のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

メジャーリーグに居たのなら

2010-10-31 | 日記
 火曜日にショーをご覧下さる方に、チケットをお届けに上がりました。「お茶でも飲んでいきませんか。」とお誘い頂き、ちょっとお邪魔するつもりが、興味深いお話をたくさん伺えて、長居してしまいました。
 メジャーリーグで働いていらっしゃる旦那様のお話を伺いながら、ここに居ると少し浮いているように思えてしまう私の行動も、メジャーリーグに居たらおかしくないのかもしれないと分かると、なんだかほっとして嬉しくなりました。とても楽しいひとときでした。

キャメロン氏とは気付かず話した友人

2010-10-30 | KA
 出発する時間はあまり変わらなかったのに、今日はゆっくりできた気がするのは、用事の密度が違っていたのかもしれません。
 MGMに行くと、チケットを買ったり、プレゼントの注文をしたり忙しく。そして、シェリーやジェニファー達のハロウィンの衣装にびっくり。三、四年前に裁縫が出来なかったシェリーとは思えません。いつも凝っているプロップスの部屋は、蛇がたくさんいました…。
 大きなプロジェクトがあります。配役のことでいろいろとあったり、何かとバタバタしていました。たくさん見かけない方をお見かけするので、モントリオールからの方かと思うと、なんとハリウッドからと。その中には、『タイタニック』、『アバター』などを手掛けた、ジェームズ・キャメロンさんもいらしたそうです。このプロジェクトで主役となるアーティストと話しました。彼女は、「ジェームズ・キャメロン監督とは知らずに、たわい無いことを話してしまった。」とドキドキしていました。配役のことでいざこざがないと良いなと思いました。
 一回目のアーチャーズデンは、爆発しませんでした。カウンセラーの息子役がスペンサーになってからは、初めてのことかもしれません。
 今週4日間、森のシーンが短くなってしまったのは、ファイアーフライボーイが出来るアーティストが、今一人しかいないためです。そのイヴァンは、いつも使う右肩を痛めてしまったので、反対の手でストラップを握っているそうです。私も代役が居ない時に首を痛め、「頭を動かさないでやりなさい。」と言われたことがあります。代わりが居る時はすぐにアウトにするのですが、居ない時はこんな感じです。
 今日は昨日を反省して、優しく踊ることを心掛け、目標にしました。昨晩の様に極度の眠さもなく、良い状態で舞台に立つことができました。お客様の拍手を、二回共いつもよりも早目に頂き、どうしたのかなと思いました。全体にもたくさん拍手を頂いていたので、どこかのショーの方がいらして下さっているのかと思いましたが、そのお知らせはありませんでした。
 お辞儀の時に、いつも見ない方向にたまたま目を向けると、一番前の席の一番端の女性が見つめて下さっていました。
 借りたいものがあると言って、車で送ってくれた人がいました。私の前に、一人を家に、一人を空港に送っていたことと、自分で自転車で帰りたいのならそれでもいいと言われたことに、私は素直に送って欲しいとは言えずにいました。結局、私は弱い人間なので、そんなに簡単に送ってもらったら、自転車で通うのが嫌になると思うから、それは出来ないと言うと、「その範疇に入るような人ではないでしょ。」と言ってくれました。でも、本当に弱い人間なのです。
 バトントワリング関東大会出場のみなさんのことを思いながら、トレーニングルームに居ましたが、帰宅すると新たなプロジェクトにはまって、楽しんでいました。そこに、アラーム。先週セッティングのアラームが鳴ったようで、もう朝の五時半であることが分かりました。あらら…。

