幸せの絶頂から一転、奈落の底に落ちてしまったら…。幸運の女神がいるとするなら、なんて気まぐれなんだろう。
2020年東京オリンピックのエンブレム・デザインの騒動は、再度、仕切り直すという後味の悪い幕引きとなった。
誰もがステキだと感じるデザインには、なにかしら共通点がある。デザインやスタイルが出尽くした感のあるこの世界で、他の追随をゆるさない、卓越したオリジナリティーを生み出すことの難しさを想う。
それよりもさらに困難を極めるのが、ヨーロッパに殺到しているシリアを中心とするアラブ系の難民の問題。命懸けで海を渡り、あるいは陸伝いに国境を越える難民たちの想い。安全、政治、民族、宗教、よりも「 新たな人生を目指したい !」という経済的意味合いが強く感じられる。
ドイツの難民に対する寛容な対応と、受け入れに難色を示すハンガリーなどを中心とする東欧諸国。経済的難民と言っても過言ではない彼らを受け入れる側のお国事情も様々。自国が傾く危険性を鑑みれば…。
辺境に位置する島国、日本。
それでも10数年前に密入国をしようと船で押し寄せた中国人が強制送還されていたニュースを思い出す。北朝鮮が破綻しようものなら多数の難民が日本に押し寄せてもおかしくない。地球規模の経済格差が、問題化し、さらに鮮明になっていく。
東京でオリンピックが開催されるころに、世界の人口分布が大きく変化していることに異議を唱える人はおられないだろう。人口過多に陥っている地球の悲鳴が聞こえてきそうだ。
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