もう昨日になりますが、パソをいじりながら、なんとなくテレビをつけていました。
その時の番組は『王様のブランチ』。ほとんど耳で聞いていただけ。
でも、映画のコーナーになって、クリント・イーストウッド監督のインタビューコーナーでハッとしました。
今までの監督のお仕事(俳優監督含めて)のダイジェスト映像が流れて、耳に、「ゴーアヘッド…」の台詞が飛び込んできたんです。
以前に記事で書きましたが、ダーティーハリーの決め台詞、「ゴー・アヘッド、メイク・マイ・デイ」が、ひとっつも難しい単語は無いにもかかわらず、意味が分からなかったのです。
(もとの台詞のインパクトが強すぎ、日本語訳を忘れてしまった)
その時の番組は『王様のブランチ』。ほとんど耳で聞いていただけ。
でも、映画のコーナーになって、クリント・イーストウッド監督のインタビューコーナーでハッとしました。
今までの監督のお仕事(俳優監督含めて)のダイジェスト映像が流れて、耳に、「ゴーアヘッド…」の台詞が飛び込んできたんです。
以前に記事で書きましたが、ダーティーハリーの決め台詞、「ゴー・アヘッド、メイク・マイ・デイ」が、ひとっつも難しい単語は無いにもかかわらず、意味が分からなかったのです。
(もとの台詞のインパクトが強すぎ、日本語訳を忘れてしまった)
でも、ハッとして画面を見たら、字幕を読むことができました。
『やってみろ、望むところだ』とありました。一応謎は解けた……。
でも謎が謎で無くなってしまうと、なんとなくもの悲しいのはなぜでしょう
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