Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 199

2021年03月10日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

      

罹患していることを示すために頭を包んだトルコの女性。 コンスタンティノープルおよびトルコ全土で使用されている衣服の肖像画から、ドイツ考古学研究所、プレート188

 

女性がイスタンブール大学の医学部に最初に入学した1922年まで、女性の医師が学校、病院、宮殿の学校などの機関で教育を受けたことを示す文書はありません。宮殿で雇用されているイスラム教徒の女性医師の訓練と職業的地位を説明するのは本当に難しいことで、殆どの女性は見習いという方法で訓練されたと言っても間違いないでしょう。技術は通常、母から娘へと伝えられたと思われます。

 

ラファエラ ルイス(Raphaela Lewis)は、無知な人々と教育を受けた人々の両方が、男性よりも才能のある女性開業医を選んだと述べています。イスラム教徒の女性が男性のように医学教育を受けることは不可能でしたが、才能があり手作業で熟練した女性の中には、現場での実践を通じて短時間で効率を上げた人もいました。そのような女性が男性医師による訓練を受ける機会があれば、病人を操作するためのスキルさえ習得したようです。

    

サリハ ハトゥン( Kupeli Saliha Hatun ) は彼女の夫Deniz Bin Gaziから手術を学び,

夫の死後1620年に開業し、世界で初めて患者と医師の間での手術同意書に署名した女性医師でもあります。http://www.edirnetv.com/mobil/haber/2731/cerrahe-saliha-hatun-anlatiliyor.html

 

1622年に遡るいくつかの司法文書の中に、サリハ ハトゥン ( Saliha Hatun )と呼ばれる女性外科医と、彼女が手術した21人の男性患者、腫瘍の1人、ヘルニアの他の患者に関するものが残っていました。しかし、女性医師の存在は助産行為、戦時を除き1800年以前では特例的な事例だといえます。

Shahnamah Firdaws(Book of Kings of Firdaws)からのRustamの誕生、

トルコイスラム美術博物館図書館蔵、1945年、fol. 67a。

 

治療を目的としない医療行為は、オスマントルコの開業医の職業倫理に反すると見なされていました。しかし、すべての病気の治療は自然界にも見られ、自然には治癒力があるという概念がハーブ療法につながり、薬物療法の重要性を高めることになりました。古典的なオスマン医学では、医学的治療は不均衡な気質の治療とそれに対する薬物の投与が基本でした。経験を通じて得られた新しい知識は、既知の治療を変え、患者の治療により良い結果を産みました。それでも、成功した薬物組成と治療方法は、治療上の優位性が得られたが故に、それらは通常秘密として受け継がれました。これらの秘密は、主に父親から息子へ、または主人から見習いへと移り、いくつかは徐々に忘れられていったのです。トルコの医療事情をお話しするのはこれくらいにしておきましょうか。

オスマン帝国の医学はこの後、進歩のない時間を費やすことになります。種痘、王立医科大学によるクロロホルムを使った手術は1847-8年に、パスツールの狂犬病ワクチンは1887年初頭にトルコの内科で作成され、レントゲンは発見された2年遅れの1897年にX線装置を使用することになります。1800年も後半に入ってやっとヨーロッパの後を追うことになります。何故このようなことになったのか。原因は何でしょうか。『君子は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』はドイツのビスマルクの言葉ですが、そうありたいものです。

(トルコのハーブを含め、ハーブについては次の機会に、おそらく今年の6月頃になりますが、お話する機会をもちたいと考えています。)

                             

              調薬師:tortoiser women.

 

 


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