のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

あ、それ僕!

2009-08-15 | メディア
 新しいフルートにほんの少し重さが欲しいので、テープを巻いてみました。本番前に練習をしている時は大丈夫だったのですが、片側が本番で剥がれてきてしまい、7センチぐらいの剥がれてしまったテープをばたつかせながら演技をすることになってしまいました。
 その一回目のショーには元KAのアーティスト、アルビンと、ダラン、ベッキーが訪れてくれていました。ダランとベッキーに会うのは久しぶりのこと。ショーの最中は忙しいので、固くハグをすることだけが出来ました。
 二回目はテープをどうしようかと考えました。テープは剥がれてしまいましたが、少し重さがあった方がやりやすいのです。そして、一方の剥がれなかったテープを信じて、また付けて出ることにしました。しかし、それでもまだ軽かったようで、その上、身体が一回目よりもさらにエネルギッシュになっていて、一本で踊っている時に、フルートが飛んでいってしまいました。終わってから確認してみると、ものすごい勢いで飛んで行ったフルートは、後ろの柵に有り難くもぶつかり、リフト5下まで落ちていかなくて済んだようです。統計的に今日は、失敗の確率が高い日であることは分かっていましたが、今月はコントロールし切れませんでした。
 今週は不安定で、調整することも上手くいかず、いらして頂いた方々に申し訳ないことをしました。

 ダランとベッキーがラスベガスを訪れているので、いつもの居酒屋で集まることにしていたのですが、KAの仲間が身体の調子を悪くしたり、予定が立たなかったりで、少人数での集まりになりました。お蔭で私は彼らとたくさん話をすることが出来ました。
 二人がKAの後に臨んだマカオでのショーZAIA、いろいろと目に余ることがあり、4月に辞めてしまったそうです。その後は旅を続け、今はカナダの西岸からモントリオールまで農家を回りながら、なんと自転車で旅をしているとのことでした。
 そんな楽しい話を聞いていると、先日お会いしたこれからシルクデュソレイユのアーティストになる日本人の方が、いらっしゃいました。メールでのお知らせを今見たと言って、駆け付けて下さいました。彼もこれからシルクデュソレイユの本部があるモントリオールまで車で向かうということもあり、話は盛り上がりました。
 さらにダランも彼も元体操の選手であり、その話をしていると、彼はカナダの体操クラブを訪れたことがあり、それがダランが所属していた体操クラブであることが分かりました。ダランがいつ頃そのクラブへ通っていたかを話すと、年齢を訊きました。そして、お互いが28歳で同じ年だと分かりました。するとダランは、
「そういえば、僕のうちに日本人が二人ホームステイしに来たよ。名前は覚えていないけれど、大きい子と小さい子だったなあ。」
 ん、と首をかしげる彼。そして
「え、もう一度あなたの名前教えてくれる?」
「ダラン。」
「あ、それ僕!」
 10年ほど前、ダランの家にホームステイした大きい子は、なんと彼でした。私はお店にいる人が振り向くほど大きな声で笑ってしまいました。こんなことが起こるとは思わずに、彼のことも招待しましたが、こんなに楽しい再会に居合わせられ、嬉しい夜となりました。
 彼は早朝グランドキャニオンに向けて出発をするというので、それまでの数時間仮眠がとれればと、一緒にアパートに戻りましたが、ここでもたくさん話をすることになりました。
 いろいろな経験をし、いろいろなことを考えながら生きている彼は、クリエイションチームの中で重要な人物になることでしょう。クリエイションの中で彼はどのように磨かれ、本番ではどのような演技をすることになるのか、それを見るのは本当に楽しみです。


 先日取材していただいた『アナザースカイ』は、8月28日(金)日テレにて放送予定ということです。矢口真里さんがゲストの回になります。

手のぬくもりで

2009-07-01 | メディア
 客席にいらっしゃる、振付家のジャック・ハイムさんのことを考えながら舞台に立っていました。昨日彼と話したことを思い出しながら、予期せぬことが起こる人生を振り返りました。そして、彼と仕事が出来たことはどんなに意味があったことなのだろうと、改めて感謝をしました。
 終わると、広報担当者に呼び止められました。「25周年のイベントが8月にあって、各ショーから一つずつアクトを選んでいるところなの。KAからはあなたをと思って…。」思いがけない、そして光栄なことでした。
 話をしている最中に、ジャックさんがいらっしゃいました。感想を伺いたいところでしたが、広報担当者との話はすぐに終わらず、伺えませんでした。でも、彼は私の方を見て微笑み、肩に優しく手を置いて過ぎて行きました。ぬくもりは心にまで伝わりました。
 8月のイベントには、飛行機で飛んで行きます。久しぶりの出張、楽しみです。

