Aloha Spirit

古代ポノの教え、太古ハワイ・ムーの記憶、大自然からのメッセージ

ムーとレムリアは、同じ?違う? その2

2019-06-30 09:17:34 | ムー レムリア
アロハ ウハネ

ムーとレムリアは、同じ?違う?その1の続きです。

その後、また新しい説を聞く事になりました。中山康直さんの説ですが、ムーが太平洋にあった大陸で、アトランティスは、大西洋にあった大陸。そして、レムリアは、その二つの文明の母体となった更に昔にあった文明ではないかという事なのです。(ムーやアトランティスは、2万6千年前から1万3千年前まであったと一般的には考えられています。)

これは、私的にもちょっとピンと来てしまったので、更に少し他にもどういう情報があるのか、調べてみる事にしました。

中山康直さんの動画シリーズ、とても面白いので、まだ見てない方はぜひご覧ください。

YouTube 縄文エネルギー研究所vol.022voi.23


これを裏付けるような内容を見つけました。

フランク・ジョーゼフ・ホフ(アメリカ人。主にアトランティスの研究をしている。)
www.atlan.orgより

ブラジル人のサントス博士が2005年に他界した後、彼の仕事を引き継いだ人物。サントス博士は、原子物理学者、原子のエンジニア、言語学、言語の由来を研究、考古学者でもあり、14ヶ国語を話し、オカルトも研究し、古代からのシンボルを研究するなど。アカデミックの面でも非常に信用のおける人。実際にあらゆる協会に属し、非常に真面目で、実利的にも多くの重要な業績を誇る人物だそうだ。

「彼らの長年の研究によると、レムリアの語源は、ムーという言葉から来る。ムーの意味は、母なる土地、国。

人類の起源は、メソポタミアとかシュメール文明と言われているがそれは間違いであり、このレムリアが人類の起源だと考えます。レムリア(ムー)が母であり、父なる土地はインドです。今のパキスタンのあたりです。

レムリアの大きさは、かなり大きかったと思われます。アトランティスよりも大きかったのです。アトランティスは今のアメリカ大陸くらいあったでしょう。



74000から75000年くらい前にTobaと名付けられた巨大火山噴火がありました。その時、巨大地震もあり、巨大津波が起き、沈んだのではなく、海が上昇したのです。2000m級の高さの津波が起きたと思われます。当時のレムリアの文明は、アトランティスほど進化していませんでした。(ヒマラヤ山脈に岩塩や貝殻が残っているのも、当時海の中にいたというわけですね)

エデンの園は、レムリアにあった。現在思われているイラクのあたりではありません。レムリアとアトランティスは、実際同じ場所で同じものであるとサントス博士の研究ではわかっています。レムリアが一度災害で滅びた後にアトランティスという文明に進化したのです。

サッチャユーガ=ヒンズ教のゴールデン・エージ(黄金時代)だったという記録があり、今、またその黄金時代・平和と調和のある時代に到来すると信じられています。

レムリアとアトランティスの時代があり、それが母と父とするとその子供がインドとなります。(ヨガなどの叡智は、その末裔として、ここで生まれたのですね。)

当時は氷河期時代でしたから、文明が栄えるには、人間が住める場所である必要があったわけでは、それで赤道近くのトロピカルなこの地域に人口が集まっていたわけです。それ以外の場所は寒すぎて生きる事は困難だったでしょう。」


***************************

またこんな説もあります。

「バシャール×坂本政道 人類、その起源と未来」(ヴォイス)
著者:ダリル・アンカ,坂本政道 より

- 古代レムリア(50万年前)
レムリアは太平洋に広がっていましたが、アジアともつながっていました。日本も一部そこに含まれています。ムーがもともとの言語で、レムリアは英語での呼び方です。レムリアは、崩壊する前にこの地球上にいくつもの植民地をもっていました。その植民地のひとつがやがてアトランティスになったのです。

