夜半に目覚める。
天の怒りが炸裂するかのごとく、すごい雷鳴。
冬の嵐だ。
暗闇の外に出ると、すでに雨は小ぶりになっている。
御影、住吉、朝稽古。合気道の朝は早い。
正面打ちからの技の展開。四方投げ、入り身投げ、一教、二教、三教と続いていく。
ウケ(攻撃を仕掛ける側)で、トリから技をかけられる。このあたり、言葉で説明しようとすると、ややこしく感じられるかもしれません。
合気道では、自らが技をかけることはない。攻撃してくる相手から、自身を守る護身術であるゆえ、試合という概念がないのです。
禍を、あらかじめ感知して、踵を返して、それを避ける。
道場は稽古の場、道場の外が本番。合気道の稽古で学んだことを活かすのは、人生という本番であるということです。
畳の上で受け身を取り、立ち上がろうとすると、隣で投げられた人とぶつかりそうになる。
こんな日は注意が必要だ。
自身の身体の調子や切れが、いまひとつよくなかったり、タイミングが気持ち、遅れているというサインだと考えるからです。
道場の畳周りに全員が円に正座し、目前での、内田先生より技の説明を交えながらの模範試技。技の全容を、拝見しながら見取稽古をさせていただく。その説明が、独特だ。私のような初心の者にもわかるように、噛み砕いた比喩による説明。
今朝のテーマは「先を取り、時間を支配すること」
攻撃してこようとする相手の手からは、みえない触手のようなものが延びていて、その剣気のような触手に技をかけるのだと・・
一瞬、相手に先んじて、足を運び、逆に技をかける。そうすることで、相手に触れないでも、技はかかる。攻撃しようとした相手が、気付いた時には、すでにすべては終わっているということです。仕掛けられるのを待つのではなく、先んじて、相手の攻撃をかわし、入り身に入って、相手を自在にコントロールできるのです。
お話の中でのエピソード:
内田先生が、K1ファイターの武蔵さんと対談された際に、「強烈なパンチを、顔面に食らったとき、どのように処理されているのですか?」とお尋ねになられたそうだ。武蔵さんは、即答で「時間軸をずらすのです」と返されたそうだ。
パンチを受けて痛い。痛いが、それを過去のものにしてしまう。
感じたころには、すでに処理を終えている。痛さを感じるより先に、次の一手を打っているということにほかなりません。
例えとして、政治家の小沢一郎氏のことも、お話の中に。
記者に囲まれてインタビューを受け、質問に答える間際に小沢氏は、「・・・だ・か・ら、」と時間軸を、あらかじめ、ずらして話し出すそうである。そんなことは、過去に話しているので、勉強し直してこいというスタンスを、まわりに最初から決定付けてしまう。なるほど。
稽古の後は、何故だか、すごく気持ちがいい。
芯から、じんわりと輝く光の玉が生じたかのごとく、身体が温かくなる。
もつれて、絡まっていた糸がハラハラと解けてしまうようにである。
呼吸法の恩恵か、その朝日のごとくの清々しさゆえに、また目ざまし時計をセットするのです。
最後に、内田樹師範の書かれた文章を、一文、引用させていただきます。
「失敗の効用」
「習い事のすばらしいところは、稽古で失敗しても、それで職を失ったり、会社に迷惑をかけたり、人生に大きな禍根を与えないことである。つまり伸びやかに 失敗をし学ぶことが出来る安全な場であり、そこでの経験を自分の人生や本業に活かすことが出来る、それが習い事・稽古事のすばらしいところである。」