 SUCCESS Media発行の『ACHIEVE~夢を達成するためのバイブル~』2009 Summer号に掲載されているとご連絡を頂きました。
 また、日本時間7月8日16時頃からラジオ番組に出演させて頂く予定です。JFN(ジャパンFMネットワーク)の『flowers』という番組の“ワールドフラワーズネットワーク”というコーナーということです。

ようやく、いろいろと

2009-06-22 | メディア
 ようやく冬物のブーツを磨いて、仕舞う事が出来ました。また、先日のパーティで着たものもきれいにして、仕舞う事が出来、ほっとしました。
 パーティのあった週に出ていた週刊誌の表紙も、ようやく写真に収めることが出来ました。シルクデュソレイユの25周年にちなんで、各ショーの写真でまとめていましたが、KAは私のキャラクターの写真を使って下さっていました。
 夜、少しの時間訪れた公園は気持ち良かったです。まだ夜は涼しいので有り難いです。
 今日は山芋を見付けたので、だしをとって冷やし山かけそばにしました。とてもおいしかったです。そして、久しぶりにカヌレの種を仕込みました。今は冷蔵庫で就寝中。焼き上げるのが楽しみです。

彼が会いたがっていた訳

2009-05-20 | メディア
 ふと、クリエイションの時のことを考えていました。いろいろなことに挑戦する機会があり、楽しかったなと。今は、全く初めてということに挑戦する機会はないかもしれません。でも、ちょっとした新しいことがあったり、少しの違いがあったり。そして、その小さなことを楽しめる自分で良かったなと。
 そんなことを考えながらトレーニングルームで過ごし、本番の準備に更衣室へ戻ると、衣装部屋の方が私の席の蛍光灯を交換してくれているところでした。そして、
「新聞見た?」
 と。見てないことを言うと、
「え、見ていないの。あなたのことが書いてあったよ。」
 きょとんとしていると、小さな声で、
「マイケルジャクソンが今度のツアーであなたのことを使いたいって。」
 私は本当にびっくりして
「本当ですか。」
 と何度も訊きました。すると、
「インターネットでも見られるから、印刷して持って来てあげるよ。」
 と。初めは小さな声で話していた彼ですが、彼も興奮してきて最後には大きな声になっていたものですから、更衣室の反対側にいるエリカにまで聞こえていました。彼が出て行くと、エリカがこちら側に来て
「すごいじゃない。私はあなたのことが大好きだし、ここからいなくなってしまうのは残念だし、淋しくなるけれど、話が来たら考えるべきよ。考えないっていうのなら、私が追い出すからね。」
 と喜んでくれました。
 私はドキドキして、でも新聞を見るまでは信じられないと思い、落ち着くようにしようとしていました。すぐに記事を持って来てくれたので、それを見ると、確かにそんなようなことが書いてありました。そして、もうショーが始まるというのに、手が震えるようにドキドキしてしまうことになりました。
 衣装に着替え、カツラも着け、いつものようにトレーニングルームへ行き、静かになったトレーニングルームで心を落ち着かせようとしていました。すると私の様子に気付いたのか、ただの偶然だったのか、コーチのエイドリアンが、
「大丈夫?」
 と話しかけてきました。
「いや…。」
 と言いながら、彼になら話してもいいかと、大丈夫でない理由を話しました。
「ああ、そんなような話、誰からか聞いたよ。でも、今日彼が観に来るわけではないんでしょ?」
 とエイドリアン。確かにそうですが…。
「ごめんね、心落ち着かせているところを邪魔しちゃったかな。」
 いえいえ、きっと誰かに話した方が良かったということでしょう。
 緊張は毎日しますが、このドキドキは手が震え、良くありません。なんとかなるのだろうか、いや、なんとかしないと、と思いながら時を過ごしていました。今ここにいる私は、この今行われているこのショーをしっかりと務めることが一番大事なことなのです。それが出来ないのなら、この話はないものとなるでしょう。そして、話を聞いてから1時間ほど経って、ようやく手の震えはなくなりました。
 この話がどうなるのかは分かりませんが、何かが動き出しているような気がすると楽しくなってきました。そして、その気持ちを上手く胸に納めることが出来、無事に舞う事が出来ました。
 帰宅してから、もう一度その記事を見ると、初めの五行ぐらいで終わっていると思っていた私のことが、その後も続いていました。
 マイケル・ジャクソンさんがKAをご覧になった後、「あのバトントワラーに会いたい。」と連絡をして下さったとき、もしかすると彼は私を子供と思ったのかもしれない、などと思ったものです。でも、もしかするとアーティストとしての目で私のことをご覧下さったのかもしれません。KAでの私の舞と、彼のコンサートで行われているだろうこととは、見た目にはあまり共通するところがないように思えますが、もしも彼がその舞の中に何かを見出して下さっていたのなら、光栄なことです。
 記事の続きを読むと、あの偉大なアーティストが本当に私のことを気に入って下さったことが分かりました。でも、この記事だけ読むと最近のことに思えますが、彼がKAを訪れたのはもう随分前のことです。今やもう、私のことなど忘れているかもしれません。そして、彼のツアーに参加をする話などきっとないことでしょう。でも、これがきっかけで何か変化が起こるかもしれないと思うと、楽しくなってきました。その日が来るまで、私は今まで通りに、毎日のKAの舞台を誠実に務めていきたいと思います。

