自分が卑怯者だっていう自覚はあるよ。
いま現在書いている新作は、改稿を繰り返している最中です。何度も書き直しては、心優しき方達の助言を頂いて書き直しています。
今回もまた、ある方の助言をいただいたのですが、その方は前置きとしてこう云いました。
「すみませんが、今回は少し厳しくなります」
話を聞いて僕が思ったことは、少しも厳しくない。さらに、前回以上にわかりやすい指摘だった為、直す箇所をすぐに理解できました。
当然お礼を言うべきで、そのお礼はこんな場所でするべきことではないんですが、ひとつ気掛かりがあるのです。
僕はこれまでの人生で、お礼と褒め言葉を額面通りに取られたことがあまりないのです。全て社交辞令の一環や、うわべだけのものとしてとられることが多いのです。
うろ覚えですが、平井和正先生の書いた『アダルト ウルフ・ガイ』という小説の中に、こんな一文がありました。
――真実は自身の重みによって、自らの真実を証明する。
あいにく僕の真実はあなたの体重並みに軽いみたいで、自身の重さでは証明できないみたいです。
なので、ここに書きます。
こういうやり方が誠意の証明になるとは思っていません。
これが卑怯であることも自覚しています。
それでも、
ありがとうございました。本当に今回の指摘はわかりやすかったです。こんな厳しさでしたら今後も歓迎したいくらいです。
近くまた作品をお見せできると思いますが、そのときもまたお力を貸して下さい。
卑怯者は卑怯者らしく、いい捨てて去っていく。
いま現在書いている新作は、改稿を繰り返している最中です。何度も書き直しては、心優しき方達の助言を頂いて書き直しています。
今回もまた、ある方の助言をいただいたのですが、その方は前置きとしてこう云いました。
「すみませんが、今回は少し厳しくなります」
話を聞いて僕が思ったことは、少しも厳しくない。さらに、前回以上にわかりやすい指摘だった為、直す箇所をすぐに理解できました。
当然お礼を言うべきで、そのお礼はこんな場所でするべきことではないんですが、ひとつ気掛かりがあるのです。
僕はこれまでの人生で、お礼と褒め言葉を額面通りに取られたことがあまりないのです。全て社交辞令の一環や、うわべだけのものとしてとられることが多いのです。
うろ覚えですが、平井和正先生の書いた『アダルト ウルフ・ガイ』という小説の中に、こんな一文がありました。
――真実は自身の重みによって、自らの真実を証明する。
あいにく僕の真実はあなたの体重並みに軽いみたいで、自身の重さでは証明できないみたいです。
なので、ここに書きます。
こういうやり方が誠意の証明になるとは思っていません。
これが卑怯であることも自覚しています。
それでも、
ありがとうございました。本当に今回の指摘はわかりやすかったです。こんな厳しさでしたら今後も歓迎したいくらいです。
近くまた作品をお見せできると思いますが、そのときもまたお力を貸して下さい。
卑怯者は卑怯者らしく、いい捨てて去っていく。
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