めるべき道(ドウ)であり、また「未知」ではあるけれど、必ず脈々と続いて行く唯一無二の大いなるもののように感じます。