 『REVIEW-JOURNAL』の記事はこちらでご覧いただけます。http://www.lvrj.com/news/45462952.html
 また、5月24日発売の小学館、雑誌『プラチナサライ』2009年7月号に掲載して頂きました。

動揺腕を震わす

2009-05-02 | メディア
 今日はお客様をお迎えしているのがいい緊張となり、気持ち良く準備をしていました。ところが影絵が終わった後に舞台裏へ戻ると、衝撃的な話を聞かされ、動揺に一転。フルートを持ち、トレーニングルームへ上がると、それは腕を震わしているのが分かりました。
 状態はあまり良くないまま舞台へ出ていくことになり、フルートを回し始めると、ハッとするところがいくつもありました。でも、ご覧頂いている方々が力を送って下さっているのが良く分かり、お蔭でなんとか切り抜けられました。そして、空港でお会いしたトワラーの嬉しそうな笑顔を思い出すと、心が安らいでいくようでした。
 二回目は、そのトワラーのご家族4人がいらして下さいました。二回目までには、動揺をいい緊張に戻すことができ、さらに、みなさんが温かく見守って下さったのでしょう、とても気持ち良く舞う事が出来ました。
 終わってからお会いすると、みなさんとても喜んで下さって、無事に終わったことに感謝致しました。


 先日掲載して頂いた雑誌『Las Vegas Weekly』のウェブサイトを教えて頂きました。
 http://www.lasvegasweekly.com/news/2009/apr/30/noriko-takahashi/

一体型エアバッグ導入

2009-04-30 | メディア
 ジェイロの事故があってから、ようやく新しいエアバッグを考え始め、ここ数週間はそれに伴うリハーサルがたびたび行われていました。新しいエアバッグは、壁となる部分と床となる部分に境がなく一体型になっているので、今までのように境目に入り込んで鉄の柵やコンクリートの床に身体を打ち付ける心配がなくなりました。これは、お客様から見えない部分なので、アーティストはもとよりバックステージテクニシャンの方々がもっとたくさん働いて、毎日のように早出出勤をしていました。
 今日は最終点検となるリハーサルが行われました。そのために、クライムのアーティストだけではなく、その前のシーンに出ている私も呼び出されました。一回目は作業用の照明でクライムのシーンだけアーティストを入れて行い、二回目はショーと同じ照明にして、あとは同じようにビーチのシーンから行いました。ビーチのシーンでアーティストが安全ネットの上に落ちると、エアバッグを膨らます作業が始まります。私はその間に出ていき、影絵が行われている間にエアバッグが膨らみ切ります。エアバッグに空気を入れるのにどれだけ時間が掛かるのか、影絵は延長しなくて良いのかなどを確認しました。全てのことが上手く運ぶようになったので、今日からついに新しいエアバッグがショーで使用されることになりました。ショーの中でも無事に作業は行われ、問題なく新しいエアバッグは導入されました。
 クライムは一度それをするだけでも体力的に相当きついと思いますが、今日はショーの前に二回行い、そしてまた本番で二回行ったわけです。クライムのアーティストのみなさん、本当にご苦労様でした。そして、裏で働いて下さったみなさんの毎日の作業にも感謝いたします。

