大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

聖なる国 日本

2023-10-27 06:56:00 | 神話・物語・本から

ジェロニモさんの本が

我が家に届きました。


本のご出版おめでとう御座います。


私はジェロニモさんのブログ

聖なる国 日本

によくお邪魔します。


様々な神社ブログがある中で

ジェロニモさんのブログの写真

がすごく綺麗で見惚れます。

御神気みたいにも感じます😌


私は日本が大好きです。

そして、日本語の言霊に不思議な魅力を

ずっと感じています。

自然のあるところに太古から建てられた

神社に参拝することも楽しみのひとつです

し、日本神話からも、太古の人々の生き様

感じます。

教祖経典のない神道が脈々と継続する

自然豊かな国、日本。

日本人独特のDNAに受け継がれた、和を

もって貴しとする、様々な異文化でさえ溶

かし融和する精神性を心から誇りに思いま

す。


ジェロニモさんは、全国津々浦々の沢山の

神社を参拝されており、私の参拝した神社

沢山参拝されています。

ジェロニモさんご自身の感性により

聖なる国、日本を感じ

はるか昔、私たちのDNAに残された

争いのない縄文信仰のことなども

ブログで独特の切り口で語られています。

既存の概念を超えた感性で本にはもっと詳し

く書かれているのかなと楽しみです。


ゆっくり読んでみます😌


聖なる国、日本


本の帯の言葉

「私たちは自然の一部であり、宇宙の一部である。」

まさに同感です。🙏

最初の数ページを読んだだけでも、素晴らしい内容だなと感じました。

先が楽しみです。


なぜなんだろう

2023-10-26 09:36:00 | ひとりごと

なぜなんだろう


なぜ人は敵と味方に分かれるんだろう


なぜ人は人がいる建物に爆弾を

落とせるんだろう


なぜ人は人をあやめる爆弾を

作るんだろう


お金は蜜の味ですか?

人をあやめてまでお金欲しいですか?


なぜ人は誰かを傷つけてまで

自分の利を求めるんだろう


なぜ人は正義をふりかざして

人をあやめることができるのだろう


そんな正義なんて

くそくらえ


なぜ私は泣き叫ぶ子供達の映像をみて

助けてあげることが出来ないのだろう


無力感が


押し寄せる



2023-10-25 06:42:00 | ひとりごと

徳には道徳、明徳、陰徳、玄徳などがあるようです。

明徳とは、天から与えられたすぐれた特性のようですね。

古代中国の書には

大学の「道」は明徳を明らかにするにあり

とあり、原文は

「大学之道、在明明徳。」 

となっています。

意味は「君子が実践する大いなる学問の道は、天与の徳(良心・仁)を明らかにすること」のようです。

大学とは、〇〇大学とかを思い浮かべそうですが、ここでいう大学は、古代中国の書であり、

天下国家の政治もその根本は一身の修養にあることをといているのが『大学』みたいですね。


一身を修養するわけですから、生涯大学みたいな感じかなとも思います。単位を取得したら卒業とか、そんなものではなく

大きすぎて決して捉えることの出来ないもの、人が全身全霊をかけ生涯「学び」続けるのが大学(大いなる学)であり、学びの対象は無形のようにも感じます。

徳が道(どう)に則っていれば道徳です。道は無形ですが、陰徳や明徳というくらいですから、陰と陽の働きはありそうです。

「徳」という字の本字は、「悳」と書いていたそうです。「直」の下に「心」を書いた字が本なので、漢字からみると「素直な心」で「行う」のが徳です。

「大学之道、在明明徳。在親民、在止於至善。」

大学の道は、至善に止まるともあります。

「道」が素直な心からの行、「徳」と一体なると、自然に至善となり、それが明らになったものが「明徳」なのかもです。

徳は行動が裏づけになっているとすれば、原動力となる行動も道(ドウ)に則したものになります。

道って奥深いですね。

陰徳は、影で人知れず、人のため、社会のため、大地のため、地球のための行いのようにも思います。

明と陰は、対の概念のようにも思われそうですが、何かをすれば、思うだけでも、何か見えざるもの(陰)を残します。

その、見えざるものこそ、大いなるものを下支えするものであり、道に則っていれば陰徳となるように感じます。

徳の根が陰徳で、根をじっくりと土の中に深めながら、茎や幹が息吹きます。その目に見えるものは明徳かなと思います。

根と茎や幹は繋がっていますから、実際は一つのもので、この一つのものこそ、道の一部かもしれません。

日本神話でいうと、国常立神です。大地の神、隠れて下支えしてくださる神様です。天地の自然の運行の地の部分をしっかり支えて、無形の恵みを与える存在です。


「徳奥」という言葉が中国語にあるようです。陰徳のさらに奥の働きのように感じますから、玄徳に近い気がします。玄徳とは、老子によりますと「産みだしても所有せず、成功しても誇らず、そこで最高になっても支配するようなことをしない。 それを玄徳という」とあります。

徳奥は日本語にはありませんが、

中国語では「ドウ」と読むようです。

道という漢字が当てはめられていなくても徳の奥も「ドウ」なのです。


始めに言葉ありき。ドウという響きは

文字の無い時代にも実はあったのではないかとさえ思いました。

原初にただ存在した一。

大学の「道」は明徳を明らかにし

また至善に止まります。

至善は、自然と同じ響きです。


道の教えである道徳経を2500年も前に残し、無為自然を説いた老子。

道、徳、自然の理を81章に全て凝縮します。「明徳」出版からでた道徳経の書は素晴らしいと思いました。


名づけることの出来ないもの。無名、無形の道(ドウ)。それは、妙(ミョウ)でもあり、本来、ヒトが求めるべき道(ドウ)であり、また「未知」ではあるけれど、必ず脈々と続いて行く唯一無二の大いなるもののように感じます。


