大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

生まれる前の誓願

2023-10-20 07:05:00 | ひとりごと
生まれる前に
だれしも誓っているのかもしれない

どんなことがあっても
神様をお助けする存在としていきてきますと

神様から大切な一部を
いただいたからこそ
この世に生まれでてこれました
感謝しますと

あの父母は私には丁度良さそうです
いってきます

生まれてみたら
生まれてこれた奇跡など
忘れ

あれもこれも
神様の足を引っ張って
生前の誓いなど
どこ吹く風

自分の意見と違う他者を
批判したり
傷つけたり
争い
戦争さえはじめ

争いの最中でさえ
自分や自国だけは正義のように
ふるまい
のたまい

他の内にある
善なる所を探さず
悪い所をあげつらう

他者が一見悪くみえる時は
実はその要素は自分にもあり
戒めや教えが分断にあることなど
気づきもせずに

出会うべくして
出会った
その他者こそが

自分へのプレゼントであったことなど
気づきもせずに

気づかない自分の愚かさには
盲目のまま

なんと我がままで
気ままな存在なのだろうと
我が身をも振り返り
反省する

せっかくいただいた
この身体

生まれる前に誓った
神様のお役に立てますという
言葉どおりに

与えていただいた命を輝かせて生きる

私の魂は今輝いているだろうか
これをつねに自問自答する

一様に例外なく
神の子なのだから
命を輝かせて生きる選択をすることは
生まれてきたものの
使命の中のひとつかもしれない





起き上がること

2023-10-05 06:00:00 | ひとりごと
大切なことは
倒れないことより
すぐに起き上がることです

という言葉に出会いました

強風にふかれ
足場がぐらぐらし
倒れて、折れてしまうことって
あります

そりゃぁ、倒れるわ
これキツイもん
なんていうこともあったりします

倒れたとき
あまりにも思いがけなかったから
倒れた衝撃で、至る所
傷だらけ

あー痛かったぁ

そうして出来た傷の
痛みが気にならなくなる
なったとき

自然に癒されている自分に気づきます

状況は少しずつ変わり
心境も確かに変わって
自然と起き上がれるように
なるかもしれません

倒れないことより
すぐに起き上がること

この
「すぐに」が
出来るといいけれど

人によっては傷が深くて
「すぐ」にできない
場合でさえ

それでも
時間薬に任せて
自分をなげださないで
自然に静かに委ねると
自然は必ず全てをゆっくり癒します

そうしたら
必ず
朝日が昇るように
新芽が出るように

自分の中のエネルギーが
少しずつ湧いてきて

倒れてしまっても
自然に抗わなければ
ヒトも
起き上がるように
出来ているのかもしれないな
思います




太陽のように




色々考えてやめるより

2023-10-01 08:45:00 | ひとりごと
色々考えて動けなくなるより
先ずは一歩、動いてやってみる

考え過ぎて
ブレーキをかける理由は
色々わくけれど

そんな枠はとっぱらい

ワクワクすることなら
動いてみる

そうすると
力がどんどん湧くかもです

その力は泉のようでもあり
暗闇に潜んでいるものを
ある時ふと感じ

信じて
掘ると
噴水のように湧き出すかもです

出来ない空想より
出来るために一歩ふみだして


閉じかかった扉も窓も
光がその中にあるのなら
光が輝き✨放つように

開いて
風通しを良くして

笑って
生かされている実感を

光✨から届いた💡直感を
カタチにして届ける

形なきものに、形をあたえる
それは創造

ヒトに与えられた
貴重な力のような

そんな「気」がします







自己犠牲と自己発露

2023-09-26 06:48:00 | ひとりごと

犠牲にする、犠牲になるは、英語ではsacrifyで、いけにえになる、自己を他者のために殺すとかいう意味もあります。


キリストの十字架は自己犠牲の精神の顕れだとかいったりします。


この自己犠牲の最初のsacriは、「神聖な」の英語sacredと語源が同じかどうかはわかりませんが、キリストの自己犠牲は、神聖なことに結びつきますので、語源は同じかなと思ったりします。


