のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

早めと遅めの誕生会

2013-07-27 | KA
 何だか具合が悪いので、ココナッツ・ウォーターを飲むことにしました。点滴に使うことがあると読んだことを思い出してのことです。
 お客様を迎えている為か、とても緊張をしていました。さらに、明日からの休日が待ち切れないというような雰囲気があり、それに飲み込まれそうになりました。キャプティビティの前にトレーニングルームへ行くと、自分の気の流れを落ち着かせるために時間を取ってから、フルートを回し始めました。そして、ひとつひとつ確認しながら動こうと決めて、舞台に出て行きました。
 ケイジのところにフルートを置いたあたりからでしたでしょうか、楽になっていくのが分かりました。お客様が見守って下さっているのだと思いました。
 湿度がとても高く、床が滑らず、動くのが大変でした。何とか三回回りたいという気持ちが強く、覚悟して挑戦しようとしましたが、二回以上は、どうしても回れませんでした。フルートの滑り具合もだんだんと悪くなり、最後の方はさらに注意深く扱わなければなりませんでした。二回目は、もっと湿度が高くなったようで、途中でつまづき、転ぶかと思うほどでした。
 月曜日に誕生日を迎えるジェニファーのお祝いをしました。今年で二十七歳になるそうです。まだまだ若く可愛らしいのに、いろいろな経験をしているからか、中身はすっかり素敵な女性です。今日は、ショーの中でサラが居ないことを思い出す瞬間があり、涙が出てきたそうです。でも、彼女は心の中にいて、他のみんなはここにいて、みんなが揃ってお祝いをしてくれることを感謝していました。
 親しい仲間と居酒屋に行きました。いろいろと大変な一週間を過ごし、感じたことがたくさんあり、また、気になることもたくさんあり、みなで凄い勢いで話しました。様々なことに堪えていることが普通ですが、今日は爆発していました。気付くと午前三時半。まだまだ吐き出したいことはたくさんありましたが、今晩はそこで締めることにしました。誕生日の頃は、集まる気にならなかったので、先に延ばしてもらっていた今年の誕生会、思い出に残るものとなるでしょう。

あなたはゲイルです

2013-07-26 | KA
 空模様がはっきりしないので、車で出勤することにしました。大きな交差点、なかなか進みません。右の車線は進むので、車線を変更して勢いよく進むと、その先は進んでいないのが見えました。そして、信号は赤になり、大迷惑な位置に止まってしまいました。今日は、身体のリズムの関係なのか、遠慮勝ちではなかったことが幸いで、どうにかなりました。
 休暇中の先生に代わっていらしているピラティスの先生は、とても積極的でした。ピラティスで汗をかいたのは、初めてのことかもしれません。
 一回目のショー後、みなが食事をしているところを訪ねました。気持ちがまだ不安定なのは、私だけではないことが分かりました。ギーさんは、昨晩初めてマチュウに言葉を掛けたことも分かりました。
 元KAのアーティスト、スペンサーがグリーンルームを訪れました。一緒に来た友達を紹介してくれた時、横に居たゲイルは、
「私はノリコです。」
 と握手をしていました。それから自分が間違えたことに気付き、あれ?という顔をして私の方を見ました。どうして自分の名前を間違えるのか。おかしくて、しばらく笑が止まりませんでした。
 ショーに出ない日、いつもはキャプティビティが始まるとお化粧を落として良いことになっていますが、新しい場面で私のキャラクターが居ないと、ゆったり流れる時間がさらに余ってしまうと思い、代役に何かがあった時のために、キャプティビティが終わるまで待つことにしました。
 そのことに気付いたのが遅かったので、チケットのお届けが少し遅れてしまいました。それでも、「今回を逃したら、もう来られないかもしれないと思って。」とおっしゃって、とても喜んで下さいました。事故後初めて迎えるお客様、楽しんで頂けますように。