- アトランティス(3万年前~1万2000年前)
キューバ、バハマなどの地域です。アトランティス時代、地球は氷河時代だったので、海面の高さが約300フィート(約90m)低かったのです。約1万2000年前に、巨大隕石が大西洋にぶつかったことによって大きな津波が起き、アトランティスは沈んでしまいました。



**************************

では、まとめて行きましょう。

私がピンと来た、中山康直さんの説に戻ります、

ムーが太平洋にあった大陸で、アトランティスは、大西洋にあった大陸。そして、レムリアは、その二つの文明の母体となった更に昔にあった文明ではないかという事なのです。(ムーやアトランティスは、2万6千年前から1万3千年前まであったと一般的には考えられています。)

年代は、分かりませんが、とにかく相当前からレムリアはあったのでは無いかと彼は言っています。

上記載にあるダリル・アンカ,氏は、- 古代レムリア(50万年前)頃から存在したという説があります。

上記載にあるブラジル人のサントス博士は、「人類の起源は、メソポタミアとかシュメール文明と言われているがそれは間違いです。このレムリアが人類の起源だと考えます。レムリア(ムー)が母であり、父なる土地はインドです。今のパキスタンのあたりです。」と言っています。

それを3つ合わせると、

アトランティスの位置は、定かではありません。大西洋にあったのか?レムリアと同じ場所にあったのか?移動する事もあったのか?。。。
位置は、別として、

中山さんの説である、ムーとアトランティスの文明の以前にそれを母体とするレムリアという更なる古代文明があった。それが母体であるというのが、私的にはしっくり来ます。サントス博士が言っている父なる存在というのは、中山さんの言う母体レムリアなのかもしれないなと思うのです。

とてもややこしくなってしまいましたが(笑)、とにかく、

女性性と男性性という二極性があるように、ムーは植物とか動物を使った今のシャーマニズに通じる叡智があり、この3次元では目に見えない世界のツールを活用していた。アトランティスは、水晶など鉱物とか数秘を活用する事、物質的なツールが得意だったのでは無いかと思います。元は、母体のレムリアから発展し、ある時やり方の違いで派閥が起きて分離した。。。それが、また今、レムリアの時代に戻り、統一へと、ワンネス、Lokahi へと向かっている。。。

統合的に、植物、動物、鉱物、数秘。。。あらゆる事を理解して、ワンネスに回帰して行く事が人類の目標なのでは無いかと思いました。

でも、あまり難しく考えずに、自分が興味ある事は、どんどん学び、実践を通して体験して、自分の振動数を上げて行けば良いのだと思います。

喜びを体感している時、感謝を心から持てる瞬間は、振動がかなり上がっている瞬間!

その瞬間を増やして行く事でワンネスに到達出来ると思います♡

今、ムーよりもレムリアという言葉の方が多く活用されている気がして、違和感があったのですが、これを調べて、ちょっと納得しています。


今週も喜びと愛・感謝にフォーカスして、波動を上げて行きましょう

aloha&pono



www.alohapono.jp



実際はどこにあったのでしょうね? 地形も50万年前だと日本も今の状態と少し異なります。まだ大陸と陸続きだった場所があるので、そこからムー(やアトランティス)の人々が入って来たのでしょうか?それともこのムー大陸が沈んだ時に泳いだり、船で逃れた人達が今の日本の土地にたどり着いたのでしょうか?レムリアは、この次元ではなく、少し上に浮遊していたなんて言っている人もいるようです。








2021/6/7追記

長年の??がようやく解決しました!こちらのリンクをお読みください!私がやっているもう一つのブログです。

https://blog.goo.ne.jp/truthseeker/e/f575a3a1273a712b626219548cd2d027?fbclid=IwAR1gp5eln2JetqoeRx6-N9Obb8DrabrqxJOXdPu5q64iV305Mb7YFIsR9zc


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムーとレムリアは同じ?違う? その1

2019-06-09 09:29:17 | ムー レムリア
アロハ ウハネ

自称ムー人である私ですが(^,^)、ずっと以前から疑問に思っている、ムーとレムリアは同じなのか?違うのか?っという問題について、新しい見解を述べている動画を見つけたのがきっかけで色々調べてみました。