 ラスベガスの無料週刊誌『Las Vegas Weekly』に載せて頂きました。撮影したのは一年ほど前。たくさんの質問にようやく答えましたが、それはあまり載ることなく。それは良いとして、私の役は“the baton-twirling daughter of the chief archer”となっていました。

手紙で嬉しく締め

2009-02-14 | メディア
 今週は嬉しいことが毎日あって、幸せな一週間でした。そう思いながら、ショーの後にステージマネージメントに挨拶に行くと、手紙を渡されました。初の海外旅行、一人旅でKAを観に来て下さったという女性から。ショーをご覧になった後、手紙を書いて持って来て下さったようです。今週は最後まで本当に嬉しいことの詰まった一週間になりました。
 ラスベガスマガジンという、雑誌の表紙に私のキャラクターが使われていました。これは週刊誌で、発行が8日でしたから、明日には新しいものが出てしまいます。ショーの後にカジノの中や街を探してみましたが、見付けられませんでした。どなたかが持って来てくれたこの一冊が、貴重な記念の一冊となりました。

私だってデビュー

2009-01-28 | メディア
 父役のための最終ステージングがありました。いかにも今日デビューするという感じで。でも、昨日のミーティングでは、今日のデビューはないと言っていました。英語が堪能なあいちゃんに確認しても、やはりそう言っていたと。どちらなのか、何人にも尋ねることになりました。そして「ああ、あれはね、私達英語を話す人にはよく分からない時があるのだけどね、フランス語を話す人のある種の言い回しなのよ。」というジェニファーの説明で、デビューしないと言ったことが、デビューするということであったということが分かりました。みなの前で話す時は、せめてこういうことはストレートに言ってもらいたいものです。
 という訳で、私が忙しい父役なしのショーは、昨日が最後であったようです。最後のそのショーを最後だと感慨にふけることはできませんでしたが、精一杯のことは毎日しているので、悔いはありません。
 ステージングでは、アーティスティックコーディネイターがちょっと良く分からないことを言ったり、私達が説明をしても理解してもらえなかったりということがありました。「彼女、起きたばかりなんじゃないの。」などと言う人もいました。クリエイションから居た私達の方が、細かいことが分かっているので、新しい父役に彼女が出している指示の内容が、少し外れているように感じることがあったのです。でも、まあ、今は彼女に従うしかありません。
 一つ一つのシーンのステージングは行ったものの、ショー全体を通して練習はしていません。きっと衣装の受け渡しのことなどは、衣装部屋には伝わっていないだろうと、自分で話しに行きました。でも、その話は上の人で止まっていたようで、実際に裏を走り回って下さっている人には伝わらず、ショーの最中にステージマネージメントが確認に来ました。私は一つ確認し忘れたことがあり、そのシーンを行う前に、ステージマネージメントに確認に行ったり、それをまたアーティスティックディレクターが確認したり、プロップスの人がフルートの置き場所を確認しに来たり…。一回目のショーは、裏でバタバタしていました。
 父役グリシャのデビューは、私にとってもデビューのようでした。ほとんどの人は気付いていないのですが、父が戻るということは私には大きな変更なのです。新鮮であり、ドキドキしました。そして、父役の動きを見ながら演技をしていくのは楽しいことでした。
 二回目のショーになると、準備をするタイミングや小道具の持ち方などが自然と思い出され、以前と同じように行動している自分を所々に発見し、可笑しくなりました。良く考えれば、父役有のショーは1000回以上しているわけですから、500回しかしていない父役なしのショーよりも、より身に付いているわけです。
 ショーの最中には時間が生れ、以前はこの時間をどう過ごしていたのだろうと考えました。今日はとりあえず、ショーが終わってから行っていたことをしてみました。これからは、少し早く帰宅することもできそうです。
 父役が戻り、とても嬉しい一日でした。