NEW NORMAL

2013-07-24 | KA
 何日も前にお見舞いのメッセージを送って下さった先生に、ようやくお礼ができました。とても心配して下さっているようです。頭では分かっているのに、心がついていかないようですと伝えました。
 サラの子達はプレゼントを受け取り、今日は、朝からバトンが飛び交っていたようです。回したり、ケースに入れて歩いたり、ずっとずっと、それはそれは楽しそうに過ごしていたそうです。お部屋は、「今のところ壊れていない。」とのこと。しばらくすると、カードが届きました。五歳の男の子、雪だるまを作った封筒に入ったカードには、しっかり英語でお礼を書いてくれていました。八歳の女の子は、バトンと女の子、バトンケースの絵も描いてくれていました。
 留守番電話にメッセージが入っていました。旅程を変更して、KAに行くことにしたと。先週の土曜日にいらっしゃる予定が、KAはお休み。それではとおっしゃった日も、私がショーに出ない日。前回いらして下さった時も代役の日で、「のんのんが出演するKAには縁がないのかもしれない。」と、半ば諦めていらっしゃいました。でも、考えた末、ご予定変更し、KAにいらして下さることに決めたようです。嬉しい緊張が走りました。
 ジーナが、スプリングス・プリザーブのことを話していました。サラが好きだった場所で、子達とよく遊びに行っていたそうです。そこに何かできないかと。私は英語能力の問題で、彼女のアイディアが全て理解出来なかったのですが、とても素敵なことを考えているジーナに感心しました。日本では植樹というのがあるけれど、そういうこともできるのか尋ねました。そして、いつが良いのかも考えていたので、サラの誕生日にしたらどうかと提案しました。スプリングス・プリザーブに電話して訊いてくれるとのこと。ありがたいです。
 その後のショーは、また、何故か涙が出てくるショーになりました。正確に言うと、それをこらえていたショーでした。今日は、泣かずにこらえてみようと思いました。心は、ザーザー音を立てて雨が降っているようでした。もしかすると、心は理解しているのに、頭で考え過ぎているのかもしれないと思いました。踊り始めると、身体が硬くなっていました。涙をこられていたので、身体が硬直してしまったのかと思いました。やはり、泣きたい時は泣いた方がいいのかもしれません。
 ジャケットはまた届いていませんでしたが、しばらくは様子をみようと思いました。それからすぐ、二回目のショー後まで必要ないと思っていたことが分かりました。私にとっては、少し考えれば、各ショーの後にジャケットが必要なことは分かりますが…。
 一回目のショーの途中で声を掛けてくれたゲイルが、二回目のショーが終わると話し掛けてきました。ショーの途中では何も言わなかったのですが、ショー後は時間があり、話しました。すると、彼女にとっても今日は大変な日だったと分かりました。起きたことは事実で、忘れたいことではないし、忘れられないこと。そして、気持ちはなかなかノーマルにはならないと言うと、彼女の旦那様は言ったそうです「ニュー・ノーマル。」元には戻らないのですから、受け入れて、これが通常であることを理解させていかなければいけないのでしょう。
 夜、とても疲れていたのは、一日二回のショーが始まったということよりも、精神的なことだと思います。夕食を食べながら、寝てしまいそうでした。

KA再開

2013-07-24 | KA
 時間はあるのに、何も出来なかった事故後の一週間、リハーサルが始まり少しずつ前に進んでいった先々週、そして、いつもは休みの月曜日に最終リハーサルをし、火曜日、劇場いっぱいの身内に見守られてドレスリハーサルをしました。先週一週間は、一日一回のショーでしたが、今週より通常公演スケジュールになりました。まだまだ“通常”でないことはたくさんあり、私自身もそのうちの一つですが、"Show must go on"。頂いたメールの中で、何度か目にした言葉ですが、まさにその通りです。見守って下さっているみなさまに感謝致します。

友人の隠れ家へ

2013-07-21 | 旅日記
 三日間の休みに入っていた仕事が取り止めになり、コロラド州に、『Amaluna』を観に行こうと思ったのですが、航空券が高くて断念。そして選んだのが、ユタ州の湖。友人の隠れ家、大切な場所。地図には、貯水池と書いてありました。
 早起きして出掛けたので、朝はまだ涼しく、快適なドライブ。しかし、途中で少し眠くなりました。
 ハイウェイを降りた道までは、どうして友人は行き方の説明が出来なかったのだろうと思いましたが、そこを右に折れ、未舗装の道を走り、山を登りながらその訳が分かりました。これは、友人が貸してくれたカーナビが無ければ、辿り着かなかったと思います。山道は、お花畑や、アスペンと思われる白い幹の林がとても綺麗でした。
 そして、湖。とても静かで、ゆったりのんびりした時間が流れていました。林の中に入って行こうとして、黒の服装であることに気付きました。小さな蜂もいましたし、引き返しました。
     
