大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

明心見性

2024-05-10 04:58:00 | ひとりごと

明るい心で、性を見る。

性とは仏性、真の性で、心を統べる。


文字で書いてみると、わかるようなわからないような。

この「心」は、明るい心や暗い心、色んな心がひとりの人の中にもあって、その心次第で仏性が見えたり見えなかったり、、

ということではない気がしてします。


見性は、自らの本性を見ることだとしたら、

自分が何者かわかることで、

心に自我がなくなれば、性が自然にあらわになる、という感じかなと思っています。


明らかな心とは、このあらわになった心で、

最初はほんのりとした色がついているのかもなとも思いますが、ほんのりついた色も、究極は透明になるのかな、、。


区別のない広い大空のような心。普く光る太陽、全てを包む大空。遮らない心。


白隠禅師は、

自分のために修行するのを「上求菩提」といい、

他者を救済するのを「下化衆生」 と説きました。


両手を叩けば音がするが、隻手(せきしゅ/片手)ではどんな音がするか聞いて来い。


白隠禅師の絵

これは、白隠禅師が語った言葉です。

何も響かない。。。何も鳴らない。かな。仏性を求めつつ、周りを惜しみなく教化する。自利(智慧門)と利他(慈悲門)を並行して行うのが菩薩行。 

まだまだ自分は悟っておらず学び中なので何もしない、とか、宗教や教義は、それを与えられた自分たちだけのもの、という意識がもしあるなら、

それは自利を自利のままにしていたり、自利に優越を感じていることかもしれません。良いものは、それを普く広めてこそ、大空の心かもしれないなと最近感じています。


様々な教えは、信者にとっては格別なのかもしれませんが、格別であっても、格や別の言葉は、どこか、区別があるような気もしています。

格別だという心がある以上、学びに執着が生まれ、自我を気づかせる何かが起こります。反省は学びの中から生まれるとはいえ、心が曇ると自分の内にあると信じていた「空」は、空ではなく、雲に覆われた我だったとわかります。そうして、気づいた我を見、その我見を破りつづける過程が、実生活に根差した修行かもです。


煩悩の根っこを、どんどん抜いていくと、ある時、その根っこさえ生まれようのない奥の奥に辿りつき、そこは、全ての命の根をささえる大地の土のようでもあり、また、雲の上に広がる大空のようでもあり、全てを浄化し循環する水や大海のようでもあり、行きつく先は自然かな。自他の区別がないところ。それこそが明るい心なのかもしれません。


自分という実体の心の癖をしっかり見つめ、雑草の如く簡単に根をはるそれらを取り除きつつ、平行して外に向かって今の自分でも出来ることをこつこつとしていく。


どんどんと明るくなり洗われた心により、仏性が顕われると、それは明らかに行動にもあらわれるのかもなと感じています。

明心見性。

内奥にある心の目、「◯に・」は、生きた心(性)が顕に開くことかなとも感じています。生きて生きること。命を生かすことかな。



こちらの画像は埼玉道院のホームページよりお借りしました。



鹿屋の高校生 のハンセン病問題啓発活動

2024-04-05 05:25:00 | ひとりごと
昨日、ハンセン病元患者であります竪山勲さんの実話をもとにした絵本の動画を投稿しました。





そして、ちょうど同じ時、竪山さんが隔離されました、鹿屋で高校生がハンセン病問題啓発を自らしているのを見つけました。


MBCニュース | 生徒が先生役でハンセン病問題の授業 ラップでも発信する高校生「自分が差別する側なんだと意識したのが原点」

MBCニュース | 生徒が先生役でハンセン病問題の授業 ラップでも発信する高校生「自分が差別する側なんだと意識したのが原点」

鹿児島のニュース MBC南日本放送

 


自分から能動的に動く姿勢。
教育とは、学問を教えることに偏るのでなく、自ら考えて行動できるように子供たちの心が育つ姿を後押しすることかなと見て感じました。

ひとりひとり個性もあり、
一筋縄ではいかないですが、
必ず全ての人にある
内なる善を見つけ育てること。

だから、生涯教育なんだと思います。

私も私自身を教育中。

2001年にらい予防法違憲国賠訴訟の勝訴のあと、ハンセン病元患者を踏みにじる事件が熊本の温泉でおきます。
(時の響きての動画にも少しあります)

詳しくは書きませんが、どんな酷い事が起こったのかは、Wikipediaをみてください。

人間の心の残酷さと汚さが、文字になっています。まさに、ヘドがでそうな言刃です。

そんな中、「時の響きての絵本を読み、自分のこととして演じ劇にした鳥取の小学校の生徒たちは、この熊本の事件を知り、胸を痛めて、大人がした過ちにはっきりと抗議します。

