だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

我が良き友

2008年08月22日 21時27分03秒 | オリジナル小説
 顔が広い、とよく云われる。
 面積の話ではない。
 交友関係の話だ。
 特に意識したことはないが、まぁ、そうだろうな、とは思う。
 だが椿影虎にとっては、そんなのどうでもいいことだ。
 後輩の佐々木紘也にとってはそうではないらしく、尊敬の念をこめて向けてくる眼差しが鬱陶しい。
「すごいっスよ。いまの志藤紫じゃないですか。さすがっスね。影虎さん、あんな美女ともお知り合いなんスね」
 同級生の志藤紫が校内トップクラスの美女であることは間違いない。影虎もそれに異論を唱えるつもりはない。
 だが、廊下ですれ違いに声を掛けられてうれしいことなんかはひとつもない。
「でも、なんスか? つっつんって」
 いつだって、センスの欠片もないあだ名で呼ぶからだ。
「うるさい。少しは空気読め」
 不機嫌に云い捨てて、自分の教室に入る。
「読んでますよ、空気ぐらい。もう読みまくりっスよ」
 上級生の教室だというのに、臆することなく、おかしな言葉を放ちながらついてくる。
 それを聞き流しながら、影虎は自分の席についた。昼休みはあと十五分残っている。
「それより、次のカラオケはちゃんと来て下さいよ。この間すっぽかしたりするもんですから、女の子達すごい文句ばかりで、大変だったんすから」
 空いていた影虎の後ろの席に勝手に座り、さらに勝手なことを紘也はのたまう。
「行かないよ。なんで俺がお前等とカラオケしなきゃなんないんだ」
 云いながら、影虎は自分の机の中を漁る。スカスカのそこからは、雑誌が一冊だけ出てくる。
「そう言わないで下さいよぉ。影虎さんが来てくれると、女の子の集まりが違うんすから」
 影虎とて女の子と遊ぶのが嫌いなわけではない。それどころか、好きと言っても差支えがないくらいだ。 
 それでも、強要されるのは嫌いだ。それが後輩の暑苦しい頼みとあってはなおさらだ。
「知るかよ。つうか、お前もう帰れよ。俺これからマガジン読みたいんだからよ」
「つれないっスよ。影虎さん、つれなさ過ぎっスよ~」
 情けない声を出して紘也が抱きついてくる。ホント、暑苦しい。
 たまらず振り払おうともがく影虎の傍らに、うっそりとした気配が寄って来た。
 見上げると、後ろの席の本来の所有者である若菜薫が佇んでいる。
「あっ、悪い」
 謝って、影虎はもがくのをやめた。じゃれるのは終わりである。
「なんだよ、お前。邪魔だぞ」
 年上相手に紘也が凄む。規定の制服を着ているとはいえ、紘也の姿はどう見ても真面目な高校生には見えない。よく知る影虎にとっては、調子がいいだけの後輩だが、知らぬものにとってはガラの悪い、ちょっと恐い後輩だろう。
 薫も脅えているのか、立ち尽くしたまま言葉がない。
「やめろ、馬鹿」
 そんな薫を庇うように、影虎は後輩をたしなめた。口で云ってわかる相手とは思っていないから、机の上の雑誌を手に取り、その角で頭を小突く。
「イタっ。なにすんスか、影虎さん」
 目を少し潤ませながら、頭を押さえて紘也が抗議する。
「いいから、お前もう帰れよ。いい加減にしねェと、ひどいよ?」
 出会ってから二ヶ月の間にみっちり教育してあるから、引き際はいい。
 紘也はそれ以上なにも云わずに。いや、ぶつぶつと文句は云っているようだったが、大人しく教室から出て行った。
「悪いね、騒がしくて」
「別に、いつものことだし」
 軽く笑顔で謝る影虎に対し、感情のこもらない声で応え、薫は席に着くと同時に窓の外の景色を呆と眺めている。
 クラス人数三十八名。さすがの影虎でも、その全てを良く知っているとはいえないが、それでも若菜薫のことは知っていた。
 それは後ろの席だからということではなく、同じクラスになって最初の頃に、彼が本を読んでいるのを目にしたからだ。
 その本は中原中也の詩集であった。
 同じものを影虎も愛読していたから、すぐにわかった。
 同好の士、という想いがすぐに沸き起こり、声を掛けようかと思ったが、それは違うと掛けはしなかった。
 同じ趣味ということで、誰かと盛り上がったことがないわけではない。そんなの当たり前のことだし、日常の一部だ。
 でも、中也は違うと思った。
 詩、ということもあるのかもしれないが、これはひとりで楽しむべき、という思いがあった。共有するのでも、分かち合うのでもなく、自分ひとりで楽しむものだ。
 だから隠した、というのではもちろんない。尊重したのだ。彼の楽しみを邪魔すべきでない、と。同好の士であるからこそ、彼を尊重した。
 以来、話す機会が増えた、ということもやはりなく、いまでも話した回数は十を超えるのがやっとという具合だが、影虎は薫のことを認めている。
 ひっそり友として認知している。
 異性であれば片想いに近い感情であるかもしれないが、実ることは望んではおらず、このまま赤の他人に近い存在のまま、全てが終わるだろう。
 それでも若菜薫は影虎にとっては大切な存在だ。
 椿影虎の交友関係が広いのは、彼が他人を認める男だからかもしれない。

コメントを投稿