ショーの後、友達のお蔭で空港には早く着いたのですが、手荷物検査場は長い列。一つしか開けていないようです。飛行機に乗ったら直ぐ寝たいので、列に並びながらおにぎりを食べました。
搭乗口には、ギリギリに着きました。航空券のバーコード読み取りが上手くいかず心配しましたが、それは、ファーストクラスに無料アップグレードされているためでした。手荷物検査場で並んでいる時に確認しましたが、三十一人リクエストがある内の十七番目でしたから、諦めていました。国内線なので、国際線のファーストクラスとは違いますが、大きな座席でゆっくりと寝られるのは嬉しく有難いことです。
アトランタ空港は広かったです。帰りの乗り換え時間が短いので、気になりました。面白いアイスの自動販売機を見付けました。
この待ち時間にホテルの手配がようやく出来ると始めたのですが、インターネットに接続出来ず、結局ホテルも決められないままバトンルージュへ。
友人のご家族が迎えにいらして下さいました。バトンルージュへの旅も、友人のご家族にお会いするのも急に決まったことなので、何の準備も出来ないまま、さらに、友人は家族に任せれば良いというので、そのつもりでいました。
「これからどうするの。」
答えにまごついていると、
「お昼を作るから食べに来たらいいと思うのだけど。」
友人は、彼らがバトンルージュに住んでいると教えてくれましたが、空港から一時間も離れたところにお住まいでした。往復で二時間、お昼を作る時間と食べる時間。ショーの時間までに帰って来られるのか心配でしたが、そこへ行かなければ、車もお借りできないことが分かりました。帰りは一人で車を運転して帰って来ることになることも分かり、注意深く周囲を見ながらいました。
彼らの家は、広い敷地の中にありました。
娘さんのことは良く覚えていました。彼女のお腹は大きく、二人目の子が生まれるそうです。家の中は、どこに荷物を置いたらいいのか困る感じで、居場所も見付けられずにいました。コンピュータをお借りして、ホテルを予約しました。ワニを見に行こうと言われていたのですが、その時間はありませんでした。
お昼は、ルイジアナ料理を作って下さいました。揚げ物は外でしていました。
ザリガニのスープをご飯にかけて、外で食べました。
バトンルージュへ戻りました。結局彼らもバトンルージュへ出てくることにしてくれて、彼らの後を運転しながら。
ホテルのチェックインを済ませると、着替えてすぐに『VAREKAI』の会場へ向かいました。右の車線が混んでいると思ったら、それは駐車場への長い列。並んでいると間に合いそうにないので、先へ進み、路上に停められるところを探しました。会場から遠くても、停めてしまえば走れます。自分の足の方が確実です。チケットを受け取るのに時間が掛かりましたが、なんとか間に合いました。
テントのショーからアリーナのショーへなったものを初めて観ました。アリーナを半分だけ使って、テントの円形のような雰囲気はそのままでした。
楽しみにしていたバトン、一本、二本、三本、他のアーティストからバトンを渡されたり、返したり、一緒に動いたり、ソロなのですが、絡みもあるので練習するのが大変だろうと思いました。彼女は落ち着いてたっぷりと演技をしていました。
終演後に、彼女にお会いしました。衣装のまま写真も撮らせて頂けました。
彼女はたくさんのアーティストに私のことを紹介して下さったり、初めてだというバックステージへの案内を一生懸命にして下さいました。二回目のショーがあるので、私のことは放っておいて下さって良かったのですが、彼女は走り回って本当に良くして下さいました。KAに居た、フィジオのデイヴにもお会い出来ました。
テントのショーですとキッチンがあるのですが、アリーナのショーはケータリングだそうです。でも、その場でいくつかのものは作っているようでした。そこで、みなさんと一緒に夕食を頂きました。乳母役で以前KAに居たガブリエラは、隣に座ってくれました。
二回目のショーは、トレーニングルームとなっているスペースの横にあるモニターから拝見しました。彼女は、二回目はバトンをしないからと言って、出番の合間合間に私のところへ来て、いろいろと教えて下さいました。オリジナルのアーティストを応援したり、ショーへの準備を丁寧にするアーティストに敬意を示したり。そんな美しい心をお持ちの彼女だからこそ、みんなから愛されているのでしょう。アーティスト達が温かく彼女の手助けをしてくれているのも分かり、とても安心しました。バトンもみなさんに大好評で、代役と言いますか、代アクトではなく、毎回入るアクトになることをみんなが望んでくれていることも本当に嬉しいことでした。
終演後、舞台裏を案内して頂きました。これだけのものを設置して、約一週間の公演後にバラして次の地へ向かうのです。
彼女はその後、ホテルへは最終のシャトルバスで良いと言って残ってくれました。ラスベガスに彼女がいらして下さった時のように、いろいろと話をしました。ショーに出演し始めたばかりのあの時、そしてそれからの彼女。いろいろなことが見えるようになり、出来ることを見付けて努力を続けているようです。頑張っている人の話を聞くと、幸せになります。嬉しい時間でした。いつまでも今のような気持ちを持ち続けていけば、さらに素敵なアーティストになることでしょう。楽しみです。
