大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

神様の神器 ① 弓の弭について

2024-01-20 06:12:00 | 神話・物語・本から

神武天皇即位紀の際の絵で、よく出回っているのがこちら↑です。弓の弭(はず)に鴉が止まった事により戦況が変わります。


この弓🏹の弭(はず)ですが、長髄彦にとってはこんな「はず」じゃなかった、なんて感じだったのかなぁと思います。この弭は、弓の両端の弦をかける部分、ゆはずのことであり、本弭、末弭とも、弓へんに耳と書きます。




耳は、漢文では、「~のみ」と読みます。

「~而已」も、「のみ」です。而已は、「~にして已(や)む」つまり、「~で、おしまい。それ以上言うことはない」ということです。その「而已(ジイ)」が一音に発音されて「耳(ジ)」になったようです。


弓➕耳、弭は会意文字なので、弓を使うのは、もうおしまいにしようよ、という意味もありそうですね。弓は神器であり、武器でもあります。


孔子は「60にして耳に順う」といいました。他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになると説明されていましたが、私には、内鳴る神霊の聲、内奥からの魂の声が聴けるようになり、その聲に従順になることかなと思っています。


内鳴る声、内奥からの聲は、心も身体も明鏡止水のような静止状態になった時に聴こえるのものかもしれません。


この、弭の漢字を使った語に、弭化(みか)があります。人心によって知らず知らずのうちに蓄積した負のエネルギーを化して無くすこと、災刧を未然に防ぐことと理解しています。この弭化」の為に静坐は切り離せないと感じています。


弭兵(びへい)という言葉にも弭は使われています。これは、兵(いくさ)を弭(や)める会議のことをいいます。


弓を力一杯引いた状態で溜まったエネルギーを想像します。




弓の弭(端っこの部分)の弦と弓を繋ぐ部分は、人の指が矢を放つまでエネルギーをぐっとためて耐えている部分ともいえます。


しかし、一旦指を放つと、矢は飛んでいき何かに刺さります。負のエネルギー(人心の乱れや欲心)が溜まったあと、放たれた先に命中🎯するところは、やはり、相応の負の結果かな。悪因悪果。


なので、溜まりつつある時に止める、弭が耐えられなくなるまで弓を引き切らないように自省するのも弭化に繋がる気がします。止めるか否かは人心によります。


人心が整えば、色んなことは改善されていく気もします。人心で引き起こされる戦争のような愚かなことは無くなる気がします。今は弓矢でなく、ボタンひとつで地球が吹っ飛ぶ爆弾ですが、それすら人の指一本にかかっています。


人心はそう考えたら怖いです。


神話で弓矢を放つのを止めるために、神武天皇の弓の弭(はず)に鴉(カラス)が止まったとすると、この暗示に、神武天皇から皇統を守り続ける日本🇯🇵の大きなお役目がある気がします。

戦いはしないこと。聖徳太子が唱えた、和を持って尊しとするその大和を、混乱する世界の中でも戦いは止めようよと声を上げ続けること。


こんな時代だからこそ、沢山の人心が浄化されて、清いエネルギーを大地にお返しし、様々な人災が弭化されるといいなと思います。地球のあらゆる積もり積もった負の人心を弭化するには、静かに無心の坐をする人が増えたらいいなと思います。