未だに

2010-10-29 | KA
 神奈中ストアに行こうと思うと、すかいらーくになっていて、丁度オープンする日。同級生、しかも、“どうしてその人なの?”と言う人が出てきて…。夢って面白いです。
 アルバムが完成しました。また、レコーディングスタジオに行った時の感動を、英語で表現する作業がようやく終わりました。四か月近く掛かってしまいました。
 『La Nouba』のアーティストからメールを頂きました。「未だに強烈な緊張感と吐き気に襲われます」。私と全く同じで、笑いました。出演回数が百五十回を超えたという彼ですが、ステージに飛び出す数秒前までは吐き気との格闘だそうです。出演回数が彼より十倍以上多い私ですが、正に私は“未だに”です。同じように過ごしている仲間が居ると思うと、ちょっと安心します。
 一回目は、良い感じで身体に少しの張りがありました。意識しないと、柔らかくは踊れないと思いました。
 昨日のことを覚えていてくれたゲイルに、「今日は大丈夫。」と言ったものの、二回目は、とにかく眠くなりました。少し目が回る感じで、気持ち悪くもなりました。踊っている時には意識が無くなりそうなぐらいでした。無事に終わって良かったです。最後のお辞儀の時には、私の方に指を差して、拍手を送って下さった女性がいらっしゃいました。
 ショーが終わり、DVDで確認してみると、力強いこと。DVDで分かるということは、相当力強いということです。身体のリズムの問題か、もしかすると、頭も意識も元気だと思っているけれど、それは気を張っているからで、身体は本当は休みたいのかしら、と思いました。
 右足首がおかしくなりそうでしたが、大丈夫で、ほっとしています。

フランシスコ戻り、ニコ再デビュー

2010-10-28 | KA
 ゲイルとエクササイズを一緒にする約束をしていたのですが、リハーサルの見間違えだったようで、出来ないことになりました。私一人でも出来ることなので、それは良いのですが、あの朝の忙しさは何だったのだろうと少し気が抜けました。
 ニコは、もう再デビュー。頼もしいです。フランシスコも戻ってきました。約二カ月ぶりだそうです。「こんなに休んだのは初めてだよ。」そう、代役が居なくて走り続けた彼です。元気に戻ってきて良かったです。
 私は、目が回るような感じで気持ち悪く、あくびも出ます。身体のリズムの問題かと思いますが、それには少し早いかもしれません。もしかすると、エクササイズの影響でしょうか。ショーの始まりのミュージックボックスという場面の後、クリフデッキの中に居る時、ジュリアが話し掛けてくれて、良い状態になりました。そして、フルートはようやく違和感なく回せました。
 マリレンは、私のまつ毛を見て、曲がっていると言いました。細かいところまで見ていてくれて、有難いです。
 ショーが終わってトレーニングルームに居ると、リオの友達が来ました。とても喜んで下さって一緒に写真を撮りました。
 楽屋に戻ると、サラがまだ支度をしていて、久しぶりに彼女とゆっくり話しました。アジア人と黒人は、年をとっても分かり難く、いつまでも若く見えると言う彼女。アジア人のことはしばしば耳にすることですが、確かに、黒人さんも分かり難いです。それから、「ラスベガスに住むのはベストではないけれど、良い仕事があるからね。」と。彼女も、二、三年でフランスに帰るつもりだったそうです。

エリカ天使になる

2010-10-27 | KA
 『金米』というお米がおいしそうで、選んでみましたが、それは“コシヒカリ”であると、今日気付きました。そしてそこには、“金の米粒ではありません。”と書いてあり、かわいらしいと思いました。“アメリカの大地が育んだ味と香り”の“金のようにピカピカとかがやいたお米”はとてもおいしいです。
 今日のパンはかわいく焼けました。
 アルバム閉じました。もうすぐ完成です。
 出掛けると「おお寒い。」タートルネックの長袖だけでは寒く、もっと着れば良かったと思いました。帰りのことが気になりましたが、足りなかったら練習着を着て帰ることにしました。
 気持ちが良い身体。エネルギーが良い感じに満ちている感じがします。でも、フルートが上手く扱えません。一回目は、小さいけれど危ないところが何度もありました。そのためか、二回目はとても緊張し、気持ち悪くなりました。そんな時、「やっぱりバトンって素敵ですね。」と書いてくれた昨日のお客様の言葉を思い出すと、微笑むことができました。しかし、緊張し過ぎて咳き込みました。待機場所はもちろん、出て行く直前にも咳き込みました。さらに、双子の男の子を逃がした後、すぐに、右のコンタクトレンズが折れ曲がったか浮いたか、装着状態が悪くなってしまい、片目が見えなくなりました。落ち着いて、ゆっくりと瞬きを二回して、幸運にも良い状態に戻りました。ほっとすると、一列目でご覧下さっているみなさんのエネルギーを感じ、無事舞うことができました。最後にはお立ちになって拍手を送って下さいました。
 右掌が疲れているようで、マッサージを受けたい感じです。原因は何だろうと考えていました。踊り終わると新しい手袋に着け替え、その後の場面に出ていると、気持ち悪くなったことで気付きました。「ああ、手袋の所為だ。」
 エリカのお客様の話から、ディープと呼ばれる海の中の場面の話になりました。「ゲイルと私はね、ディープの時に時々することがあるの。ゲイルが、もがいて、あがいて落ちていく。それは病気との闘いかもしれない。やがて命を失うかもしれない。そして私は天使になって救いに行くの。」お客様は、形見を握りしめて観ていたそうです。美しい話、聞いていると涙が零れました。
 華氏五十度という数字を見ながら外に出て、摂氏に計算し直していました。「え、10度?」それが分かると、さらに寒さを感じました。衣装ではない指の先まである手袋、今季初登場。

