先月のことになるが、ジブリの新作映画『借りぐらしのアリエッティ』を観てきた。
観終わって連想したのは、過去のジブリ作品、『もののけ姫』だった。
あの作品のラストを観たとき、自然の領域で生きるサンと、人間の側で生きるアシタカが“別々に暮そう”と言ったので、これが、宮崎駿氏の結論なのかな、と少し淋しく思ったのを覚えている。
人間と、自然の完全な共生は不可能なのだと。
今回の映画も、アリエッティは自然(人間が破壊するもの全般?)を象徴するものであり、人間の少年と触れ合いながら結局、その出会いが小さき人たちの生活の破壊につながってしまうのだから、やはり同じ結論なのだろうか、と思った。
(事前予告でも出てきたので書いてしまうが)少年翔は、“君たちは滅びゆく種族なんだ”と残酷な言葉をアリエッティに投げかける。
けれどすぐ謝って、“本当は死ぬのは自分の方なのだ”ともいう。
そうなのだ。翔が死に寄り添って生きているように、本当は人間も、滅びゆく種族なのだ。
故伊丹十三氏が以前対談の中で言っていた。“古代の人が作ったような芸術作品を、現代の人間は創れない。人類は進化の途上にいるのではなく、ゆるやかに退化しているのだ”と。
そんな言葉も思い出し、少しもの悲しい、寂しい映画だと思った。
けれど、何日か経って、もう一度考え直してみて、それだけではない、と思った。
最後に、翔はアリエッティに、ある言葉を言う。
それが、人間が失くしてはいけない大切なものを象徴しているのではないか、と思った。
誰かが、“サンタクロースは現代にたったひとつ生き残った魔法的存在”と言ったが、アリエッティたちもそうなのだ。人間が失くしてはいけない、大切な何か。
それは微かだけれどまだ、人間の胸の中で、小さな明るい炎のように燃えている、と思う。
余談だが、映画の中で心に残ったモチーフはもうひとつある。
ドールハウスだ。小人たちの贈り物として作られ、けれど結局、住む者のいない夢の家。
でも、ドールハウス愛好家が言っていた。“本当のドールハウスは、人形は存在しないものだ”と。
完璧すぎるその美しい家に住めるのは、追憶だけなのだ。
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