天皇陛下の祈りは日本と世界の安寧です。

日本は伝統を大切にし、皇統を守っています。生活様式の中や、言霊の中にも、様々な昔から大切にしてきたものが残っています。


戦いの愚かさはどの時代も怨恨となり繰り返されています。戦いの無かった大和の縄文人に、弓矢を使う狩猟民族が渡来してきたことが、日本の争いの歴史のスタートでした。


やったりやられたりの輪廻はそろそろ卒業し、全世界が平和🕊️になり、どの人も大いなるものと繋がる兄弟のように区別されない世界になるといいなと思います。


聖なる国 日本

2023-10-27 06:56:00 | 神話・物語・本から

ジェロニモさんの本が

我が家に届きました。


本のご出版おめでとう御座います。


私はジェロニモさんのブログ

聖なる国 日本

によくお邪魔します。


様々な神社ブログがある中で

ジェロニモさんのブログの写真

がすごく綺麗で見惚れます。

御神気みたいにも感じます😌


私は日本が大好きです。

そして、日本語の言霊に不思議な魅力を

ずっと感じています。

自然のあるところに太古から建てられた

神社に参拝することも楽しみのひとつです

し、日本神話からも、太古の人々の生き様

感じます。

教祖経典のない神道が脈々と継続する

自然豊かな国、日本。

日本人独特のDNAに受け継がれた、和を

もって貴しとする、様々な異文化でさえ溶

かし融和する精神性を心から誇りに思いま

す。


ジェロニモさんは、全国津々浦々の沢山の

神社を参拝されており、私の参拝した神社

沢山参拝されています。

ジェロニモさんご自身の感性により

聖なる国、日本を感じ

はるか昔、私たちのDNAに残された

争いのない縄文信仰のことなども

ブログで独特の切り口で語られています。

既存の概念を超えた感性で本にはもっと詳し

く書かれているのかなと楽しみです。


ゆっくり読んでみます😌


聖なる国、日本


本の帯の言葉

「私たちは自然の一部であり、宇宙の一部である。」

まさに同感です。🙏

最初の数ページを読んだだけでも、素晴らしい内容だなと感じました。

先が楽しみです。


鉄の功罪

2023-10-12 06:15:00 | 神話・物語・本から

タタラが最初に行われた可能性がある福島県相馬市。踏み吹子による火力により鉄をうみだしました。

エネルギー繋がりでいうと、福島は原子力発電大事故による未曾有の被害を受けました。

福島の浜通りに住む多くの方がエネルギー産業に携わっていますし、相馬の海沿いはそのような現場が多いです。


スマホの無い時代を生きたスマホが当たり前の娘とは、スマホの絶対値に違いがあります。

電気がない時代を生きた人は、今の電気が当たり前の時代にきっと驚くでしょうし、そのように文明は姿を変え、どんどんと発展し、当たり前を増やします。


青銅器から鉄器へ。ふいご(鞴)の後、鉄の生成もたたらへ。タタラは山を切り崩したり、自然破壊と結びつきます。

鉄がもたらしたものは、成長の過程での功罪が大きいですが、功でいうと、太古の人々の生活、衣食住を豊かにしました。


衣についていうと、

「大量」の鉄針🪡は、人々が寒く無いように衣を作るのに役立ったことでしょう。

「大量」(オオハカリ)は、カモ氏のアジスキタカヒコネが使った剣の名前です。

アジスキタカヒコネネは、立派な鋤の、高く輝く太陽の子」と御神名を考える説もあるようですが、農具である鋤(スキ)の神でもあるので、食を豊かにした感じもします。

自然による錫の生成が葦(アシ)の周りに自然に、鈴なりに出来る褐鉄鉱を、お名前から感じます。

食に関しては、カモ氏は製鉄の技術を用いて、農具だけでなく、治水工事や灌漑工事にも役だてました。


住居を作るにも、鉄の道具は大切。神々は鉄を人々が暖をとり、飢えず、定住できるように、生活に役立てるために太古の昔に与えてくださった気がします。

また、産業革命のあとは、馬での移動を鉄道へと無限大に可能性を広げました。


しかし、鉄の罪としては、力と結びつき、馬に乗り鉄剣を振りかざし、命を奪い合う戦争があります。

また、タタラは、山を切り崩し自然破壊をもたらしました。時代は後になりますが、蒸気機関車は大気汚染をもたらします。

功罪は裏表。文明を開くにはさけられなかったのかもしれません。


太古に、鉄や鉱物の生成に感謝を捧げるていたのが蝦夷が守り続けてきたアラハバキ信仰なのではないか、、と思います。

アラハバキは艮(北東)の方角にある東北の地に、押し込められました。北東は艮の金神、祟り神がいるとされてきました。しかし、その地こそ日の出の神が昇る聖なる地かもしれません。


鉄は善悪の色合いなどなく、人の産み出す想念や使い方次第です。古代史を見ても、人の心と、それが形になったものが土地の磁場となるような気がしています。


エネルギーを生み出す磁場の強いところは、そこに住む全生命体の気の蓄積にもあるように思います。

土地のエネルギーは神々から無償で与えてもらっていますが、人のエネルギーは一人一人が大地に返すもの。

足るをしれば、取りすぎず、無いところに自然と流れ、水のように低いところへ平坦に行き届く。当たり前でなく、全て有難い。


福島は福の島です。福島浜通り原子力発電事故のあった土地は、日本や世界がどんどん欲により危険を犯し、戦争をし、地球をも脅かす可能性をはらむ今、防波堤となりあの痛みを全身で受けてくれた土地だと思います。


自然は山も海も大気も物言わず、人々がなすまま全て受け入れてくれています。

しかし、昨今の100年に一度や1000年に一度や、過去例を見ないレベルの災害や異常気象の多発、これは、人間が生み出した業を自ずと受けている警告なのかもです。


昔は土葬でしたから、人は死んだら土に還りました。肉体は死んだら土(自然)にかえるのが当たり前。だから、人は大地を自らもいずれは吸収される、還る宮として大切に思い感謝していた気がします。生きている時から分離していなかったような気がします。