 WBTFのウェブサイトに載せて頂きました。
 http://www.wbtf.org/

広い海、広い心

2009-01-14 | メディア
 浴衣に早く着替えないと、と思いながら、結局朝まで着替えずに寝てしまいました。砂風呂の予約は朝7時20分。それまでに、昨晩11時までは男湯だった温泉に入れそうです。母を誘って行きました。
 お風呂は二つありました。でも、どちらも熱くてとても入れません。幸い母と二人でしたので、小さい薬湯の方に水を注ぎ、温度を下げて入ることが出来ました。薬湯には、みかんが浮かんでいました。効能は美肌。
 薬湯にだけ入って出ると、砂風呂の係りの方が来て、「ああ、入るの反対のほうが良かったですね。きっとのぼせちゃいますよ。」と言われましたが、すでに遅し。「頑張って入りますか。」の言葉に、そんなものかと入ることにしました。
 昨晩の桧おがくず風呂のように、専用の浴衣に着替えて砂の上に寝ると、砂を丁寧に掛けてくれました。おがくずより重みを感じます。父、母、私と川の字に、と言っても見えているところは顔だけですが、並んで砂風呂に入っているところを見てみたかったのに、カメラを忘れてしまいました。
 じわじわと熱くなって、汗も出てきます。係りの方には「お尻から熱くなりますから、熱くなったらお尻を振って下さい。」と言われたのですが、私は特に左脚が敏感で、左脚が悪いのかと思いました。
 15分入ると、砂を落とし、シャワーを浴びます。その後、そのまま大浴場へ戻りましたが、湯は、今度は外へのドアが開けてあるのにまだまだ熱く、母と二人で「湯もみ。」などと言って湯をかき混ぜましたが、温度は下がらず、結局入るのをあきらめて、湯を身体に掛けて出てきました。
 出てしばらくすると、朝食。今朝も魚の多い食事です。今回の日本滞在中、私は魚になってしまうのではないか、と思うくらい魚を毎食のように食べました。ラスベガスに帰って、「魚くさい。」と言われても不思議ではありません。
 その後の行動は、珍しく無計画。でも、選択がある度に、結局母の「私、吊り橋に行きたい。」で、城ヶ崎海岸の門脇吊り橋へ行くことになりました。これは良い選択でした。お天気も良く、城ヶ崎ピクニカルコースを歩くにはもってこいの日。海は青く、波打ち際の白が映えます。日本にも良いところが、行ったことのない良いところがまだまだあるな、と思いました。
 富戸のバス停で、ここでバスに乗るか、電車の駅まで歩くか迷いました。父が電車の時間を控えていたのですが、時間にゆとりはありません。しかし、私達は『第5回伊豆急全線ウォーク』に参加をしていたこともあり、“駅に向かって上り急坂”と書いてある地図を見てはいたものの、そのまま進む選択をしました。
 これが本当に急坂で、さらに時間がないので急がなくてはならず、二人は息を切らせながら頑張って歩きました。頑張って歩いて、列車到着4分前、ようやく駅に着きました。
 駅では一区間歩いた記念品の切手をもらいました。そして、頑張った甲斐あって、来た電車は展望車のある“リゾート21”。電車好きな父は大喜び。展望車には、席が空いているのが見られたので、先頭車両まで歩き、見晴らしの良い席に座ることが出来ました。運転席との仕切りがないので、運転手さんがいろいろと確認する声もよく聞こえて、とても楽しい乗車時間でした。
 終点熱海で一度改札を出て、昼食をとることにしました。私は“鯵のたたき丼”を頂きました。帰りの東海道線の中からも、海がきれいに、大島もよく見えました。
 家に着くと少し忙しく、治療をして頂く準備です。いつも身体を診て下さる先生のところへ私が行くことが出来ず、有り難いことに、先生がいらしてくださることになりました。
 先生がご到着されると、一休みすることもなく、すぐに診て下さいました。お時間に限りがある中で寄って頂いたので、先生は出来るだけのことが出来るようにと思って下さったのでしょう。
 私はぎっくり腰をした時に、この先生に電話をして治療方法を教えて頂きました。お蔭様で2日で動くようになりましたが、きちんと先生に整えて頂かなくては、と思っていました。
 ぎっくり腰の時のことを考えると、今やそんなことを忘れてしまうぐらい動くことは出来るのですが、予想通り、「よくこの身体で動いていましたね。」という状態であったようで、いつもより整えるのに時間が掛りました。思った通り、砂風呂で熱さを感じた左脚も悪かったようです。
 時間を掛けて治療して頂く間、私は先生のいろいろなお話を伺うことが出来ました。先生は、他の治療家が全く治せなかった身体を見事に治してしまうほど、身体のことをよく分かっていらっしゃる先生なのですが、今もなお学ぶ姿勢を持ち続け、さらに、ご自身が得た“大発見”を惜しげもなくみなさんに教え、今に、後に伝えていこうとされています。先生は「元々教員でしたから・・・。」とおっしゃいますが、これは先生の広い心があるからで、本当に偉大で、そしてその心がまた人の身体、心に響いてどんな痛みも和らげてしまうのだと思いました。私はもう10年以上も先生にお世話になっているそうです。素晴らしい先生に出会えたことに改めて感謝いたします。