しかし、どうもこの自己「犠牲」という日本語には違和感を覚えます。


犠牲には、自分を殺すようなニュアンスを受けてしまうからです。

自分を殺すのは、自分の中にある大切な神様を殺すことで、それなら誰しも自己犠牲の無い世の中になればいいのになと思ったりします。神様を宿す自分の心を大切にする人が溢れる世の中です。他者の中にも、自分と同じ神様をみいだす世の中です。

自分で自分を殺す人がいなくなる世界が理想です。


宮沢賢治の小説、銀河鉄道の夜でジョバンニの友カンパネルラは友達を助けようとして水の事故に遭い還らぬ人になります。

周りからみたら、典型的な自己犠牲ですし、イエスキリストのような行為だとも思います。


しかし、カンパネルラからしたら、犠牲になろうと思っていたわけではなく、他者と自分に区別が無かっただけなのかなと思っています。相手の痛みがまるで自分のことだっただけ。

結果的にカンパネルラは犠牲になりましたが、他者を救うことが自分を救う、自分を救うことが他者救済。


なので、自己犠牲ではなく最大の自己発露🟰 revelationなのではないか、と感じています。revelationは顕現のようなニュアンスもあります。


犠牲にはどこか結果ありきのニュアンスがあります。

自己発露には、結果は関係ありません。ただ、その瞬間に魂を輝かせたか。

一瞬一瞬をきちんと輝かせたか。その一瞬は愛だったか。という、過程のみに重きが置かれている気がしています。


線路に轢かれそうになる人を見て、とっさに助け身代わりとなった方は、まさに、犠牲になろうとしたのではなく、魂の輝きが咄嗟に顕れて相手の痛み🟰自分の痛みとして、他者の痛みをとるために爆発するような光を放つ自己発露により最期を迎えた方だと思っています。


自己犠牲は他者からみた見方で、本人にとっては、自己発露(自己の魂の顕現)に過ぎないと思うと、


カンパネルネルラが、亡くなったあとに、ジョバンニに悲しそうに呟きます。

本当に良い事をしたのだから、お母さんは許してくれるだろうか、

その言葉の「本当に良い事」は、


「最大の神聖sacredな自己発露revelation」をしたのだから、


お母さんは、自分の行為を、受け入れて、自分をお母さんの中に生かしてくれるだろうかと読みかえます。

魂の顕現、それは、一瞬一瞬、一言一言にも刻まれている気がします。


残された者の無念な思い、それは故人への供養と共に時間をかけて溶かされるのかなとも思います。







ボタエモン童話 単衣と綿入れ

2023-09-21 05:40:00 | ひとりごと

カツラギ ボタエモンこと、出口日出麿さんの童話を紹介します。




頑なに

××しなければならない、

〇〇してはいけない、、

なんていうときこそ、

柔軟に。。


神様の御言葉に忠実である村人を

可笑しく描いています。

神様は、村人の幸せを願っていますが、

自分の頭で、考えてね、、

という感じでしょうか。


あの時ああは言ったけれど、

時代が変わったから

いつまでも

こだわらないでもいいよ、

とかいうことも

あるかもですね。😌


ただいつの世も人々が幸せに、

寒い時は暖かく、

暑い時は涼しく、


辛い時は踏ん張れと

なにくそ石ではないけれど、




うずくまりそうになっても


道を歩もうとする人が

迷わないように

光を遣わし

縁を手繰りよせ

良い時期に繋ぎ、結び、

こちらで学ばせ

あちらで動かしたりしているのかもです


神様は今は何を望んでおられるのだろうと


自分で考えて動くことで

新たな風を吹きこみつつも

真に大切なものは誠に守り

良い方法で良い方向に色々

かわるといいですね。