歴史の壮大な流れの中、見かけは発展しているようですが、実は後退しているのかもしれません。

ただずっとあるがままの自然の中に生かされている極小さな存在である自らの身魂を磨き、大いなる自然に御魂返しをしていきたいです。


【画像はお借りしました】


ハニヤス神

2023-09-10 05:17:00 | 神話・物語・本から

榛名神社の御祭神の一柱はハニヤス神です。榛名神社参拝記については、また後日に。


埴安神(埴山姫命・埴山彦)のハニは赤土を表す古語であり、 古墳の副葬品にある埴輪 の「ハニ」です。赤土は太古神聖視された丹土のことです。

鳥居⛩️の朱は魔除けですが、神社の創建以前は、鳥居はなく神域は磐座や山などに祈りを捧げていました。だから、赤土は日本の神社を示す鳥居⛩️文化を一つ作ったようにも思演出ます。


赤土のハニは波爾とも書き、瀬織津姫や豊玉姫など水の女神に縁深い和邇(ワニ)氏と実は関係がありました。

神功皇后の子、応神天皇が和邇(ワニ)氏の娘、矢河枝比売(🟰菟道稚郎子の母にあたる御方)との婚礼時に詠まれたという歌に、ワニが赤土として出てきます。


櫟井の和邇(ワニ)坂の土(に)を、初土は肌赤らけみしは土は丹黒きゆえ、三栗の、その中つ土を、かぶつく、真ひには当てず、眉書き、濃に書き垂れ、遇わしし女人、かもがと、我が見し子ら、かくもがと、我が見し子に、うたたけだに、向かいおるかも、い添いおるかも」

簡単にいうと、応神天皇は「こういう美しい女が欲しいと常々思っていた」という内容で、和邇氏の娘、矢河姫に惚れましたという恋歌です。

この歌にある、ワニの土(赤土🟰初めに掘った土?)や、しは土(丹黒い土🟰底の土)は、元々は魔除けに使われていたようで、人も化粧や入れ墨などに使用していたようです。ワニ氏の娘、矢河姫も使っていたのかもです。


魏志倭人伝の記述にも、倭人は入れ墨をしていたことが記されており、弥生時代には、「黥面文身(げいめんぶんしん)」という入れ墨の風俗がありました。


しかしながら、ある時から入れ墨は野蛮人がするものだと駆逐され差別されはじめます。

同様に、祭祀に使われていた銅鐸も鉄器を作るタタラ製法の到来によってなのか?姿を消します。鈴なりに鉄の生成を祈る銅鐸も、タタラで大量に作れるようになったら要らなくなったのかもですね。

これらの劇的な変化は、具体的な記録が無いの空白の古墳時代(35世紀あたり)あたりにおこります。魏志倭人伝には、「倭国には牛や馬はいない」と書かれていますが、古墳には、馬具や甲冑が沢山出ています。




大陸から鉄の生成方法たたらと共に馬ももたらされ、生活が大きく変化したのが弥生→古墳時代なのかなと考えます。

祭祀に使われていた、銅鐸や銅剣は、弥生末から古墳時代にかけて戦いに使われる鉄剣へと姿をかえたのかもです。


馬と鉄剣は強いもの勝ちの時代の到来を表しているのかもしれません。

ハニヤス神は土の神様。農業の神様でもあります。土偶は縄文時代の土製の人形です。 女の人の形をしているとか言われています。



埴輪は、古墳時代の副葬品。素焼きの土器で,人,家,動物、刀の形などをしています。



縄文弥生古墳時代。これは、戦いのない和の時代から競争や戦い、差別が生まれる時代へ変わります。


イザナギとイザナミによる神産みより様々な自然物の神々を誕生させる過程で、イザナミは火の神を生む際に大火傷をしてしまい、死に至ります。

イザナミはその死の間際の苦しみのなか、吐瀉物からは鉱山の神カナヤマヒコ、大便からは土の神ハニヤス、小便からは水の神ミヅハノメ生みます。


この神話の暗喩、火の神の出産を「タタラの到来」と考えると、それにより、砂鉄を得るため鉱山(カナヤマヒコ)が切り崩され、土砂崩れが起き(ハニヤス)や洪水(ミヅハノメ)がおき、イザナミ(大地の母、自然)が命尽きたと置き換えられる気がしました。


