故人でも、肉体はなくても御霊は生きているもの、蝶やトンボ、鳥や蜂なんかの生き物に瞬間に宿る気がしており、お墓で蝶が飛んできたり、大きな蜂が飛んできたりしたのは、お父さんの御霊が一瞬宿ったのかな、とか思うと、小さな虫の命も愛おしい。
ところで、
安楽寺という真言宗のお寺の住職さんを一周忌の法事を家でするためにむかえに行きました。
我が家への道すがら、住職さんから安楽寺の歴史を噛み砕いて教えてもらいました。
菅原道真の長子である菅原高視が、父道真公と同じ時期に土佐に配流され、この高知市の潮江で菅原道真逝去の知らせを受け、筑紫にある道真の菩提寺の安楽寺にちなんで、土佐の地に建立します。
また、潮江天満宮も建立します。潮江天満宮は末娘のお宮参りの地です。
寺は当初の潮江から升形を経て久万に移転します。(潮江、升形、久万はいずれも現・高知市内です。)。
その後、安楽寺は大寺院となりますが、1467年に始まる応仁の乱の兵火を受けて焼失し衰退します。京都の次に凄まじい戦いが繰り広げられたのが、この土佐だったといいます。
その後、100年続いた応仁の乱がおわり、1590年の金剛福寺文書に「久万安楽寺」とありとの記載で、当時は久万に寺があったことがわかったようです。
安楽寺は、その後、江戸時代に弘法寺(現・高知市三谷の三谷寺)の栄俊大徳により再興されますが,明治時代の廃仏毀釈の影響でついに廃寺となります。
しかし、明治8年に長宗我部氏の菩提寺であった旧瑞応院跡に再興されます。
創建→衰退→復興→廃寺→再興
まるで、七転八起です。人の人生みたいです。
人生色々
お寺も色々
再興したあとは、また色んな経緯を経て今は四国八十八箇所の第30番札所奥の院と定められています。
昨年、高野山に昨年行ってきました。
2024年は弘法大師御誕生1250年で、八十八番札所から一番札所に向けて逆回りでめぐる逆打ちお遍路ができる年みたいですね。
安楽寺の住職さんにこのような歴史を聞かされるのも、不思議と意味があることに感じました。