調べれば調べるほど、迷路に入って行くように、分からなくなっていますが。。。笑 まあ、遥か昔の事なので、色々な事を言っている人達がいますが、どれも100%実証できる証拠はないわけで、どうでもいい事かもしれませんが、私の好きなファンタジー・SiFiの世界なので、ここにまとめてみようと思います。

なぜ、この時期になって、また調べてみる気になったかというと、たまたま何かを調べていて、みつけた動画に縄文エネルギー研究家である中山康直さんが「ムー・レムリア・アトランティス」について、今まで聞いた事のない説を述べていたからです。

(これは次回説明致します。)

***********************************


まず、今まで私がハワイのカフナやニュージーランドのワイタハ族の長老などから聞いていた話では、「ムー」と「レムリア」は、同じで、レムリアは、西洋的呼び名であると聞かされていましたので、そうだと信じていました。

ある友人にその話をすると、「でも地図でいうと場所が違うよね。調べてごらん」と言われました。

早速Wikipediaで調べますと、なるほど地図ではムーとレムリアの場所は異なりました。

ムー大陸は、一般的には太平洋の中央にあったと思われています。



(日本語と英語のウィキペヂアより抜粋)

「ジェームズ・チャーチワードの著作「『失われたムー大陸』」1926年によると、ムー大陸は約1万2000年前まで太平洋上に存在したという東西7000km、南北5000kmにもなる大陸で、現在のハワイ諸島やマリアナ諸島、 イースター島など南太平洋上に点在する島々が陸続きになっていたとされる。世界でも類を見ないほど栄華な文明を誇ったとされるが、約1万2000年前に巨大地震などの天変地異が起こり、一夜にしてムー大陸は水没したという。ムー(Mu)の意味は、Mother Landという意味だ。」

「ムー」の語源

1862年頃、フランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブール( 1814年–1874年)は、マドリードの王立歴史学会の図書室で、ユカタン司教 ディエゴ・デ・ランダ・カルデロン(1524年 - 1579年)が書き残した『ユカタン事物記』を発見し、マヤ文字とスペイン語のアルファベットを対照させた表(ランダ・アルファベット)を見出した。




彼は、トロアノ絵文書をこれによって解読し、「ムー」(Mu)と呼ばれる王国が大災害によって陥没した伝説が描かれており、アトランティス伝説と類似性があると1863年に発表した。この論文により「ムー」という単語が生まれた。

またジャージー島出身の遺跡写真家として知られるオーギュスト・ル・プロンジョン( 1825年 - 1908年)もトロアノ絵文書を翻訳し、アトランティス大陸崩壊後にムーの女王モーがエジプトに渡り、女神イシスとしてエジプト文明を作ったと主張した。



そして、下がレムリア(Lemuria)の地図です。インド半島の先辺りから広がっています。



(日本語と英語のウィキペヂアより抜粋)

「イギリスの動物学者フィリップ・スクレーターが1874年に提唱した、インド洋に存在したとされる仮想の大陸。5000万年以上前のインド洋にインドの南部、マダガスカル島、マレー半島があわさった大陸が存在したのではないかと考え、キツネザル(レムール、Lemur)にちなみ「レムリア大陸」と名付けた。現在では、アフリカのマダガスカル島にしか生息していないキツネザルの化石種がインドから発見されており、また近縁の原猿類はこの島を挟んでアフリカ中部と東南アジアのマレー半島・インドネシアにのみ生息する。」

南インドのタミール語では、Kumari Kandamとも言われていて、「女性(性)の大陸」。「母なる大陸」というような意味です。女性のチーフ達が統治ていたという伝説もあります。

レムリアもムーも同じような意味があるというのは、これではっきりしました。


このような国章も存在します。イギリス領インド洋地域の国章であり、下にラテン語で「In tutela nostra Limuria」と書いてあり、「レムリアを信頼し指揮する」というような意味が書いてあります。





