
昨日の続きです
サカのつく神社ってないかなと調べたら、真っ先に、福岡県の坂本八幡宮(さかもとはちまんぐう)がありました。
この神社、梅の花を調べていた時に見つけていました。
元号「令和」のゆかりの地とされる神社です。坂本地区の守り神として、地元の方々に守られ、また、新元号「令和」の起源となった、「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地の1つです。
調べものの点と点が繋がったりすると、嬉しかったりします。
太宰府といえば、菅原道真公。
無実の言いがかりにより左遷が決まった道真公。悔しかったでしょうね。新幹線も飛行機もない時代。縁も縁も無い地に左遷。
幼少時から家の庭にあり親しんできた梅に、
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」
と詠って都を去りました。
道真公が太宰府に到着すると、一夜のうちに梅が都から飛んできたとの伝説があります。
梅と令和。
梅については
三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
出口直さんが国常立神の神懸かりをしたときのお話に出てきます。
なお(直)さんの筆先に「王仁三郎こそみろく大神」という啓示されたという出口王仁三郎さん。昨年知った方ですが、凄い大霊格者のようです。王仁三郎さんが梅に関して何か言ってないかな、、と調べていると、↓がありました。
王仁三郎さんの和歌より
「みな人の 眠りにつける 真夜中に 醒めよと来なく 山ほととぎす」
「梅の花 一度に開く 時来ぬと 叫び給いし 御祖畏し(みおやかしこし)」
また、霊界物語より↓↓
梅と桜
梅
梅うめは支那しな(※)から渡わたって来きたものだといふ者ものがあるが、さうではなく、昔から日本にあるのである。もつとも信濃梅、信濃柿といふのは支那から渡わたつて来きたもので、支那の梅、支那の柿かきの意味いみである。
桜
さくらでも日本の桜さくらは支那では咲さかない。又また土地の関係で京都から東へ行と桜は白くなり西にしへ行ほど赤あかくなる。
※注)支那は、紀元前3世紀末、中国を統一した秦(しん)王朝の秦の音がチーナChinaとかチンThinとして西方に伝えられたことによるという。なお、日本のアジア地域への侵略過程で、侵略を正当化する理由の一つとしてその地域の住民を劣等視したことなどにより、支那ということばに蔑視(べっし)の意味はないが、日本人が使用すると蔑称的性格をもち、また中国人も侮蔑(ぶべつ)感を強くもつため、第二次大戦後は使用を避ける人が多くなっている。(ウィキペディアより)
出口なおさんと、王仁三郎さんがおっしゃる、梅の花が開くとは、
日本人が大和魂を発揮し、
心の眼が開くことなのかなぁと、
生きとし生ける全てと和すること、
また、さらには霊とも和して、
良い塩梅へ霊主体従の姿へ
変化することかもかなぁと思いました。

日の出の神エビス神と梅の花
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