この広大な宇宙空間で、真っ暗な空間を星が移動している。これを「究極の暗記だ!」といってしまえばそれまでだが、ロボットなら、定位置に置いて、そこからカメラ情報なくとも、データに基づいて、迷路など移動が可能だが、我々かいわれ大根も、いや違う我々人間も、そうならなければならないのかもしれない・・・この広大というべき宇宙空間が、どこかに埋められたミイラか何かの組織内の世界で無いことを願いたいところだ。その何かミイラだとかが発見され、組織を解剖して、謎をどんどん追及して調査していった結果、ある部分に辿り着き、そこを開けた途端に、宇宙空間が光に包まれた。なんてことが無いことを願おう。宇宙ステーションから、巨大な人の顔が見えた!なんて滑稽な話にはならないであろう。
暗記といわれて、暗記とはどのようなものなのか・・・ちょっと考えてみました。
目を瞑って、自分が今立っている場所から、目的地へそのまま歩いてたどり着く。これが究極の暗記なのではなかろうかと考える。盲目の人は、杖をついて歩いて目的地へ辿り着くが、途中歩行者等にぶつかることなく、何も外的な障害物が出現しない状態で、見事目的地に辿り着くことができれば、脳内の移動情報と身体動作の記憶力が完全であれば、無事辿り着けることと考える。新年のテレビ番組で、芸能人が、目を瞑って、歩行マラソン、約1kmの距離を何処にもぶつかったり、こけたりすることなくゴールするという番組があって、見事ゴールしたら、その人を見る見方が変るかもしれません。また、絵を描くとして、ホワイトボードか何かに絵を描くのだが、これも、定位置についたら、消灯して、真っ暗な中で、絵を描き始める。これで、モデルとなっている絵と同じ絵が描けたら、「凄いね」と言われるのかもしれません。
目を瞑って、自分が今立っている場所から、目的地へそのまま歩いてたどり着く。これが究極の暗記なのではなかろうかと考える。盲目の人は、杖をついて歩いて目的地へ辿り着くが、途中歩行者等にぶつかることなく、何も外的な障害物が出現しない状態で、見事目的地に辿り着くことができれば、脳内の移動情報と身体動作の記憶力が完全であれば、無事辿り着けることと考える。新年のテレビ番組で、芸能人が、目を瞑って、歩行マラソン、約1kmの距離を何処にもぶつかったり、こけたりすることなくゴールするという番組があって、見事ゴールしたら、その人を見る見方が変るかもしれません。また、絵を描くとして、ホワイトボードか何かに絵を描くのだが、これも、定位置についたら、消灯して、真っ暗な中で、絵を描き始める。これで、モデルとなっている絵と同じ絵が描けたら、「凄いね」と言われるのかもしれません。
こんにちは。
本日のブログは、本ですね・・・
こんな本がありましたので、カキコするのに起用いたしました。
ゴロ合わせと、駄洒落ってなんとなく似ていませんか?なん~て!・・・
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