国章に使うくらいですから、やはり実際に存在した文明であると言えるのではないでしょうか。

亀を使っているのも興味深いです。ハワイでは母なる大地を表すような存在です。


*************************


「ムー」と「レムリア」は、同じであるとずっと信じていたのですが、地図でみると違う場所であるという説があるのです。ウィキペディアが信用できる内容であるかどうかも定かではありませんが、ここには、

「科学技術の発展により、太平洋の各海域で探査が行われるようになると、「太平洋の海底は、1億年前や数千万年前からずっと海だった」ことを示唆するデータが相次いだ。現在までに判明した海洋底探査の様々な学術データの統合から、約1万2000年前に太平洋から突如沈んだとされるムー大陸は存在しなかったと考えられている。」と書かれています。


また数年前に、新しい説を聞く事になりました。それはムー大陸が数回に渡り海底に沈んで行き、一番最後に残った一部分をレムリアと呼び、激しい地殻変動によって海中に沈んで行ったという内容です。

これは、アンデスに封印された「ムー・レムリアの超秘密」(徳間書店)ジョージ・ハント・ウイリアムソン著からの説です。


************************

まずは、この
アンデスに封印された「ムー・レムリアの超秘密」(徳間書店)
ジョージ・ハント・ウイリアムソン著より

少し、どのような世界だったのか?その流れを読んでみましょう。

最後に残った一部分だったレムリアが激しい地殻変動によって海中に沈み、ムー大陸が完全にこの世界から姿を消したのは、約1万2000年から1万4000年前のことであった。かつて大西洋に存在したアトランティス大陸の最後の一部であるポセイドニスもまた、その直後に水没した。

レムリアが海中に沈むころ、この地球は激しい地殻変動に見舞われていた。

今の南米大陸の海岸線もその影響をもろに受け、外観を大きく変化させていった。現在のアンデス山脈が出現したのはその頃のことである。ボリビアの古代都市「ティアワナコ」は、かつては南米大陸の西海岸沿いにあり、レムリアの貴重な植民都市だった。

しかし、温暖な気候と自然の幸に恵まれたその豊かな港湾都市も、当時の激しい地殻変動の影響ではるか高地に押し上げられてしまい、極寒の荒涼とした環境の中に追いやられるに至った。現在世界最高位で標高3814メートルにある湖として知られる「ラゴ・チチカカ」、つまり「チチカカ湖」もその頃に誕生したものである。



大陸の最期が近づくと、「聖なる道」を歩んでいた賢者たちは、レムリア中の図書館から古代の知恵が記録された巻物を集めた。彼らは「白色同胞団・大聖者会議」の決定に従い、世界中のさまざまな場所に分散して移り住むことで、レムリアの古来の科学的、霊的知識を安全に保管し続け、またその知識を少数の進歩した生徒に教えるために、それぞれの場所で修院を設立することになった。

しかしそれらの修院、つまり学校の存在は、何千年もの間、人類の一般の人々には秘密にしておくことが義務付けられていた。それが今なおそれらの学校が、ミステリー・スクールと呼ばれている所以(ゆえん)である。

沈みゆくレムリアを発った賢者アラム・ムルが目指したのは、チチカカ湖であった。
その後彼はその近くの巨大な渓谷に、「7つの光の愛」の総本山として後々まで重要な役割を果たし続けることになる修院を建設している。その渓谷もまた、アンデス山脈とともに当時の地殻変動によって造られたものであった。

しかしそこは極寒の山岳地帯のど真ん中という環境にありながら、その高低差ゆえに穏やかな亜熱帯気候を有し、木の実や果物などが巨大な大きさに成長する山間の別天地であった。しかしそこにもまた「ティアワナコ」と同じく、かつての南米大陸の海岸都市が山間部に押し上げられて、廃墟として横たわっていた。

アラム・ムルは最初の修院を、その廃墟の上に建造した。

宇宙の歴史やその他の情報を満載したその資料は小さなクリスタルに記録されており、ある種の電磁場に囲まれた状態で保存されているが、後にその天体に住んだ敏感な人々によって感知され、時々日の目を見ている。



この中の情報に触れてみたいですね!