元患者を差別しないでください。と。

小学生が
大人の許しがたい過ちに、
はっきり駄目だと意思表示して行動します。
自分のこととして劇をする。
無理矢理我が子を堕胎される母親役を
小学校の生徒が演じる、、、、。

その子たちは、将来自分の子を持つことがあれば、思いだすでしょう。

様々な場面でハンセン病元患者の悲しみを想像するでしょう。

そういう教育こそ、生きた教育、残る教育、心を育む教育だと思いました。

また、鹿屋の高校生は、竪山さんと共に違憲国賠訴訟で闘った上野正子さんを知って、素直な気持ちで自分の出来ることで、ハンセン病問題を自分のこととして捉え自分の言葉で伝えます。

先生役になる。いいですね。
ラッパーになって伝える。いいですね。

どうやったら伝わるかを自分で考え、

答えのない問題だからこそ深く考える。

やってみて、間違えてもよくて
やりながら成長する。
先生から正解をすぐに教わる、
そんな教育は残らない。。

ハンセン病問題、
それは過去のこと?
それは違います。

確かに、被害者の高齢化は進み、
語り続ける被害者の数は減っています。

しかし、風化させてはいけません。

差別も、偏見も、、姿形を変えて色んなところに簡単に生まれますし、
自分の心にも簡単に巣喰うからこそ

自分の心も厳しく見つめる姿勢を持ちたい。 

ハンセン病問題という残酷な歴史を知って、そして、竪山さんの過酷な人生を生きた生き様から、生きることの真の意味を考えたいです。



織田信長公 岐阜と金華山

2024-03-03 06:28:00 | ひとりごと

伊奈波神社をあとにして、金華山のロープウェイで頂上に上り岐阜城に行ってきました。




ロープウェイ乗り場があります岐阜公園につくと、山内一豊と千代についての話しの石碑がありました。

お二人婚礼の地とあります。




さらには、板垣退助の銅像も。土佐出身のこれらの御方の銅像は、高知城にもあるので、岐阜城と高知城にある銅像が同じで驚きです。



板垣死すとも自由は死せず

ここは板垣退助遭難の地でした。
土佐は生誕の地。

金華山の頂上、岐阜城にて、織田信長公や義父、斎藤道三について様々な説明がありました。


岐阜は、織田信長公が井ノ口と呼ばれている地を岐阜に命名したようです。中国の故事にならったもので、その説明がこちら。






岐阜の「岐」は、周の文王の時代に「岐山(きざん)」という所に都を置き、そこを拠点にして殷の国を滅亡に追い込んだ縁起のいい地名とされており、「岐山」という山は西安近くに実在する山で、この山にちなんだということになっているみたいです。


岐阜の「阜」は、孔子の生誕地、曲阜から、とあります。中国の古代の賢者の教えを信長公は学んでいたようです。


周の文王と孔子は易経を作った賢人でもあります。


また、古代中国の古典『春秋左氏伝』には、「武の七つの目的を備えた者が天下を治めるにふさわしい」とあり、「七徳の武」として、「天下布武」があります。



この「天下布武」を、信長公は自身の印章に用いたようで、信長公のイメージから、「天下を武力で平定する」というような意味で捉えられがちですが、「武」とは本来、「戈(ほこ)」(武器)と「止」から成るため、戦いを止める意味です。


この徳を持っていた戦国大名は上杉謙信かなと私的には思っています。

美濃を制するものは天下を制すと戦国時代の頃は言っていたようですね。その美濃の金華山に信長公は居城を構えます。


また、応仁の乱で荒廃した地の復興を考え、楽市楽座の制度をしいたり、要塞としての城の機能に、美意識を追加して魅せる城を造りました。
稲葉山を金華山と名前を変え、信長がつくった城は、極楽の理想郷に相応しくキリスト教を布教にきた外国人達を魅了したようです。


再建された岐阜城の屋上の天井図には、麒麟が描かれていました。信長公を描いたドラマ「麒麟がくる」を私は観ていませんが、、信長は、とても大胆で行動力のある御方だったんだろうなぁ、と感じました。



屋上階からは、鵜飼で有名な長良川を見下ろします。


昔はもっと蛇行していたのかもですね。



飼は古くから、人と鵜が意志を疎通させながら魚を捕る姿も珍重されており、信長公は、鮎を捕る鵜の使い手に、「鵜匠」の名を与え、鵜飼を保護しました。


とあります。


信長公の妻濃姫の父、斎藤道三を演じたもっくんが居ましたので一緒に写真を撮ってきました。





ミーハーおばさんですみません。。笑

この金華山を歩いてわかったのですが、全てチャートの固い岩盤で出来ています。





気づかれないほどの片隅に、大金龍大神神社とありました。
背後にチャートのゴツゴツ感!