搭乗口には、ギリギリに着きました。航空券のバーコード読み取りが上手くいかず心配しましたが、それは、ファーストクラスに無料アップグレードされているためでした。手荷物検査場で並んでいる時に確認しましたが、三十一人リクエストがある内の十七番目でしたから、諦めていました。国内線なので、国際線のファーストクラスとは違いますが、大きな座席でゆっくりと寝られるのは嬉しく有難いことです。
アトランタ空港は広かったです。帰りの乗り換え時間が短いので、気になりました。面白いアイスの自動販売機を見付けました。
この待ち時間にホテルの手配がようやく出来ると始めたのですが、インターネットに接続出来ず、結局ホテルも決められないままバトンルージュへ。
友人のご家族が迎えにいらして下さいました。バトンルージュへの旅も、友人のご家族にお会いするのも急に決まったことなので、何の準備も出来ないまま、さらに、友人は家族に任せれば良いというので、そのつもりでいました。
「これからどうするの。」
答えにまごついていると、
「お昼を作るから食べに来たらいいと思うのだけど。」
友人は、彼らがバトンルージュに住んでいると教えてくれましたが、空港から一時間も離れたところにお住まいでした。往復で二時間、お昼を作る時間と食べる時間。ショーの時間までに帰って来られるのか心配でしたが、そこへ行かなければ、車もお借りできないことが分かりました。帰りは一人で車を運転して帰って来ることになることも分かり、注意深く周囲を見ながらいました。
彼らの家は、広い敷地の中にありました。
娘さんのことは良く覚えていました。彼女のお腹は大きく、二人目の子が生まれるそうです。家の中は、どこに荷物を置いたらいいのか困る感じで、居場所も見付けられずにいました。コンピュータをお借りして、ホテルを予約しました。ワニを見に行こうと言われていたのですが、その時間はありませんでした。
お昼は、ルイジアナ料理を作って下さいました。揚げ物は外でしていました。
ザリガニのスープをご飯にかけて、外で食べました。
バトンルージュへ戻りました。結局彼らもバトンルージュへ出てくることにしてくれて、彼らの後を運転しながら。
ホテルのチェックインを済ませると、着替えてすぐに『VAREKAI』の会場へ向かいました。右の車線が混んでいると思ったら、それは駐車場への長い列。並んでいると間に合いそうにないので、先へ進み、路上に停められるところを探しました。会場から遠くても、停めてしまえば走れます。自分の足の方が確実です。チケットを受け取るのに時間が掛かりましたが、なんとか間に合いました。
テントのショーからアリーナのショーへなったものを初めて観ました。アリーナを半分だけ使って、テントの円形のような雰囲気はそのままでした。
楽しみにしていたバトン、一本、二本、三本、他のアーティストからバトンを渡されたり、返したり、一緒に動いたり、ソロなのですが、絡みもあるので練習するのが大変だろうと思いました。彼女は落ち着いてたっぷりと演技をしていました。
終演後に、彼女にお会いしました。衣装のまま写真も撮らせて頂けました。
彼女はたくさんのアーティストに私のことを紹介して下さったり、初めてだというバックステージへの案内を一生懸命にして下さいました。二回目のショーがあるので、私のことは放っておいて下さって良かったのですが、彼女は走り回って本当に良くして下さいました。KAに居た、フィジオのデイヴにもお会い出来ました。
テントのショーですとキッチンがあるのですが、アリーナのショーはケータリングだそうです。でも、その場でいくつかのものは作っているようでした。そこで、みなさんと一緒に夕食を頂きました。乳母役で以前KAに居たガブリエラは、隣に座ってくれました。
二回目のショーは、トレーニングルームとなっているスペースの横にあるモニターから拝見しました。彼女は、二回目はバトンをしないからと言って、出番の合間合間に私のところへ来て、いろいろと教えて下さいました。オリジナルのアーティストを応援したり、ショーへの準備を丁寧にするアーティストに敬意を示したり。そんな美しい心をお持ちの彼女だからこそ、みんなから愛されているのでしょう。アーティスト達が温かく彼女の手助けをしてくれているのも分かり、とても安心しました。バトンもみなさんに大好評で、代役と言いますか、代アクトではなく、毎回入るアクトになることをみんなが望んでくれていることも本当に嬉しいことでした。
終演後、舞台裏を案内して頂きました。これだけのものを設置して、約一週間の公演後にバラして次の地へ向かうのです。
彼女はその後、ホテルへは最終のシャトルバスで良いと言って残ってくれました。ラスベガスに彼女がいらして下さった時のように、いろいろと話をしました。ショーに出演し始めたばかりのあの時、そしてそれからの彼女。いろいろなことが見えるようになり、出来ることを見付けて努力を続けているようです。頑張っている人の話を聞くと、幸せになります。嬉しい時間でした。いつまでも今のような気持ちを持ち続けていけば、さらに素敵なアーティストになることでしょう。楽しみです。