アロハ ウハネ
『神道は「神ながらの道」(カンナガラ)。仏教、キリスト教、儒教、道教、イスラム教。。。とすべて「教」という字が入りますが、神道は、神教ではなく「道」です。古代日本語の「みち」の「み」とは聖なるものを称する接頭辞で「ち」は霊威(霊の威力)を表し、それが組合わさった言葉です。。。』「神ながら意識」矢加部幸彦著より
最近ナチュラル・スピリットよりちょっと興味を引くこの本が出ていたので、早速取り寄せ読んでみましたら、古代ハワイの叡智ホ’オポノ・ポノ・ケ・アラで伝えている事と同じ事が神道にもある事が多々書かれていました。ケ・アラもここで云う「みち」なのです。正しいものを更にに正していく道。
p50~51あたり:『神は宇宙と同時に生まれ、神も人も自然発生した。産霊によって自然発生したというのが古代日本の宇宙観であり、作ったもの、作られたものという対立がない。ここには、「悟る」とか「悟らない」とかいう区別がないのです。神から生まれた神である私たちも、その区別はなく、あえていうならば、弥栄(いやさか)の為に日々働く私たちは、むしろ「神ながらにすでに悟っている」と言っても良いでしょう。。。。』
私たちが偉大なるウハネである事、つまりすでに神が宿っている神聖な存在である事を自覚するというポノ叡智と同じ。ポノ、「すでに正しい」という発想と同じです。植物等と同じように成長していく自然のあるがままの状態。悟っているからといって、そのままではなく、更に「いやさか」=「いよいよ栄え、ますます繁栄する」ために、更に正していくのが、自然なのです。宇宙も停滞している事なく、動いて発展していくのと同じように。宇宙の働き、自然の働き、生命の働き。。すべては「いやさか=ポノ」をさらにポノにしていこうと動いているのです。これが神ながらの道。
p62:『旧約聖書をベースにした西洋思想では、神が宇宙・世界を創ったとあり、ここで神と宇宙・世界が分離してしまっています。当然ながら神と人も分離対立しているので、一つではありません。善と悪、完全・不完全、正しい、間違っているといった対立概念が生まれてしまったのです。常に神に救いを求めて暮らしていかなければならない、不完全な人間。。不完全がゆえに罪を犯すという発想がありますが、神道には善悪の区別、対立や罪という概念がありません。』
これも古代ハワイの叡智と同じです。罪という概念がないし、すべてはポノ。善悪という区別や対立がありません。だからロカヒ、すべてが一つであると考えます。また私たちは既に完璧な存在であるという考え方があります。ですから不完全ではないのです。神と区別・対立しないのです。また「~をしてはいけない」といった戒律が存在しないのも同じです。
p80:『過ちを犯すことも自然ながら。。。人は神と同じく完全円満(=pono)です。神も「過ち」を犯します。「過ち」を犯すことは自然であり、過ちを犯したら「いやさか」に戻ればよいと考えるのが神ながらの道です。』ピリキアになったらポノに戻る。ただそれだけ。。ここも同じですね。
p89:ここでは「霊主体従」という言葉が出て来ました。霊=ウハネが本来主であるという事です。体はそれに従う。これもハワイの叡智と同じです。
ますます古代ハワイの叡智ホ’オポノ・ポノ・ケ・アラと古代日本の道の世界が一つである事が分かってきて、とても嬉しい一冊でした。日本的な用語も知る事も出来ました。「いやさか」「神ながら」「産霊(むすび)」。。。日本語は本当に美しいなと思います。言霊を理解しているからこそ、このような美しい言葉が生まれたのでしょうね。
p.190: 『穢れとは「気枯れ」であり、「気離れ」という事。生きていれば何かあるのは当たり前。心が動揺し、意気消沈し、不安や心配で気が散らばってしまう事(=ピリキア)。そこで「禊ぎ」をして、その不快感から脱去し、心機一転、天晴れたる清々しい清浄感を取り戻すための生命の本能の在り様である。』
これがホ’オポノ・ポノです。ピリキアをポノに変えていく事の繰り返しが人生。その度にさらに、「いやさか=ポノ」へと向かっていく道。
p224:『古代、言葉には霊的な力があると考え、それを言霊と呼びました。言葉で祝うということは、目の前の現象をつかまえて言葉で表現しているのではなく、現在または未来において、引き起こしたい状態を呼び寄せることです。未来の望ましい状態を顕現させる呪術の一種ともいえます。』
これは、引き寄せの法則、Kanawai Kaumahaや感謝の法則、Kanawai Mahalo, 笑顔の法則、Kanawai Moakaakaなどにつながる考えです。
この他にも「おはようございます」の意味だったりとか、天皇陛下について、宮中御所という世界一の聖地についても感動し共感する内容が書かれていました。良かったら読んでみて下さい。簡単にかいつまんで書かせて頂きましたが、やはり神道とホ’オポノ・ポノ・ケ・アラは、同じ源から発生している事が改めてわかり、より理解を深める事ができました。
人生、現実は自分が創造しています。
今週も愛・喜び・感謝に意識をフォーカスしてポノなweekをお過ごし下さい。
aloha&pono
追伸:上記の引用は、一語一句きっちりとコピーしていないかもしれません。ご了承下さい。また誤字脱字がありましたら申し訳ありません。お知らせ下さい。