 駐車したところにいた親子の二人、若い頃は、この湖に毎週のようにいらしていたそうです。久しぶりに訪れた湖に、空気で膨らませた椅子を浮かせて、足ヒレをつけて出て行きました。
「さあ、アヒルになるよ。」
 何が釣れるのでしょうか。
 湖周辺の道は、土が深くえぐれていることが多く、大きく凸凹する道を走ることになります。帰ることを決めて車を走らせてから、対岸に良い場所を見付けたので、そこでもう少しのんびりしました。
 帰りは、南の道を行くことにしました。カーナビを信じられず、出掛ける前に地図でも調べて、見付けた道です。釣りをしていたお父様にも教えて頂き、安心してその道で帰りました。その道は、時々ザイオン国立公園の中を通る、気持ちの良い道でした。そして、改めてザイオン国立公園の素晴らしさを思い知りました。行きは、短い時間に相当登ったようです。帰り道、下りがいつまでも続きました。

 良い時間を過ごしたお蔭か、帰りは眠くなることもなく、快適なドライブでした。

Veronic Voices

2013-07-18 | KA
 昨日は遅くまで起きていられたので、ようやく元の生活リズムに戻せるかと思いましたが、早く目覚めてしまいました。いろいろと考えていると眠れなくなり、そのまま起きました。
 ヴィクトリアのところへ用事があって行くと、 ヴェロニィクさんのショーのことを教えて下さいました。KAの人達を招待して下さるというお知らせはちらっと見ましたが、木曜日のショーの後に行くことが出来るか分かりませんでしたし、土曜日の予定が分かりませんでしたし、自分の気持ちがどうなのか分かりませんでしたし、申し込みを控えていました。
「今日のショーは、今電話でお願いしたところだけど、またお願い出来るわよ。行けるようなら、行けば良いのだから。」
 ヴィクトリアは、快く二枚のチケットを追加して下さいました。
 一時間考えて、お世話になっている方をお誘いしました。誕生日にお祝いメールを頂いていたのですが、お礼が出来ずにいました。今日お返事しようと思っていましたが、やはり出来ずにいました。
 サラの子達が来ていました。フルートを借りたいという男の子に、予備のフルートを貸しました。それから、女の子もフルートを回したいと言い、少し悩みました。出来れば、本番前には他の人に使って欲しくありませんでした。しかし、貸すことにしました。子供ではありますが、道具に対する思いをその時に伝えるべきだったのか、ショーの間に考えることになりました。ストレッチを終えると、フルートを返してもらい、回しました。子達はじっと見ていました。
 昨日ショーに出なかった、父役のグリシャが来ていました。脳震盪を起こしたようです。先日のリハーサル時、新しい場面のためにスレイヴケイジの配役を変える必要があるとのことで、新しい人にその戦いを教える時間がありました。しかし、それはほんの数分。数回の練習で大丈夫なのか、私は心配していました。ショーの始まった日に、新しくその場面に入ったアーティストが、彼の頭を蹴ってしまったようです。サラのことがあったばかりで、このようなことになり、驚きます。
 新しい場面についてのアドバイスなどは、何もありませんでした。知り合いが、ショーを観に来てくれているようでしたが、受け取ったメッセージにお返事出来ませんでした。今日も、ふざけているような姿が見られました。
 影絵の時にいっぱいいっぱいになってしまって、泣き始めてしまいました。ジーナが心配してくれたのですが、その時、私は上手く彼女に話せませんでした。ショーが終わり、ジーナに謝りに行きました。ズラは、
「泣きたい時は泣けばいいのよ。私にもハグさせて。」
 そう言って近付いて来ました。彼女は、サラと真剣に言い合えるほど仲良しでした。彼女の方が、辛い時なのでしょうに。
 ヴェロニィクさん、どんな歌を歌う方なのかも分からずに行きました。一人でしたら、今日は、行かなかったと思います。いろいろなことが有り過ぎて、とてもそのような気持ちではありませんでした。彼女は、フレンチ・カナディアンということで、親しみが湧きました。彼女は、KAの人達が来ていることを観客に伝えると、
「KAのみなさんのために、今日のショーを捧げます。」
 彼女は、五十人もの有名歌手の声を出せるそうです。今日は、自分が真似る素晴らしい歌手達と同じように、ラスベガスという土地でショーをするという夢が叶った日だったようです。この瞬間に立ち会えたこと、とても嬉しいことでした。ショーは、とても楽しかったです。ヴェロニィクさんから、たくさんエネルギーを頂きました。いろいろなことが良い方向に重なり、行くことが出来、本当に良かったと思いました。

