こんばんは。日付が変わる前に今日はどうしても更新したいので、投稿します。
それは今日が10月4日だから。
昨年の10月4日に祖母は、右脚の下肢切断手術を受けました。原因は急性下肢動脈閉塞症により、右大腿部に血栓ができたからです。
その日から一年。祖母は今日もがんばって生きています。祖母は、ここ数日、精神的に不安定で大きな声でよく叫びます。処方されている頓服を服用させて、祖母がなるべく辛くないように様子を見ています。認知症の影響もあり、母や私の名前が出てこない時もあります。
今日は、入浴とデイサービス利用の予定でした。しかし、夜、深夜、早朝と不穏な状態で祖母自身も疲れていたのか、お迎えの1時間前の時点で熟睡していました。寝ている間はきっと起きている時より苦痛が和らいでいると信じ、睡眠優先で施設にはキャンセルの電話を入れました。
最近は、このような感じのことが多くなってきました。その日、その瞬間で判断して祖母にとっての最善を尽くす。母と私は予定を変更することも多いのですが、祖母の全身状態(特に肺と心臓)の悪さを考えたら、自然とそうなります。
ところで、昨年の10月4日は、肌寒い日でした。祖母の手術を待っている間に両親と入った院内のレストランでラーメンが売り切れていたことも覚えています。急に冷えると、温かいものが余計に恋しくなるのですよね。
それから、病院から貸し出されていたPHSが鳴り、ICUのあるフロアに行きました。看護師から説明があるとのことで待っていると、葬儀屋さんが祖母の脚を段ボールのような箱で持っていくのに出くわしてしまいました。それは私にとって予想していなかったことで、ショックを受けました。
手術が無事に終わり、執刀医からおおよその説明を受けた後、人数制限があったので母と私のみICUに入りました。祖母の状態で全身麻酔はできなかったので、ブロック注射での手術でした。ICUのベッドで、祖母は既に起きていて、私の手を取って「わぁ!あみちゃんだ!」「ありがとう」と言っていました。この時、祖母は手術を受けたことも、右脚の大部分を失ったことにも気がついていませんでした。その点に違和感を覚えました。
すべてのことをまだ生々しく覚えています。でも、昨年の私に、もし何か言えるのなら、「来年の10月4日もおばあちゃんは生きているよ。バニラバーのアイスも食べるし、ノンアル(祖母はビールだと思って飲んでいる)も飲むし、あんぱんも食べられるよ。それから、孫の手をお守りのように握りしめて、私をよくつついては、ケラケラと笑っているよ。」と伝えたいです。
画像:2024年10月4日(金)の祖母👵🍨
ビデオをスクリーンショットして編集したものです。