オペラみたいなKA

2010-10-26 | KA
 昨日寝過ぎたので、今日は九時に起きました。さわやかな日。パンを一つだけ焼きました。
 MGMに着いた途端にステイシィに会い、
「何でこんな早くに居るの。」
 と訊かれました。彼女が毎日の予定を立てているのかと思い、少し笑いながら
「一時から練習が入っています。」
 と言うと、
「ああ、私達の撮影が、単に始まっていなかっただけなのね…。」
 楽屋にはシェリーとジェニファーが居ました。
「十時半から来ているのだけど、いろいろと遅れて、何も出来ないで待っているのよ…。」
 お化粧をしているので外に出られないジェニファーに代わり、サンドイッチを買いに行きました。
 表面加工の剥がれたフルートをプロップスに持って行き、新しいフルートを頂きました。
 練習を始めると、少し右膝の位置が悪い感じがしました。でも、気になっていた右足首の具合がとても良く、何も感じないくらいでした。休日にゆっくり休んだのが良かったのでしょうか。
 昼食時は、お腹が空き過ぎていて、夕食にと持って行ったものも食べました。
 週頭のミーティングで、日本からの学生さん達にお会いしたことにお礼を言われました。また、影絵の時の演技が良くなっていると言われました。そのようなことを、みなを目の前にして言われるのは珍しいことです。影絵のことは、ご指摘があった時に、すぐに「はい。」とは言えずに、自分の意見などを言ったので、お心遣い頂いてのことかもしれません。
 楽屋に戻り、そこに居たジェニファーに、
「さっき『舞台裏を走らないように。』とミーティングで言われたのは、私に向けられた言葉だと思う。」
 と言うと、
「私だって走っているわ。シェリーもね。」
 と。ここの三人、それぞれ舞台裏を走っているようでした。シェリーが影絵の前に走っているのは、手を温める為ということを聞き、なるほど、それであのしなやかなで表情豊かな影絵が生まれるのかと、感心しました。
 一回目のショーが始まった頃からか、右脚付け根が少しおかしい感じがしました。膝の違和感はそのためだったのでしょうか。そして今日は、感情の起伏があまりありません。さらに、回転の速いフルートが見えません。先週でしたでしょうか、そのようなことがありました。こんなことが続いたら、辞めないといけないかもしれないと思いました。それにしても、この平たい感情…。私はこのような状態でしたが、たくさんのお客様がお立ちになって拍手を送って下さいました。
 二回目は、丁寧に踊っていました。ご覧下さっているバトンの先生方のことを思いながらが、踊っていました。温かく見守って下さっていたのでしょう、気持ち良く踊れました。「辞めないと。」と簡単に片付けた自分を反省。だって、やれば出来るのです。
 終わってからみなさんにお会いしました。喜んで頂けて良かったです。その内のお一人は、選手として一緒に世界大会に行ったことがあり、懐かしくいろいろなことが思い出されました。
 舞台裏のご案内後、KAのテクニカルディレクターと、先日映画館で観たオペラの話をしました。彼は、以前オペラに携わっていたそうです。そして、
「KAはオペラみたいなんだよ。」
 と言いました。歌と大掛かりな舞台装置にシンプルなストーリー、アクロバットと大掛かりな舞台装置にシンプルなストーリー、それから、静かにソロが行われている時に、大きな物を動かさなくてはならないところ、などとおっしゃっていました。とても楽しいお話でした。次のオペラは五月。今度は四時間。どうでしょう、観切れるでしょうか。
 帰りはとても寒く、いつもの白いジャケットだけでは足りませんでした。自転車を漕ぐと、身体は温まりましたが、手は最後まで冷たかったです。耳元でシャラシャラと聞こえる音が、余計に寒さを感じさせます。華氏五十二度でした。