 6日に日本に着いてから、たくさんの再会をし、楽しいときと有意義なときを過ごし、今日はゆっくりと“休暇”を楽しみ、身体も整えて頂きました。さあ、いよいよ帰り支度です。


 1月16日(金)20:00~21:00、テレビ東京系全国ネット『世界を変える100人の日本人!=JAPAN☆ALLSTARS=』で紹介して頂けることになりました。

走っても10分は生まれず

2008-12-05 | メディア
 テレビの取材が始まりました。約束の時間にお会いすると、ディレクターの方が飛行機の故障でいらしていないことが分かりました。それでも2日しかない取材時間なので、台本をお持ちの3名の方が、一生懸命に考えながらすこしずつ撮影を開始しました。
 そのうちにディレクターの方がお着きになり、街を歩いたり、劇場をご案内したり、お昼を食べているところを撮影されたり。メイクの撮影は明日でしたので、その時間は通常通り更衣室で。その後ヨガの撮影を終えると、劇場へカメラを設置しに行きました。
 昨日、「もしかするとテレビの方が下見をしているかもしれない。」と思っていたのですが、そういうこともなかったようで、カメラの方に「ショーの中ですぐに分かりますか。」と訊かれていました。一回のショーだけ撮影する予定にされていたので、見逃さないで撮影できると良いな、と思いながら舞台に立っていました。
 ショーとショーの間というのは余裕の時間がほとんどありません。そこに、10分のインタビュー時間を生み出すのは本当に大変でした。移動は駆け足で、本当に走って用事を済ませたのですが、もしかしたら…とお伝えしていた通り、遅れてしまいました。終わると大きくため息をつき、体中の空気を入れ替えました。
 普段、ショーとショーの間に座ることもあまりありませんが、今日は駆け足でしたので、落ち着く時間もありませんでした。ウォーミングアップする時間も十分にないままにコールが掛かり、地下の待機場所へ向かうことになりました。
 そこから、普段あまり合わないアーティスト達に会って、面白いことを言われたり、あまり見たことのない表情を見たり、演技のことを言ってくれたり…。こういう時、助けられることが多いのです。有り難く嬉しく、元気を回復して笑顔でショーをすることができました。
 今日のお腹はショーとショーの間にクッキー一枚ぐらいは入れておきたいものでしたが、その時間もなく、とてもお腹が空いている状態でショーをしていました。終わるとお腹がすきすぎて、メイクを落とす前にご飯を食べました。
 今、モニターをショーの間に使っていない時間は、KA最初のコンセプトの映像が流れています。そこではコンピューターグラフィックを使って舞台の動きを表したものと、実際に人が動いて、こういうものがここのシーンには入るということを見せています。キャプティビティのところは、私がシルクに送ったビデオの一部から、練習着姿でバトンをグルグルグルグルグルグル回しているものが入っているので、初めてこれを観る人は驚いていたようです。私はモントリオールへ行った直後にこの映像は観ているのですが、オリジナルのキャスト以外はこれを観たことがないことでしょう。KAの原点を今観ることは、彼らだけでなく、今の自分にとってもいいことのように思えました。

 12月6日発売の株式会社アルク、月刊『ENGLISH JOURNAL』1月号に掲載して頂きました。