ハンガリーの諸侯国の1つであるトランシルバニアの宮廷で1500年後半に料理長によって「料理の科学」という料理書が書かれました。約600のレシピに1603年の宮廷のメニューがあり、その中にはタラゴンの名の付いた料理が4つ、タラゴンを使ったレシピが10記載されています。料理書には1558年にアラブからヨーロッパに入った ”トラガカント(tragacanth)” の記載があり、このことからタラゴンもこの時期には既に移入されていたことが判りました。
(今のところ、タラゴンが最初にヨーロッパ大陸に入ったのはハンガリーのトランシルバニア地方ということになります。余談ですが、58年から僅か4年後にイングランドに入っていたことは瞠目に値することで、如何にイングランドがハーブやスパイスに敏感であったかが判ります。)
この時代はハンガリー王国がオスマン帝国に破れた頃と一致します。(あたらしい文化が移入されたということは、受け入れる側にもその文化を吸収できる様々な能力が備わっていたということで、)この事件はタラゴンがヨーロッパ入る大きな契機になったであろうと思われます。1558年は注目すべき年です。
1529年にオスマン帝国によって第一次ウィーン包囲が起こり、ハンガリーを征服したオスマン帝国のスレイマン1世がハンガリーを直轄地(オスマン帝国領ハンガリー)とし、トランシルバニアを保護領(トランシルバニア公国)としました。一方、ハプスブルク家はハンガリーの北部と西部を支配(王領ハンガリー)しました。これまでにも、この地にタラゴンが入る機会は幾度となくあったと思われますが、ハンガリーが150年近くにわたり支配された事が大きな契機となったことは否定できません。そのことを示すように1600年代になるとタラゴンを使ったレシピがイングランドの料理書の中に増えてきます。(タラゴンだけではないでしょう、おそらくその他のハーブも入って来たと思われます。ハーブだけではないでしょう、料理方法も。食生活の様式も。生活様式も。)
取りあえず、1620年著の「料理の科学」からレシピを抜き出してみましょう。ゲラルドの ”the Herball” から23年後に出た料理書です。
Beef and camel meat for sale from the Vienna Tacuinum Sanitatis (folio 74) (Courtesy: Österreichischen Nationalbibliothek, Austria). これはウィーン写本だと思われますが、ヨーロッパでは必要としないラクダと成牛の図版が描かれています。理由については後に明らかになります。
The fifth with beef (5番目の牛肉料理) (仔ウシのレシピがこの料理書にはあるのでこれは本当に牛肉なのでしょう。西ヨーロッパでは成牛は骨髄を料理に使うか、ブロスの材料とするくらいでこのような料理はありません。このレシピがトルコ経由であることが判ります) から;
ローストビーフのタラゴン、セージソース和え(ROASTED BEEF WITH TARRAGON AND SAGE SAUCE)
肉を洗い、串に刺して塩を振りかけ、ローストする。よく焼けたら火から外して木で叩いて塩を落とす。鍋にスライス(この時代の牛は荷役のために飼っており肉は食用ではないので固くてスライスしないと食べられない)して入れ、ブロスを残しておき、味がしみるように牛肉の上にかけます。なければ、きれいな水をかけて火にかけ、(イヤな臭いが付かないように)洗い落とす。玉ねぎとセージを加えるが、セージの葉は切らずに半分または3分の1に切ってセージと判るようにしておく(タラゴンの葉が欠けているが料理名からここに入るべき)。ジュニパーベリーを少し加える。多すぎると苦くなります。酢を少し加えるが、多すぎないようにする。サフラン、黒胡椒、生姜を適度に加える。
ゲラルドは、タラゴンについて 『タラゴンは熱3、乾3度なので、レタス、スベリヒユ (レタスは冷、湿の2度)など他のハーブと一緒に食べることができる。それらの冷たさを和らげる。』 と述べています。
ゲラルドよりも少し後に生まれた、ニコラスカルペパー(1616-1654) もタラゴンについては同様の性質(乾で熱の3度)であると唱えています。ゲラルドはロケットの説明の中で 『ロケットとタラゴンは、性質が同じで、第3度の熱さと乾燥さがあるが、タラゴンは香りが良く、心臓に良いため、ロケットよりも優れている。辛味のある味のハーブの中では、特にタラゴンが優れており、その香りが良く、心臓に良いため、胃や心臓、頭にとても良い。ロケットもそうだ。それらは胃の粘液を切り裂き、食欲を刺激し、消化を助ける。サラダにも良いが、単独ではなく、レタス※やパースレーンなどの冷たいハーブと混ぜて食べるのが良い。そうしないと、肝臓を乱し、頭痛を引き起こす。サラダを作る最善の方法は、熱いハーブと冷たいハーブを混ぜることだ。胃や体の温度に応じて冷やすか温めるかを決定する。ロケットとタラゴンは、年配者や粘液質の人に適している。』 と述べています。これが四元素説を素とした体液学説の基本となる考えです。
※ この時代のレタスは恐らくロメインレタスでしょう。中世のレタスは下の絵のような姿をしています。
Ms 3054 f.10 Harvesting Lettuces, from 'Tacuinum Sanitatis' (vellum) 絵の下にはレタスの説明があります。(全ての 'Tacuinum Sanitatis' に同様の説明が付与されています)
性質:冷で湿の2度
良質のもの:大きな葉でレモンイエローの色をしたもの
有用性:不眠症と精液過多を和らげることができます
危険性:性交と視力に悪影響を及ぼす可能性があります
毒性を中和するには:セロリと混ぜることで中和することができます
ゲラルドは体液学説を熱心に述べていますが、上の牛肉のレシピにはそのかけらも見あたりません。因みにこの料理に使われた材料を取り上げ、その性質を調べると;
『牛肉(熱2,乾2度)これに塩(熱2,乾2度)を振りかけてロースト(熱)を加え、
水(冷4,湿4度)で洗い、以下の材料を使ってソースを作り、
玉ねぎは熱4,湿3度
タラゴンは熱3、乾3度
酢は冷1,乾2度を加える。』 となります。
全体の食材のバランスが全く考慮されていません。体液のバランスを考慮する料理は1500年代には既に消えていた?のではとも思われる内容です。古代ローマ帝国からイスラムへと体液学説が引き継がれたのではと思っていたのですがどうしたことでしょう。
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