ロンドン橋は近かったけれど…

2010-10-25 | 日記
 ホテルの無料の朝食を頂いて出発。途中、絵葉書を買いに立ち寄り、アリゾナ州、カリフォルニア州を通過して、ネバダ州のラスベガスに戻りました。珍しくお天気があまり良くないラスベガス。ドラムのクラスへ行く前に、空いたお腹を満たす時間もありました。旅の疲れを少し感じます。
 今度のクラス、一人ずつ演奏をするようなことを言われ、ちょっと緊張。しかし、終わると外はすっかり良い天気。洗濯が出来ました。
 パンを捏ねると、お客様にチケットをお届けし、帰るとアルバムを作りました。
 しかしながら、眠いです。シャワーを浴びて、少し横にと思ったら、その後全く起きられず、途中で日本から電話がありましたが、それでも起き上がれず、朝の五時ぐらいにようやく起きました。

ロンドン橋

2010-10-24 | 旅日記
 先日偶然見つけた、アリゾナ州にあるロンドン橋へ出発です。一九七一年十月十日に、開通したという事を知り、十月十日に行きたかったのですが、行けませんでした。二週間遅れで出発です。
 朝はまだ早かったので、朝焼けがきれいでした。
     
 約二時間半のドライブで、ハヴァス湖に着きました。青空市をしていたので少し覘いてみると、湖のほとりに行きました。
     
 さて、いよいよロンドン橋です。
     
 パーカー・ダムの建設によって出来たハヴァス湖ですが、その周辺の開発に、民間の力を借りようと売り出した土地を買った起業家が、湖が満水になると現れた島に、何かユニークな橋を掛けたいと考えていたところ、落ち始めたロンドン橋が競売に掛けられたのを知り、二百四十六万ドルで競り落としたそうです。一八三一年にテムズ川に造られたそのロンドン橋は、石一つ一つに番号がつけられ、解体されました。それらの石はカリフォルニアのロングビーチまで船で運ばれ、そこからはトラックでハヴァス湖まで運ばれ、一九六八年ロンドン市長によって礎石が置かれ移築工事が始まり、三年の歳月を掛けてロンドン橋がハヴァス湖に復元しました。輸送と再建設には、さらに四百五十万ドル掛かりましたが、今やグランドキャニオンに次ぐ、アリゾナ州第二の観光名所になったそうです。
     
 お昼を食べに、橋を歩いて渡りました。その辺りは、可愛らしく建物が並び、レストランやお土産屋さんなど、イギリスの雰囲気が楽しめるようになっています。レストランが開いていないようなので、もう一度橋を渡り、そちら側で食事をしました。それから湖畔の芝生に寝っ転がり、少し昼寝。あとから分かったことですが、こことラスベガスでは時差があり、行った時間は、まだ昼食に早かったようです。
     
 ジェットボートに乗りました。乗っただけではなく、なんと運転もしてみました。ジェットボートには、外部に露出したプロペラやスクリューがなく、ボート下の水を高速で噴出し、推進力を得るということですが、速いこと。爽快でした。
    
 スポーツバーで観たアメリカンフットボールの試合は納得がいかないものでしたが、そこでの食事は楽しめました。
 丁寧に造られているロンドン橋。昔の建造物の美しさと共に、楽しい一日を過ごしました。
     

シルク・デュ・ソレイユのコーチになるには

2010-10-23 | KA
 頂いた松茸で、今日は松茸ご飯を炊きました。とても美味しく炊けました。そしてパンも焼きました。ひとつは、シナモンとホワイトチョコレートのおやつパンにしてみました。
 『シルク・デュ・ソレイユのコーチになるには』という講義があり、受講しました。自分がコーチになるともなれるとも思いませんが、どんな人材が求められているのか、話を聞くのは面白いです。
 帰り掛けお土産と誕生日プレゼントを買いに行きました。良い物が見つかり、嬉しくなりました。
 MGMに着くと、観やすい位置はJ列かK列か確認しに行きました。それから、松茸ご飯をお裾分けに行ったのですが、きのこ類は駄目、つまり松茸も駄目ということでした。松茸は特別なものと思ってしまいますが、きのこ類で括られる物でした。
 ラスベガスを訪れていた元KAのアーティスト、ニコと昨晩あった時に、「ショーに戻るよ。」と言っていたのは冗談かと思っていましたが、衣装部屋に行くと衣装合わせをしていて、その後お化粧の練習もしていて、どうやら本当の様です。嬉しいことです。今日はシタもミロも来て、懐かしい顔の揃う日でした。
 ショーは、昨日に引き続き、今日も鳥が飛びませんでした。私は、一回目は良かったのですが、二回目はまた落としてしまいました。ケイジの位置を感じられず、フルートの回転も速く見えてしまい、目が追い付きませんでした。ズラの今日のショーは、六回も着替えをしたそうです。それも、私の様に一部を替えるだけではなく、全部着替えているのでしょうから、大変だったと思います。
 ショーが終わり、亜梨ちゃんのお母様と話しているうちに、亜梨ちゃんが支度を終えて来て、お食事にお誘い頂きました。私は何も支度が出来ていなかったのですが、お持ち下さいました。以前探したタイ料理屋さんは、また見付けられず、台湾料理に行くという以前と同じコース。前回おいしかったものを思い出しながら、ちょっと不思議な料理を、今日もおいしく頂きました。