『神道は「神ながらの道」(カンナガラ)。仏教、キリスト教、儒教、道教、イスラム教。。。とすべて「教」という字が入りますが、神道は、神教ではなく「道」です。古代日本語の「みち」の「み」とは聖なるものを称する接頭辞で「ち」は霊威(霊の威力)を表し、それが組合わさった言葉です。。。』「神ながら意識」矢加部幸彦著より
最近ナチュラル・スピリットよりちょっと興味を引くこの本が出ていたので、早速取り寄せ読んでみましたら、古代ハワイの叡智ホ’オポノ・ポノ・ケ・アラで伝えている事と同じ事が神道にもある事が多々書かれていました。ケ・アラもここで云う「みち」なのです。正しいものを更にに正していく道。
p50~51あたり:『神は宇宙と同時に生まれ、神も人も自然発生した。産霊によって自然発生したというのが古代日本の宇宙観であり、作ったもの、作られたものという対立がない。ここには、「悟る」とか「悟らない」とかいう区別がないのです。神から生まれた神である私たちも、その区別はなく、あえていうならば、弥栄(いやさか)の為に日々働く私たちは、むしろ「神ながらにすでに悟っている」と言っても良いでしょう。。。。』
私たちが偉大なるウハネである事、つまりすでに神が宿っている神聖な存在である事を自覚するというポノ叡智と同じ。ポノ、「すでに正しい」という発想と同じです。植物等と同じように成長していく自然のあるがままの状態。悟っているからといって、そのままではなく、更に「いやさか」=「いよいよ栄え、ますます繁栄する」ために、更に正していくのが、自然なのです。宇宙も停滞している事なく、動いて発展していくのと同じように。宇宙の働き、自然の働き、生命の働き。。すべては「いやさか=ポノ」をさらにポノにしていこうと動いているのです。これが神ながらの道。
p62:『旧約聖書をベースにした西洋思想では、神が宇宙・世界を創ったとあり、ここで神と宇宙・世界が分離してしまっています。当然ながら神と人も分離対立しているので、一つではありません。善と悪、完全・不完全、正しい、間違っているといった対立概念が生まれてしまったのです。常に神に救いを求めて暮らしていかなければならない、不完全な人間。。不完全がゆえに罪を犯すという発想がありますが、神道には善悪の区別、対立や罪という概念がありません。』
これも古代ハワイの叡智と同じです。罪という概念がないし、すべてはポノ。善悪という区別や対立がありません。だからロカヒ、すべてが一つであると考えます。また私たちは既に完璧な存在であるという考え方があります。ですから不完全ではないのです。神と区別・対立しないのです。また「~をしてはいけない」といった戒律が存在しないのも同じです。
p80:『過ちを犯すことも自然ながら。。。人は神と同じく完全円満(=pono)です。神も「過ち」を犯します。「過ち」を犯すことは自然であり、過ちを犯したら「いやさか」に戻ればよいと考えるのが神ながらの道です。』ピリキアになったらポノに戻る。ただそれだけ。。ここも同じですね。
p89:ここでは「霊主体従」という言葉が出て来ました。霊=ウハネが本来主であるという事です。体はそれに従う。これもハワイの叡智と同じです。
ますます古代ハワイの叡智ホ’オポノ・ポノ・ケ・アラと古代日本の道の世界が一つである事が分かってきて、とても嬉しい一冊でした。日本的な用語も知る事も出来ました。「いやさか」「神ながら」「産霊(むすび)」。。。日本語は本当に美しいなと思います。言霊を理解しているからこそ、このような美しい言葉が生まれたのでしょうね。
p.190: 『穢れとは「気枯れ」であり、「気離れ」という事。生きていれば何かあるのは当たり前。心が動揺し、意気消沈し、不安や心配で気が散らばってしまう事(=ピリキア)。そこで「禊ぎ」をして、その不快感から脱去し、心機一転、天晴れたる清々しい清浄感を取り戻すための生命の本能の在り様である。』
これがホ’オポノ・ポノです。ピリキアをポノに変えていく事の繰り返しが人生。その度にさらに、「いやさか=ポノ」へと向かっていく道。
p224:『古代、言葉には霊的な力があると考え、それを言霊と呼びました。言葉で祝うということは、目の前の現象をつかまえて言葉で表現しているのではなく、現在または未来において、引き起こしたい状態を呼び寄せることです。未来の望ましい状態を顕現させる呪術の一種ともいえます。』
これは、引き寄せの法則、Kanawai Kaumahaや感謝の法則、Kanawai Mahalo, 笑顔の法則、Kanawai Moakaakaなどにつながる考えです。
この他にも「おはようございます」の意味だったりとか、天皇陛下について、宮中御所という世界一の聖地についても感動し共感する内容が書かれていました。良かったら読んでみて下さい。簡単にかいつまんで書かせて頂きましたが、やはり神道とホ’オポノ・ポノ・ケ・アラは、同じ源から発生している事が改めてわかり、より理解を深める事ができました。
人生、現実は自分が創造しています。
今週も愛・喜び・感謝に意識をフォーカスしてポノなweekをお過ごし下さい。
aloha&pono
追伸:上記の引用は、一語一句きっちりとコピーしていないかもしれません。ご了承下さい。また誤字脱字がありましたら申し訳ありません。お知らせ下さい。
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