生まれる前の誓願

2023-10-20 07:05:00 | ひとりごと
生まれる前に
だれしも誓っているのかもしれない

どんなことがあっても
神様をお助けする存在としていきてきますと

神様から大切な一部を
いただいたからこそ
この世に生まれでてこれました
感謝しますと

あの父母は私には丁度良さそうです
いってきます

生まれてみたら
生まれてこれた奇跡など
忘れ

あれもこれも
神様の足を引っ張って
生前の誓いなど
どこ吹く風

自分の意見と違う他者を
批判したり
傷つけたり
争い
戦争さえはじめ

争いの最中でさえ
自分や自国だけは正義のように
ふるまい
のたまい

他の内にある
善なる所を探さず
悪い所をあげつらう

他者が一見悪くみえる時は
実はその要素は自分にもあり
戒めや教えが分断にあることなど
気づきもせずに

出会うべくして
出会った
その他者こそが

自分へのプレゼントであったことなど
気づきもせずに

気づかない自分の愚かさには
盲目のまま

なんと我がままで
気ままな存在なのだろうと
我が身をも振り返り
反省する

せっかくいただいた
この身体

生まれる前に誓った
神様のお役に立てますという
言葉どおりに

与えていただいた命を輝かせて生きる

私の魂は今輝いているだろうか
これをつねに自問自答する

一様に例外なく
神の子なのだから
命を輝かせて生きる選択をすることは
生まれてきたものの
使命の中のひとつかもしれない





鉄の功罪

2023-10-12 06:15:00 | 神話・物語・本から

タタラが最初に行われた可能性がある福島県相馬市。踏み吹子による火力により鉄をうみだしました。

エネルギー繋がりでいうと、福島は原子力発電大事故による未曾有の被害を受けました。

福島の浜通りに住む多くの方がエネルギー産業に携わっていますし、相馬の海沿いはそのような現場が多いです。


スマホの無い時代を生きたスマホが当たり前の娘とは、スマホの絶対値に違いがあります。

電気がない時代を生きた人は、今の電気が当たり前の時代にきっと驚くでしょうし、そのように文明は姿を変え、どんどんと発展し、当たり前を増やします。


青銅器から鉄器へ。ふいご(鞴)の後、鉄の生成もたたらへ。タタラは山を切り崩したり、自然破壊と結びつきます。

鉄がもたらしたものは、成長の過程での功罪が大きいですが、功でいうと、太古の人々の生活、衣食住を豊かにしました。


衣についていうと、

「大量」の鉄針🪡は、人々が寒く無いように衣を作るのに役立ったことでしょう。

「大量」(オオハカリ)は、カモ氏のアジスキタカヒコネが使った剣の名前です。

アジスキタカヒコネネは、立派な鋤の、高く輝く太陽の子」と御神名を考える説もあるようですが、農具である鋤(スキ)の神でもあるので、食を豊かにした感じもします。

自然による錫の生成が葦(アシ)の周りに自然に、鈴なりに出来る褐鉄鉱を、お名前から感じます。

食に関しては、カモ氏は製鉄の技術を用いて、農具だけでなく、治水工事や灌漑工事にも役だてました。


住居を作るにも、鉄の道具は大切。神々は鉄を人々が暖をとり、飢えず、定住できるように、生活に役立てるために太古の昔に与えてくださった気がします。

また、産業革命のあとは、馬での移動を鉄道へと無限大に可能性を広げました。


しかし、鉄の罪としては、力と結びつき、馬に乗り鉄剣を振りかざし、命を奪い合う戦争があります。

また、タタラは、山を切り崩し自然破壊をもたらしました。時代は後になりますが、蒸気機関車は大気汚染をもたらします。

功罪は裏表。文明を開くにはさけられなかったのかもしれません。


太古に、鉄や鉱物の生成に感謝を捧げるていたのが蝦夷が守り続けてきたアラハバキ信仰なのではないか、、と思います。

アラハバキは艮(北東)の方角にある東北の地に、押し込められました。北東は艮の金神、祟り神がいるとされてきました。しかし、その地こそ日の出の神が昇る聖なる地かもしれません。


鉄は善悪の色合いなどなく、人の産み出す想念や使い方次第です。古代史を見ても、人の心と、それが形になったものが土地の磁場となるような気がしています。


エネルギーを生み出す磁場の強いところは、そこに住む全生命体の気の蓄積にもあるように思います。

土地のエネルギーは神々から無償で与えてもらっていますが、人のエネルギーは一人一人が大地に返すもの。

足るをしれば、取りすぎず、無いところに自然と流れ、水のように低いところへ平坦に行き届く。当たり前でなく、全て有難い。


福島は福の島です。福島浜通り原子力発電事故のあった土地は、日本や世界がどんどん欲により危険を犯し、戦争をし、地球をも脅かす可能性をはらむ今、防波堤となりあの痛みを全身で受けてくれた土地だと思います。


自然は山も海も大気も物言わず、人々がなすまま全て受け入れてくれています。

しかし、昨今の100年に一度や1000年に一度や、過去例を見ないレベルの災害や異常気象の多発、これは、人間が生み出した業を自ずと受けている警告なのかもです。


昔は土葬でしたから、人は死んだら土に還りました。肉体は死んだら土(自然)にかえるのが当たり前。だから、人は大地を自らもいずれは吸収される、還る宮として大切に思い感謝していた気がします。生きている時から分離していなかったような気がします。


歴史の壮大な流れの中、見かけは発展しているようですが、実は後退しているのかもしれません。

ただずっとあるがままの自然の中に生かされている極小さな存在である自らの身魂を磨き、大いなる自然に御魂返しをしていきたいです。


【画像はお借りしました】