カシミヤですもの、オホホホホ

2010-10-22 | KA
 松茸を頂きました。日本でもなかなか口に出来ないものを頂きました。どのように調理するのが良いのか、慎重になります。
 バレエの先生は、また違う先生でした。言葉で順番を言い、それを行なうので少し大変でしたが、「今日はシンプルに。」と何度もおっしゃっていた通り、複雑ではなかったので何とかなりました。
 今日はショーに出ない日でしたので、少しゆっくりして、お昼に焼き松茸を頂きました。良い香り。とても美味しかったです。
     
 MGMへ行くと、ゲイルがカタログを持って来てくれました。私に良さそうなボレロを見付けたと言っていましたが、それが載っているカタログでした。一緒に見ながらいろいろと説明をしてくれて、それからそのボレロの値段を見付けると、「ちょっとお高いわね。でも、何と言ったってカシミヤですもの。オホホホホ。」と笑いました。私は、いつも着ているボレロを、ジャケットの下に丁度着ていたので、「でも、買わないといけないと思うのです…。」と言いながらジャケットを脱ぎ、いつも着ているボレロを見てもらいました。彼女はもっと笑って、「こんな状態になっているとは思ってもいなかったわ。」と言いました。このボレロは、日本に居る時に教えていたバトントワラーが、こちらに来る前に贈ってくれたものですから、もう七年近く着ています。それも毎日。薄くなった袖口は、布を当てて着ていましたが、もう全体に薄くなって、穴も空いてきました。ウールでとても温かく、重宝していましたが、そろそろ新しいものが必要と思っていたところでした。誕生日もとっくに過ぎてしまいましたし、良い理由もありませんが、悩まないで買うべきだと自分に言い聞かせているところです。
 過去の大会での成績を書く紙が掲示され、今日中に書き込むように言われました。国内の大会、国際大会、オリンピックなどに枠が分かれていました。広報で必要なようですが、そこに書き込むのもあまり気が進まず、第一、昔のことで忘れてしまいました。その紙を貼りに来ていたステイシイに訊きに行くと、簡単で良いので書き込むように言われました。「もう昔のこと過ぎて、忘れてしまいました。」と言うと、「キュートね。」と。仕方なく、インターネットで調べました。今日は時間があって良かったです。
 またショーが止まりました。鳥を吊っているケーブルの問題だったようです。二回目はその部分“バード”をしないでショーをすることになりました。そのショーが始まった途端のことです。私はカウンセラー役のヨーグと話していると、彼は呼び出され、超特急で走っていきました。ヨーグの代役をしていたアーティストが、パスレイルを歩いている時に突然落ちてしまったそうです。本人は元より、可能性はあるとしてもだれも予期していなかったことだと思います。大丈夫でしょうか。今日はデュエットも無い日でしたので、そこにバードも無いとなると少し淋しくなるかと思いましたが、それを補うプラットフォームでのゲイルの演技は楽しく、モニターを見ながらみなで笑いました。鳥が飛ばなくても大きな舞台の回転をじっくり見られて、面白かったかもしれません。
 みなさんより一足早くお化粧を落として着替えると、チケットを買いに行きました。いつも親切にして下さり、有難いです。
 アパートに戻り、お届け物を今晩しようか明朝にしようか迷って、なるべく新鮮な内の方が良いかと思い、もう一度出掛けました。帰り掛け流れ星を見、今日にして良かったと思いました。