のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

2018年 元旦

2018-01-01 | 日記
 帰り道に人集りを見付け、花火はそこから見ることに決めました。準備が整わない内に新年。両親にも見せたいので計画は知らせていたものの、彼らはそれを読んでいなかったようです。花火を見ながら電話をしたり、映像を送ったり。記録用に写真も撮りましたが、今ひとつ。送った映像もボケていたようです。慌ただしい数分の後、帰宅して電話を掛け直しました。母も良い顔をしていて、父に感謝です。
     
 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年、KAは六千回のショーをお祝いしました。たくさんの方に応援して頂き、足を運んで頂き、長く続けることが出来ました。いつもありがとうございます。
 様々な変化がある今日この頃、柔軟に対応していくことを学んでいます。変化は時に早過ぎて、戸惑うこともありますが、頑固に守りたいことも大切にし納得させつつこれからも進んでいきたいと思います。
 今年は戌年。素敵な年になること間違いなしです。
     
 年越し間近まで一緒に過ごした友人が、今朝は、「お雑煮を食べにいらっしゃいませんか?」と。運転免許証が昨日で無効になったのを知り、お迎えにもいらして下さると。大晦日のお誘いを頂いたお蔭で、温かくなった心がいつまでも続くことに嬉しく新年を迎え、有難く思っておりましたが、元朝にまたこのお心遣い。しかしながら、丁度支度を始めたところでしたし、仕事もある日に運転出来ないのでいろいろとご迷惑になると思い、お気持ちだけ有難く頂くことにしました。
 友人のことを思いながら、以前お土産で頂いたお皿を取り出すと、古谷野先生に頂いた細やかなものも並べて、どう盛り付けようかと考えていました。こうなると他のみなさんに頂いたものもなるべく登場させた上でまとめたいと思い始めました。時間が掛かりましたが、私なりのおせち料理とお雑煮が出来ました。お花を生け直す時間はなく、飾り付けは簡素。でも、友人が搗いて作ってくれたお供え餅もお皿の上になりましたが、飾ることが出来ました。このお供え餅、本当は紅白でご用意して下さったのだと思います。十一月末に頂いた時、紅いのは海老と教えて頂いておりましたが、大きさに違いがあるのを不思議に思ったものの、それがお供え餅になるとは考え付きませんでした。他にも、豆餅など美味しそうなお餅があり、これらは既に頂いてしまいました。白い方ももう少しで食べてしまうところでしたが、重ねるために大小有るのだと食べる直前に気付きました。その時は、綺麗な和紙を敷いて飾ろう、などと考えてはいたものの、今朝は余裕無く実現しませんでした。でも、無事に元旦にお供え出来ました。
     
 元日らしい暖かな日、自転車を走らせると、青信号が続きます。思わず「少し休ませて下さっても良いですよ。」とつぶやきました。新しい年の始まりにスイスイ進むのは良いことです。
 アメリカでは、年明け前に、
「Happy new year!」
 と言います。昨日たくさん「ハッピー・ニュー・イヤー!」と言ったのに、今日も、
「Happy new year!」
 『良いお年を』と『あけましておめでとうございます』と、違う言葉で挨拶出来る日本語は良いなと改めて思いました。
 前回のスーパームーンで大変なことになりましたが、今回は身体のリズムとのバランスで影響されないのかと考えました。眠りが少々浅かった気がするのは月かと考えてから、夜にお茶を飲んだことを思い出し、もしかするとそれかもしれないと。満月は考えないようにしておりますが、前回のことで、次回の日にちを知ることになってしまいました。今日の身体は硬いようですが、月のことも考えて準備をしていってみました。
 昨日踊り易かった床は、また滑らない床になっていました。準備をした身体を使い切れない環境ということかと思うと、イチローさんのことを考えていました。あれだけの準備をされて、待機をするだけの日々をお過ごしになられた時、どういう変化があったのだろうと。前向きの方ですから、これだけの準備は必要ないとは思わなかったことでしょう。でも、何か調整が必要だと考え始めたのではないでしょうか。心の調整なのでしょうか、身体の調整なのでしょうか、考え方の調整なのでしょうか、それはもっと違うことなのでしょうか。それから自分に戻り、何が問題なのか考えました。緊張が恐怖に変わるのは、緊張の一番の理由が欲しいところになく、緊張の位置が心地悪いのかと思いました。身体が壊れるのではないかという心配は、良い環境でしたら必要ない緊張です。
 年末年始は寒くて雪が降ったり、道の水溜りが凍っていることがあるのが例年ですが、今年は暖かです。セーターを脱いでジャケットだけ羽織って自転車を漕ぎ始めました。