陽だまりのねごと

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日本の貧困介護福祉

2006-01-07 06:19:03 | Weblog
くろまんとさんと貧困福祉のコメントのやりとりをしていると、これからの福祉の行く道の寒さは今年の寒波並みに思える。お~今朝も寒い。

欧米のいろんな施設が登場する映画を観ると、そこにはまるで日本とは違う光景。老人施設でも、お化粧をしてストッキングにアクセサリーを付けた女性が登場する。病院くさいムードの日本とはまるで違ったサロンのような光景も見られる。機能的な衣服を見につけさせてあげるのがやっと。アクセサリーなど危険や盗難と言う事で持ち込みすら無理だろう。入所手荷物梱包の手伝いをした事があるが、持って行ける衣類・品はわずかだった。置く場所がないそうだ。

介護福祉士の実技免除講習では施設介護職と訪問介護職とすぐに判別がついた。施設型は毎日、多量にオムツ交換などをこなしているから、実に手早く上手い。しかし一概にいえないけれど声かけがマズイ。一方、訪問型は介護より家事援助が多いから、技術的には不慣れな人が多いが、話し掛ける事には慣れている。

それだけ訪問は健康な人に接していると言うことかもしれないし、施設では口を開いて要求できない人の声なき声に耳を傾ける時間がないのかもしれない。施設の規定の人員では充分ではないと言うことだろう。

講習では『自己決定権』『利用者の気持に沿った介護』とかなり会話が重視された。現場は介護制度導入によって、訪問介護でも30分刻みの契約時間内で計画された作業をしなければならないから、高齢利用者の意向を充分に聞くゆとり時間は実際には入っていない。ゆっくり話す高齢者ペースを大事にしていると時間超過。サービスタイムばかり増える。細切れ時間で訪問スケジュールが組んであるから、その超過もできない。それでも施設より訪問型介護者は口が回る。ひとりひとりに対応しているからでもあろう。

理論はかくあるべきと唱えても、現場は理論実践できる人員も時間もギリギリ。心ある介護者は心も病む事になる。

外国映画のような有料老人施設も出来つつある。介護保険では実現できない部分を自己負担で賄う。お金がある人専用だ。『下流階級』なんて言葉が去年の流行語大賞だった気がするが、老後まで貧富の差は広がっていく。

また、行政の隙間を埋めるような利用者サイドに立った小さな施設もいろいろと誕生してきている。採算はどうしてとっているのか?利用者に良ければ、働く人のガマンが大きいようにも思われる。

介護の現場では、廃物による創意工夫が多くみられる。私の仕事カバンには台所洗剤の空ボトルが入っている。オムツ交換の際に適温のお湯を入れて陰部を洗い流すのに使う。お金をかけずにが骨の髄まで沁み込んだケチくさい福祉の象徴の様に見える。

若い介護職がどんどん現場に送り出されるが、正職員はわずか。その中で公務員並みの給与保障のある施設もわずか。何年経っても昇給がない施設もある。人員不足は臨時、パートと言うもっと安い労働力に頼る。人が細切れ。切った貼ったで何とか凌ぐ。

いまでも充分貧しい福祉。さらに切捨て、切り詰めに拍車がかかっている状況下、どこかに介護される人も介護する人も共にもやさしい場所はないかなぁ~と働く者もキョロキョロしている。働きたいと福祉を学ぶ人たちの受け皿は薄い。さらにがっかりしない現場作りを早急にしないと、大学にもどっさり出来ている福祉学科熱もいずれ冷めてしまうような気がする。

我ら中年、要介護予備軍は親の介護しながら、自分たちは誰に介護されるんだろうか?ちゃんと人らしく最後が迎えられるか?不安でいっぱい。いつか観たアニメの介護ロボットベットカプセルに入れられ、生命維持装置が働いていつまもでも生かされている映像が現実じみてチラつく。