****************


長くなるので、また次回続きます♪

うちにあるクリスタルのナイ'アちゃん(←過去記事あり)もプレアデスから来ているというので、その情報が入っているのかな〜〜 いつかその扉を開ける事が出来たら嬉しいです!

(ムーやレムリアの人々は、元々、プレアデスやシリウスから来たと言われています。)

aloha&pono


今週もワクワク楽しく、大きな変革期をポノに意識を向けて、楽しんで過ごして行きましょう〜

www.alohapono.jp


ムーとレムリア その2 はこちら↓
https://blog.goo.ne.jp/alohapono/e/6663a3a8ff902ebdb026c9890103590f


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムー大陸、タ・ルア

2017-11-06 16:52:32 | ムー レムリア
アロハ ウハネ

ムー大陸(レムリア?)は、古代ハワイ人の間では、ハヴァイ’イ・ティ(現代:ハワイ・キー)またはタ・ルアという名前で呼ばれていたそうです。ラ’イラ’イが人間を産みはじめてから、タ・ルアが海底に沈んでいくまでの間に812世代の人間が存在したといいます。単純に一世代が25歳で次の子供を産むと換算すると4世代目ができるまで100年です。すると812世代が出来るまでに2万300年かかります。ムー大陸が沈んだのが約1万2千年前とすると約3万年以上前から人間がこの大陸に存在していた事になります。1800年代にムー大陸の研究をしていたジェームズ・チャーチワード曰く、人間の起源は、このムー大陸にあるのだそうです。メキシコのマヤ族も元々はムー大陸出身で、人口が増えすぎた為、現在のメキシコに海を渡って移民して行った一派。そのマヤの石碑に残されている事を彼は調査しています。ですから、マヤ、インカ、アステカなどの文明を築いた人々は、皆、元々ムー大陸の人々だったと思われます。そして、北側に流れた人々は日本にも到来していたというわけです。沖縄の最西にある与那国島の海底遺跡もムーの中央神殿の一つであったとされています。言語はここまでいくとかなり変化してしまっていますが、ポリネシアの中では、かなり共通した言葉が残されています。

タ・ルア、またの名をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)と称されたムー大陸は、やがて海に沈み、その母なる土地を故郷とする者で生き延びた者たちは、その沈んだ大陸をハヴァイ’イ・モエ (眠るハヴァイ’イ)と名つけていました。タヒティ・モエと呼ぶ人たちもいました。"Tahiti moe i te tai na hinari'i" 「我らの母なる大地は、天のチーフの国から舞い降りて、今、太平洋に眠る」という表現が残されています。ムー大陸の事をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)またはタ・ルア、そして更にタヒティ(タヒチ)と呼ぶ者もいました。

幻のムー大陸。西洋の学者たちは、それは単に空想にすぎない伝説と思っているかもしれません。しかし、ポリネシアの人々に伝わる言葉をみると、本当に存在していたと私は確信します。

サモアの人々も沈んだ大陸を自分たちの母なる土地と呼び、その名をタ・ルアと呼んでいます。またの名をサヴァイ’イ。これは、ハヴァイ’イ(現代:ハワイ)と同等の意味があります。イースター島は、ムー大陸の南東の端に位置していた陸が火山の噴火で飛び散り島となって残ったと考えられます。イースター島にも、たくさんの石に彫られたイメージがハヴァイ’イのタパ(布)にも同じ図柄が残っています。マルケサス諸島は、ポリネシアン・トライアングルの東中央に位置します。この島々にも、木の彫刻があり、ハワイやイースター島で見られた同じようなシンボルやイメージが刻まれています。そして、さらに、その三箇所で共通しているのは、点の回りに円が描かれたイメージで、これは太陽を表していると解読されています。これは共に「永遠の神聖なるグレート・スピリットの輪」を表現しているのです。また三角の図柄を「神の家、住処」として表現しています。

マルケサスの人々は、またハワイの人々と同じ神々の名前を知っていました。神聖なる父、天界の王は、ターネ(現代:カネ)神であり、その父は、ケアヴェ(テアヴェ)、その兄妹であり妻が天界の女王マラマ。この三神が最高神のトリニティと信じられていました。マルケサス諸島とタヒチのあるソシエテ諸島の間の海をTe Tai O Marama (テ タイ オ マラマ)、天界の女王の名前にちなんで「マラマの海」と名つけていました。