サラのメモリアルサービス

2013-07-08 | 日記
 バイグーの車が直ったそうで、今日そのために車を出したゲイルと、引越しの手伝いをした私を、飲茶に誘ってくれました。
 その後、サラの追悼式へ行きました。彼女の写真がたくさん飾ってあり、懐かしい写真もありました。
 子供が遊ぶための場所が設けられていて、彼女の子達はそこで笑いながら遊んでいました。
 元KAのアーティスト、マリンが来ていました。一人で来たとのこと。オリンピックに出るような人は、やはり強いです。気付くと、ノートに言葉を書きながら泣いていたので、ハグをしました。
 マチュウに会うことが出来ました。お葬式を終え、ようやく少し安らかになったそうです。
 KAのオリジナル・アーティスト、ジュリアが来ていました。今日のお知らせしようと思いながら出来なかったので、安心しました。
 ジョアンは、まだまだ不安なようでした。フランス人の多くは、同じ気持ちのようです。
 KAのオリジナル・ステージマネージャーの、アルマンさんがいらしていて、マチュウに会うのを躊躇っていました。安心して彼に会えるように、私が彼と話した時の様子をお伝えしました。
 帰宅をすると、とても疲れていたので、少し横になりました。それから、働かない頭で何が出来るか考え、ミシンを掛けました。裾上げと、スカーフを使ってパンツを作ってみました。
 いつでも横になれますが、ショー再開に向けて時間調整をしていった方が良いのかと、身体を動かしてから、日記を書くことにしました。

みなで劇場へ

2013-07-07 | KA
 トレーニングルームでミーティングがあり、火曜日からのリハーサルのスケジュールを伝えられました。ショーの再開は、早くて十六日と言われていますが、この一週間の様子をみて、最終決定をするそうです。
 その後、みなで劇場へ行きました。リフト5はパスレイルと同じ高さに上げられていました。私は、しばらく遠くから眺めていました。近付いて、祈りを捧げている人も居ました。上を見て、指を差しながら話している人も居ました。改めて眺めると、本当に高さがあります。
 彼女が落ちた舞台がリフト5であることは、分かっていました。自分が踊る舞台がリフト5であることも、もちろん分かっていました。でも、それが同じ舞台であることが、結び付いていなかったことに気付きました。リフト5は破損があり、修理をしなければならなかったことを知りました。出来るかもしれないという気持ちが、少し後退している自分が居ました。
 楽屋のサラの場所へ行きました。同じ楽屋の仲間と、明日のメモリアルサービスで飾るものを決めることになっていました。残念ながら、シェリーと亜梨ちゃんはお休みで、ジーナを中心に、ズラ、ジェニファーと思い出を話し、笑ったり泣いたりしながら、楽屋に残されたものを見つめました。ご家族のみなさんが、彼女が過ごした楽屋を訪れることが出来ますように。
 帰宅後、ご飯を食べると、とても疲れて横になりました。一度起きて、秋祭りのことをすると、また横になりました。それから友人が、心も体も温まるというイギリス料理の手作りパイを持って訪ねてくれ、しばらく話しました。重なった衝撃がまだまだ残り、不安を抱えたままリハーサルが始まります。一歩踏み出せば何か変わるかもしれない、何か始めれば先が見えてくるかもしれない、そう伝えました。気が紛れ、ありがたい訪問でした。

