スヌーピーのしあわせはあったかい子犬 価格:¥ 1,470(税込) 発売日:2008-07-24 |
たぶん、この“スヌーピーのコミック”として有名なピーナッツブックを初めて読んだのは小学校5年生の時。
そのときはただ、可愛いキャラクターと谷川俊太郎氏の絶妙の訳の面白さにに魅かれただけだと思いますが、いつのころからか、キャラクターたちはストレンジャーの子どもたちなんだ、というのが心にひっかかるようになりました。
以前、海外ドラマが好きだった、ということを書きましたが、そういうドラマや、翻訳ミステリーなど読んでいると、アメリカが舞台のものは実にたくさんの民族が出てきて、この人は何系、ということが気になってきたのです。
民族間の対立や、特殊な習慣、宗教観が重要なテーマの作品も多くありますし、やはりその人物のルーツや背景を知ると、物語世界も奥行きが広がる気がして。
ピーナッツのこどもたちは、大半が移民の末裔なのかな、と思います。主人公チャーリー・ブラウンは作者シュルツ氏自身が投影されているとすれば、ドイツ系なのかな、とか。
ライナスとルーシーの姉弟の姓はヴァンベルト、オランダ系、だったかな?シュローダーもドイツ系?ペパーミントパティは、アイリッシュ系なのかな……。クラス1の優等生フランクリンは、アフリカン・アメリカンですよね。
そのせいなのかな、どこかアメリカ的なカラッとした明るさとは一線を画しているというか、優しく、ほのぼのしているけれど、その底に寂しさがあるように感じて、かえって共感するのです。
そして、少し話はそれますが、最近、やはり大昔に読んだ『しあわせはあったかい子犬』という本をふと思い出したりしたのでした。
ウチはまさに、“しあわせはあったかい猫”という生活だったので。
そのささやかなものに向ける優しいまなざしと、異邦人のようなちょっと突き放したような空気感に、いまだに魅かれてしまうのです。
そうでした!
私もアニメ、観てました。
チャーリー・ブラウン、吹替えは谷さんだったんですねぇ[E:coldsweats02]
私はそれほど違和感を感じなかったのですが、弟がちょっと嫌がっていたのを思い出しました。
そちらに慣れてしまうと、今度は子どもの声のバージョンに驚いたりするのですけど……[E:confident]
谷さんのご冥福をお祈りいたします。
谷さん、というと私は、アニメ『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』での、チャーリー・ブラウンの吹き替えをまず思い出してしまうんです[E:coldsweats01]
(この他のキャストは、ルーシー=うつみ美登里、サリー=松島トモ子さんを記憶しているんですけどね…[E:coldsweats01])
その時のディレクターはどなただったのか存じ上げませんし、いかなる意図の下のキャスティングだったのか推測するしかありませんが…
「子供しか出て来ない、子供向けのアニメでも、描かれている機微や感情は、どの年代の人々にも共通するものだ」という意図があったのでは、と…
谷さんのチャーリーは、周囲に振り回され呆然とするばかりの、気弱な面がよく出ていて…可哀想な中年男みたいでもありましたが[E:coldsweats01]
遅ればせながら、ご冥福をお祈りします…[E:weep]
あやは一日何度も膝に乗ってきたし、その必死な表情に「膝に乗らないと死ぬの?」と笑ってましたが、その一方で“他に楽しみないもの、仕方ないよね…[E:think]”とも思っていました。
母も、“外に出さないぶん、なんでもわがままにさせるんだ~[E:confident]”といっていました。
あやが少しでも幸せでいてくれたのならいいな、と思っています[E:weep]
猫は、はるか太古に、『人間と一緒に暮らす』事を、自分達の生活様式の選択肢の一つに加え、それを連綿と受け継ぎ、DNAに組み込んでいった種族の筈です。種類は違っても、『人間に撫でられるのは気持ちいい[E:confident]』または『積極的に好き[E:heart02]』という習性があるのが、その証拠[E:wink]
小鳥も、人間の近くにはいますが、どの種類の小鳥にも『人間に触れられるのが好き』という習性が共通にある、ことは無い、ですよね?