また、先日紹介しました、金華山山中の旧伊奈波神社がありました丸山は、


信長公の義父、斎藤道三が今の場所に伊奈波神社を移したのでした。こちらも、チャートの事が紹介されていました。





金華山のチャートが、南半球の海底岩石とありますが、まるで、龍体がこねこねして、やっとこの地に落ち着き海底から地上に浮き彫りになって固まったかのようにも感じます。

こういう磁場はエネルギーが高いのかもしれませんね。




江戸時代に生きた白隠禅師も、この金華山の麓の瑞雲寺で坐禅修行をしています。

白隠禅師は禅僧の中でも、最近とても気になっています。

また近々紹介してみたいと思います。




夕焼けの歌

2024-02-28 11:56:00 | ひとりごと

魂の父であります竪山勲さんが、涙した歌だと書いておられたのが、島倉千代子さんの夕焼けの歌。


竪山さんは、ハンセン病被害訴訟、原告団のおひとりです。


お母さんを、幼い頃ハンセン病で亡くします。竪山さんの目の前で、お一人看取り、そして、ご自身も中学生の時、療養所に隔離されました。

お母さんは慈悲の方だった、優しかったと仰っていました。


竪山さんは、ハンセン病により母と、また自ら発症したことにより、父、ご兄姉、家族と生き別れ、国の政策で自らの人生を奪われた御方です。


この歌が沁み入るのは、すべての毛穴からなのかもしれません。すべての感覚が研ぎ澄まされている御方。


果てしなく優しくて

果てしなく厳しい


感覚が研ぎ澄まされ、

心で観て、

心で感じ、

心で発する。

その言葉も行動も。


いつかお空で竪山さんがお母さんにあったとき、

「よくがんばったね、いさお」

と優しい手で、息子の手を握るんだろうな。


みえない手は、今もずっと握っているとは思いますけど。


また会いたいな。魂の父に。鹿児島の父。



夕焼けの歌   島倉千代子


夕焼け空です お母さん
いっしょに眺めた 幼い日
握ってくれた手の中の
あのあたたかさ あのなつかしさ
もう一度 握りたい
お母さんのやさしい手
なんにもいえずに 泣くでしょうね

一番星です お母さん
明るい子供に なるように
教えてくれたあの歌が
今この胸に よみがえります
もう一度 聞きたいな
お母さんの歌う声
私もいっしょに 歌うのよ

わがままいいたい お母さん
生きてく悲しみ ありったけ
ぶつけて聞いてほしいのに
ああいないのね ああ遠いのね
もう一度 みつめたい
お母さんのやさしい目


心配かけたい 甘えたい




坐と気質の変化

2024-02-02 06:16:00 | ひとりごと


自分の嫌なところは、自分で気付いている場合もそうでない場合もあります。

自分で気づいて治そうとしても、なかなか自分では治せない。染み込んでいるから。


ただ、坐をするようになって、穏やかになったと家族からも言われます。


気質を自分で無理矢理治すのではなく、坐が少しずつ気質を直してくれているのかもしれません。


エネルギーがある人ない人いますが、気が病になるのは、清浄な気が不足した状態かもです。


様々な外からの影響や育った過程で積もった塵のような妄想を含めた濁気に身体ががんじがらめに絡まってしまうのかな。


昔は、良いと信じていたことが、間違っていたように今は感じています。坐により自分の濁が見える化されます。


沢山反省しますが時間は戻せません。だから、気づいたその時から直します。


気質が変わると、自分が自分がという我が無意味で、りきまなくなります。


ただ、シンプルに、悲しんでいる人や病の人には寄り添うとか、優しさとか、全部おかげさまだとか、生かされていることが有り難い、そんな感情が自分の中に満ちてくる感じです。それはとても幸せです。


写真は坐している役小角です。座禅🧘ではなくで、坐は椅子にすわってこの形で物は持たずです。


敢えていうなら、手のひらを脛にくっつけて、舌の先を前の歯の後ろにくっつけて目は半眼にしてやります。時間も16分からスタートです。ただ坐る、それだけです。


坐はまだまだ未熟ですが、気質の変化についての実況報告でした☺️。



【写真はお借りしました】