大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

鹿について

2022-04-28 05:11:00 | 神仏について
タケミカヅチ神は雷の神、地震(ナマズ)を抑えるで、鹿島神宮の御祭神ですね。鯰(ナマズ)を眷属にするタケミナカタ神と相撲をとり、勝ちます。


どこで相撲をとったか?は、鯰をトーテムにした神社の多い九州のミナカタ(南方)の方かななんて想像します。宗像(ムナカタ)神社なんかもあるし。そして、タケミナカタ神は諏訪大社へ。


相撲は、武器ではなく裸でたたかい、輪の外に出たら負け、神事ですね。武器で脅すのは卑怯かなと。。


勝った方のタケミカヅチ神が御祭神の茨城県の鹿島神宮には鹿がいます。

鹿は昔から神聖な生き物とされており、神の使い=神鹿(しんろく)と呼ばれています。その為、鹿の角は魔除けとしても珍重されてきましたし、私の趣味ではないですが、鹿の首の剥製をインテリアにして飾る方もいます。


鹿について、面白い話があります。紀元前 11世紀から紀元初期,中央アジアにいたイラン系の遊牧種族にサカという名称の一族がいたようです。







(サイ)はサカの中国名であり、境(サカイ)はサカのギリシアでの名です。

中国では塞,または、釈という字でも表わされたサカ族は、鹿をトーテムにしていたようです。



サカ族



サカ族に釈尊の釈の当て字がなされるように、古代インドの釈迦族に繋がると言われています。確かに、シャカ族王子であるお釈迦様は、悟りを開いた後の最初の説法を『鹿野園』にてしています。








また、モンゴル帝国の建国神話で蒼き狼と白き牝鹿が結婚してモンゴル人の祖先が誕生したというのもあるようです。






全然時代は違うけど、白鹿は騎馬民族と結婚するミーユエのイメージ(o^^o)



これは鹿をトーテムとするサカ族が狼(山犬)をトーテムとする北狄テュルクに乗馬技術を伝えたことで、モンゴル高原に遊牧騎馬民族が誕生したのだという方もいます。


狼をご眷属とするチュルクについては、三峯神社参拝記で少し書いています。


サカ族は、ペルシア、インド、中国あたりを遊牧しながら、古代において、鹿をシンボルとして遊牧していた一族と考えます。


中国では、サカ一族を塞とよぶようですが、日本も縄文時代には塞の神を信仰していますので、海を渡ってきた一族の中に、鹿をトーテムとするサカ一族がいたのかもしれません。





サカ族との繋がりがあるかはわかりませんが、古代イスラエル12氏族のひとつにナフタリ族という一族もおり、「鹿」をトーテム(象徴)としていました。

ナフタリ族が来日したという伝承は無いようですが、鹿のトーテムを守りながら混血したのかもしれません。中国東北部の満州を拠点とした扶余族(ふよぞく)が神聖視していた動物が「鹿」なのだそうです。

いまでは、国の海域を侵さない取り決めがあります。(たまに破る国はありますが、、)

日本は他国と陸続きではないから、取り決めがない昔も、侵略は他国ほどありませんでした。しかし、海は要塞ではありながらも絶対ではなかったのです。


荒波や危険をおかしてのり超え辿り着いたもののみがこれる場所が古代、東の最果ての地、日本。東に神国あり、、。大きな和の国、、だったわけです。


その地へ、海難の危険をおかしてでも辿りつこうとする民には、国で覇者争いに負けたような一族もあり、新天地に希望を託した一族もいたかもです。


サカ族のトーテム、シカにちなんでかはわかりませんが、九州北部には、シカにちなんだ地名があります。福岡の志賀島(シカ島)でAD57年頃の中国から送られた金印が発見されています。


鹿で有名な神社は奈良の春日大社や鹿島神宮です。春日という地名は、実は福岡県にもありますので、九州にサカ族が入ってきて、地名などにつけ、その後全国に散らばって、鹿をトーテムにした名残なのかなとも勝手な空想を膨らませます。


役小角を助けた渡来人の偉い自覚という、飛鳥寺のお坊さんがいました。「鹿」の杖を持っています。

役小角の御魂に自分の尊敬する偉い古代の人物を見ます。神の国、争いのない国、饒速日命が創り上げた神の国の再建を出来るよう、飛鳥寺をでて、役小角に沢山教えます。


役小角は加茂族で、八咫烏とかと縁があります。鹿をトーテムとする一族は、饒速日命の御魂を通して融和する仲間だったのかなぁ思いました。

自覚は、役小角に、我らが王(饒速日命)の生まれ変わり、といいます。饒速日命は、素戔嗚尊のお子様で三輪山の御神体ではないかと思っています。


古代には、様々な種族がトーテムを身につけて、仲間かどうかを見分けたりしてたのかもです。


さて、さて、色んなトーテムがありますが、

鹿と鯰と、八咫烏、

鰐族もいました。

蛇や狼なども。


皆んな全ての生命は神様の分け御霊をお持ちです。人間だけでなく動物も、和することは、動植物が生きる野生の環境を守る意識にも繋がるのかなぁと思います。


その反面、


そもそも、人と人が会えばあらそうのが性ならば、

老子様がおっしゃるように、

で国を囲み、合うものだけとしか交わらない方が命を守るには良いのかもしれないとさえ思う現実を、今は見せられているようにも思います。


武器を持つものだけが生き残る?

もはや核戦争がおこれば誰も生き残ることはないです。


武器を持って自分の国だけ生きる?


相手が核のボタンを押さないか

ビクビクしながら、

押したら、こっちも押してやる?

そんなマインドで生きることが

本当に幸せだろうか。


沢山のお陰様により

生かされていたことに気づくと、

全てが有難いです。


世界が和する、

人が殺しあわない世界、

歴史の痛みを繰り返さない、、

そんな世界がいつくるのかなぁ、、と思ってしまいます。


さて、鹿の聖書のお言葉を再度書いておきます。クリスチャンではないですが。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしの魂はあなたを慕いあえぎます。

鹿は喉が渇いたら感覚を研ぎ澄ませ水を探し出すそうです。
主に対する飢え渇きを潤すべく、鹿のように神を求めなさいということ?
人はなぜ、渇きあえぐのか??
悔い改めるなら、潤いは与えられるのではないか。。

融和と分離、境目って何なんだろう。

鹿のような感覚で潤う水を探す。

燃え盛る炎を鎮火させ
戦いを停めるには、
静かに頭を冷やして
悔い改めることからかもしれないなぁ
と思ったりしました。


つづく



最新の画像もっと見る

コメントを投稿