長く飼って馴らした小鳥単体が、一代限りの習性(と、言うか習慣)を得る事はあるでしょうが…
あやちゃんは、管理人さんご家族と一緒にいて、撫でられるのが大好きだった筈[E:confident]
閉じ込められている、なんて思ってなかったと思います[E:sign01]
私、絵本用の描き下ろしだと思っていました。
ところで、“小鳥は閉じ込められる事が何より恐ろしい”という言葉に、ちょっと切なくなってしまいました。
ああいう小さな生きものに泣かれると辛いなぁ~[E:weep]
それに、あやは完全室内飼い猫だったので、自由にさせなくてゴメン、という気持ちもあります[E:despair]
でも彼には、確かに“自由”というイメージがどのキャラクターよりも、ある[E:confident]清々しい印象を受けますよね[E:confident]
管理人さんが紹介された、ウッドストックのエピソード、私は漫画バージョンで読んだ事があります。
ただ、ママからの手紙には、ウッドストックもスヌーピーも、ちょっと凹んでましたね[E:coldsweats01]
私が、ウッドストックと母の日、というお題ですぐに思いつくのは…
丘の上でママに花を渡そうと、ずっと待っているウッドストックにスヌーピーが「君はママのいる所を知らないんだろ?ずっと遠くにいるかもしれないし、もしかすると鳥カゴに閉じ込められてたりするかも…」と言ったが為に、ウッドストックは大泣きしてしまうのです。
ああ、小鳥には、閉じ込められる事が何よりも恐ろしいんだろうなぁ、本当に、自由に生きたいんだろうなぁ、としみじみしたものです。
けっこう寂しそうではあるんですよね。
砂漠に暮らして、サボテンしか話し相手がなく、食事も貧しい。
でも、ヘタレ感漂う彼は、不思議に自由そうで、自分なりの哲学もありそうなんですよね~[E:confident]
そういえば、私、ウッドストックが出てくる話で、印象的なのがありました。
小さい子向けの絵本だと思うのですが、『お母さんはどこ?スヌーピー』という話。
みんなが母の日のカードを贈るので、ウッドストックもスヌーピーの力を借りつつ、どこにいるか分からないお母さんを探してカードを贈ります。でも、お母さんからは意外な返事が返ってくるのですね。
“小鳥というのは、そういうことをするものではありません。巣立ったら、それでおしまいなのよ。
飛んで行きなさい、振り返ってはだめ。世界中が、あなたのものなんだから”
孤独ではあるけど、どこか清々しい気がしました[E:confident]
前回のコメントで、ウッドストックを孤独な立ち位置にいるキャラクター、と書きましたが、彼は孤独ではあるようだけれど、不幸そうには見えないですよね。彼が、毎日をそれなりに充足して暮らしているように見えるから、なのだと思いますし、“孤独=不幸”では必ずしもない、というメッセージを、色々な形でシュルツさんが描いておられたから、だと思います。
(そういう意味では、砂漠に一人暮らす、スヌーピーの兄のスパイクなどは、このメッセージを最も強く発しているキャラクターでしょうね[E:confident])
あの個性的な風貌と、行動様式が…[E:happy01](どこから発想されたのか、気になりますね)
また、あの独特の話し言葉…スヌーピーが通訳しなければ、読者にも分からない…考えてみると、ものすごく孤独な立ち位置にいるキャラクターですよね…
管理人さんもおっしゃっていた、自らも移民の子供であったシュルツさんの、コミュニケーションに対する考えの一つが、この小さな小鳥に込められているのかもしれませんね…
コミュニケーションは、言葉だけを用いれば成立するものじゃないんだよ、という…
シュルツさんが亡くなった年に9.11が起こった事は、何か象徴的に思えます。ご存命なら、この出来事に対し、どのような表現を用いたのでしょう…