自然に祈り、祭祀をし、精神に重きをおく社会から、物質至上主義社会へ変わったことや、

また、祭祀をしていた女性が虐げられ男性優位社会に変わり、また、都合の悪いことは隠蔽され強いもの勝ちの社会へ変わっていったことも暗示しているのかも、、です。


少し妄想膨らみすぎました。。

神話は深くて面白いですね。今日はこのへんで😅👋



福島県 相馬市②

2023-09-08 06:50:00 | 神話・物語・本から

昨日の続きです

神産みの場面で、イザナミの死の原因となった火の神様カグツチをイザナギが斬る場面で使われた剣は「天之尾羽張」(あめのおはばりという名前がついています。


ヤマタノオロチ(大蛇)退治の時に、スサノオが使った剣は、天羽々斬(あめのはばきり)」。ハバは(大蛇)のことであり、それを斬るわけです。それが暗示するのは、たたらでより強い鉄剣を得たことで、大蛇信仰の出雲(女、母、ハハが統治する世の中)から男性優位社会への転換を意味するように思いました。

神話でスサノオは亡き、イザナミを求め暴れます。 


海幸彦山幸彦の兄弟の話では、山幸彦が海幸彦の釣り針無くしたため、自分の剣を鋳潰して大量の針を作り勘弁してといいますが、海幸彦は、違う!といって納得しません。その後、龍宮に行き、釣針は赤鯛の喉に引っかかっているとわかります。

龍宮城から帰る時に、海神は釣針と鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)を山幸彦に差し出し、和邇(わに🟰短い龍)が乗せて送ったという話があり、和邇は今は佐比持神(さいもちのかみ)になったとあります。

ワニは、豊玉姫や瀬織津姫、水の神と縁深いワニ族に関係あるのかなと思っています。



同じサイモチの神は別の場面でも出ています。

『日本書紀』では神武天皇の兄である稲飯命神武東征に従い、熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、「持(さいもち)の神」になったとあります。また、新羅の王となったとも。

スサノオがヤマタノオロチを退治した天羽々斬剣の別名は蛇之韓鋤(をろちのからさひです。鋤🟰サイです。

大神神社の摂社に神武天皇の妻を祀る狭井神社(サイ神社)がありますが、皇后は「タタラ」の名前をもち、出雲出身です。


海幸山幸の話には大量の針でてきますが、この「大量の名前の刀が記紀神話にでてきます。葦原中国平定の説話においてアメノワカヒコの葬儀に訪れアヂスキタカヒコネはそっくりだったため、アメノワカヒコに間違えられます。死人に間違えられたことをアジスキタカヒコネは怒って喪屋を剣で切り倒した話がありますが、この剣は正式には「大量」(おおはかり)、亦の名に「神度剣」(かむどのつるぎ)という名前がついています。神を度(スク)ウ剣です。オオハカリ、オハバリ、オハバキ、言霊の響きが酷似しています。


大量」という名前の剣をもつアヂスキタカヒコネは陸奥国一之宮、福島県一の宮のひとつ馬場都々古別神社(ツツコワケ神社)のご祭神でもあります。ご神体の山にのぼると、山頂には磐座があり、地元の逸話ではたくさんの縄文遺跡がでてきたようです。福島の地は刀剣と🐎馬と縁が深い気がしています。


馬と刀は、戦い、🔥のイメージです。空白の古墳時代には、大きな社会の転換があったのだと考えます。コンビニより多い古墳。大きな古墳には馬具や甲冑などが沢山納められています。相馬の地、福島の地は製鉄のたたらやエネルギーと関係が深い地。たたらは、山を切り崩しますから、縄文や弥生時代にない自然破壊のスタートが鉄を作る過程、古墳時代におこったのかなと考えます。
水のをもつ母系社会や、「ハハ」なる大地へ祈りを捧げる社会から、火🔥ののエネルギーの強い父系社会への転換の始まりの地の一つが相馬かもです。
鉄鉱石を御神体とし、また女陰を表すともいわれるアラハバキ信仰は東北(艮の方角)に押し込まれますが根強く残ります。

福島は自分達のためのエネルギーではなく、関東へのエネルギーを作って送電していました。5月に相馬にいきました。今でもエネルギー関連の現場が多い土地です。海沿いから関東に帰る途中に、原発事故の地区ではないですが、近くに行くに従い、未だに重く悲しい雰囲気が残ります。自己犠牲のような土地。福島原発の地。人が生んだ悲しみの地。
相馬は地震や災害が震災の後も多発します。度重なる災害に地元の方の苦悩を耳にしました。至る所に歪曲した道が今も点在し、東北大震災以降のものだと聞きました。福島には地龍がいる気がします。傷ついた龍が、人に傷つけられても一生懸命踏ん張っている気がします。
感謝の気を送りたいです。祈りを。


つづく