サラとのお別れ

2013-07-06 | 仲間
 バイグーには、本当にお世話になっていて、特に車を運転出来なかった時には、いつも気に掛けてもらいました。車の修理中で足が無く、やきもきしている彼。一度でも多く引越しを手伝えるように、今朝は八時過ぎに出掛けて、彼の荷物を一度だけ運びました。
 それから駆け足で美容院へ行き、髪を切りました。
 ビューイングと言うサラとのお別れには、白い花を供えることになっていたので、買いに行きました。あまり白い花がなく、工夫をしなければなりませんでした。
 葬儀場に着くと、ステージ・マネージメントのみなさんなどが集まっていました。マリーヘレンさんは、
「みんなフォーマルな装い。でも、私の国でそれを着るのは、家族の人だけなのよ。だから私はこんなにカジュアルで。」
 そこにコーチのアルが訪れました。彼もスーツを着ていました。確かに、今日は礼服の人が多く見られましたが、私もフォーマルな喪服ではなく、黒い洋服を選んで着ただけでした。彼女はグレーの服でしたが、色の付いた服を着ている人もいました。
 みなさん、待ち合わせをしていたようなので、私は一人で中に入って行きました。名前を書き、サラの胸に置いて欲しいという白いバラを受け取り、中へ進みました。棺に入ったサラが、遠くに見えました。自分が持って行った花をテーブルに置くと、リオネルがそっと腕組みをして、一緒に歩いてくれました。彼はきっと、私のように独りぼっちで来た人に付き添ってあげようと、その場に残っていたのでしょう。サラに会うと涙が溢れました。リオネルを強く握りしめていました。いろいろなことを思い出し、さらに涙が出ました。今日来られなかった人達の思いも込めて、合掌しました。
 リオネルは、左に座っているのがサラのお姉さんで、とても良く似ていると、サラの方に歩きながら教えてくれていたのですが、お会いすると本当にそっくりで、
「ああ、サラだわ。」
 と、頬に触れてしまいました。彼女は
「そう言われます。」
 と微笑んで、
「彼女は安らかに眠っています。」
 と言ってから、お礼を言いました。一人一人にこうやって声を掛けていらっしゃるのでしょう。何と強い人なのかと思いました。
 お姉さんにご挨拶してからも涙が溢れてきて、予想を越えてたくさん泣きました。少し落ち着いて外に出ると、また涙が出てきて、ヴィクトリアがハグしてくれました。それから、ジムさんがいらして、彼の腕の中で泣いていました。
 ようやく落ち着き、彼らにお礼を言うと、注意深く運転を始めました。時々涙を流しながら、気を付けて運転しました。
 バイグーの住む、ラスベガスと住所に記されない南東の地域から、西の美容院、サラとのお別れに北へ向かい、今度は東に昨日の引っ越し時に壊れた車の窓の修理へ。予約をしてありましたが、一時間ほど待ってから説明があり、修理を開始。その後一時間十五分ほどで修理は終わりました。
 予想より早く終わり、バイグーに電話をすると、丁度トラックを借りたところだと言うので、貸し倉庫へ向かいました。中国人の仲間が次々に集まり、荷物を積み出しました。小さな荷物は、私の車に載せました。
 昨日と今日で、引越しがほとんど済みました。今日は忙しく、朝晩はダンホーのお母さんの手作りブリトー、昼にパン一つしか食べられないほどでした。でも、こういう時は、忙しくしていた方がいいです。頭も働かないので、身体を動かして、仲間と一緒に何かが出来て良かったです。

http://www.forsasoun.com/

2013-07-03 | KA
 事故の後、何も出来ず、自分でも驚くほど何も出来ずにおりました。唯一できることが、部屋の掃除。片付けながら自分の心も整理しているのかと考えたりしておりました。

 頂いたメールに励まされたり、仲間と話しながら自分が出来ることに気付かされたりしているうちに、少しずつですが、何かが出来るようになってきました。私よりももっと強い仲間により、サラのウエブサイト“For Sasoun”が立ち上げられました。今、私が出来ることは、より多くの方にこのウエブサイトをご覧頂くことと思い、ブログを開けるまでに至りました。

 支え合えるKAの仲間がいることに感謝します。そして、心配して励まして下さるみなさまに感謝致します。頂いたものにまだお返事が出来ない状態ですが、どうぞお許し下さい。もう少し時間が経てば、もう少し前へ進めると思います。

 事故の原因はまだ分かりません。これからのこともまだ分かりません。彼女の叫び声と、衝撃の音が思い出される度に、どれほど怖かっただろう痛かっただろうと涙し、茫然とします。分かっているのは、彼女は逝ってしまったということだけです。

 ウエブサイトでは、彼女の子達のために寄付が出来るようになっています。

 子供のことを話す彼女の笑顔を思い出しながら、彼女が絶賛してくれたアーモンドのお菓子を作ろうと思います。材料は用意していましたが、なかなか作れませんでした。でも、今日は、作れそうな気がします。