ハワイでは、南太平洋を司るタナロア(現代:カナロア)神がマルケサスではタナオア。タヒチでは、タアロア。ニュージーランドのマオリの人々は、タンガロアと呼んでいます。非常に似通った発音ですね。

ハワイで知られる平和の神、ロノは、マルケサスでは、オノ。タヒチではロオ。ボラボラでは、オロ。サモアではロンゴ(Longo)。マオリでもロンゴ(Rongo)です。

ハワイでは母なる大地は、パパ。マオリも同じくパパと呼んでいます。マルケサスでもパパと呼ばれ、空なる父は、ヴァテア(現代:ヴァケア)。これもハワイと同じです

ここに一覧は、書きませんが数字の1から10もハワイ、タヒチ、サモア、マオリ、フィジでほとんど同じです。

もう一つ発見されている真実として、西洋人が初めてタヒチに到来した際に、不思議な小人たちがいたという記録が残っています。タヒチでは、この種族をマナフナ(manahuna)と呼んでいました。彼らの背丈は1m前後だったようです。タヒチのマナフナとハワイに存在していたと云われているメネフネ(mehehune)は、同じではないという人もいますが、どうなんでしょうか?私は個人的に同じなのでは、ないかと思います。 

ハワイのメネフネたちは、人間ではなく妖精のような存在で、夜にだけ出て来て仕事をし、夜明けと共に姿を隠すスピリットたちでした。(メネフネは、私的には地底人あるいはETだったような気がします。もともとプレアデスから来た存在であると聞いた事があります。)

西洋人がマルケサス諸島を訪れた時も同じような小人たちがいた事が分かっています。マルケサスで彼らは、mata-ai-nana(マタ・アイ・ナナ)と呼ばれていました。ナナとは、「天界のグレート・グランドマザー」であり、その意味は、「ナナに属する子供たち」。ナナは、マラマの別名であり、同一の母なる神を指しています。ハワイでも、先住の民を称して、そのような表現をする事がありました。ニュージーランドにも同じ小人たちが存在していました。彼らは、モオーウリウリと呼ばれていて、その意味は、「女神ウリウリの子供たち、孫たち」でした。(女神ウリウリは、ケアヴェ神の娘。カネの兄妹。) ハワイでは、この小人たちをムーと呼んでいました。カウアイ島に行くと今でも、とても背丈の小さい人たちを時々見かける事があります。フラの世界で有名な故アンクル・ジョージ・ナオペは、このムーの松枝であるといわれています。

今のマオリ族やタヒチアンたちは、後からこの土地に住みはじめた人たちであり、小人の先住民たちは、ほとんど抹消されてしまったか、途絶えてしまいました。

ハワイやタヒチ、サモア、フィジ、イースター島。。。これらは、沈み眠っているムー大陸、「タ・ルア」の一部であり、海の上に残った島々なのでした。

他の島々では、ほとんどタフナ(現代ハワイ:カフナ)、タフア(タヒチ)、トフンガ(マオリ)たちが消えてしまっている為、その歴史がはっきりと伝えられていませんが、なぜか唯一ハワイでは語り伝えてられて来たのでした。

皆さんは、この昔昔のムー大陸を信じますか?ハワイのスピリチャルな世界に興味のある方は、きっと遠い記憶として覚えている方も多いのでないかと思います。

以前にも書きましたが、日本でこれだけフラが流行って愛されているのも、きっとその遠い記憶が蘇って来ている証拠なのではないかと思っています。

世界にたくさんのアロハが広がりますように


今週も愛と感謝を意識して、たくさんのアロハ・パワーを広げて来ましょう♪

紅葉が綺麗な清里より

aloha&pono












参考文献:James Churchward, "The Lost Continent of Mu" (1931)、Leilani Melville, "Children of the Rainbow"(1969)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする