『どうして、あんなこと(人殺し)をしたんだ?』
『殺し方を知ってたからさ』
(『刑事コロンボ』より)
漫画でもなんでもいいんだけど、物語世界のちょっとした悪意を目にしたとき、ふと心が痛むことがある。
作り物の中の出来事を、どうしても他人事と割り切ることが出来ないのだ。
確かに僕はまだそれに出会った事がない。
作者の想像上の産物である悪意や悪事に。でも、それを作り物と楽観視する根拠を僕は持っていない。
だから、それはいつか我が身に降りかかる出来事、と認識してしまうことが多い。
さすがに、『デス・ノート』に名前が書かれたらどうしよう、なんては思わないけどね。
でも、誰かが理不尽な目に合うシーンなんか読むと、いつか僕の身にもこういった不幸が降りかかるんじゃないか。僕の身近な人がこんな目にあっているんじゃないかなんて思う。
出来事は作り物でも、そのアイディアを生み出したのは実在の人物だ。同じ閃きを得る人がいたとしても不思議じゃないでしょ。そして、それを実行する人がいたとしても。
そんな人が僕の隣にいないだなんて、誰が保障してくれるのさ。
作り物の悪意も悪事も存在する。
ニュースの中の不幸だって同様だ。
その確率がどれだけ低いかは知らないが、零でない限り、僕を襲う可能性はあるんだ。
もうちょっと具体的な話をすると、漫画とかを読んで、中に書かれている悪さを真似する人っているよね。
みなさんは見たことありませんか?
僕は結構見ている気がする。まぁ、真似するのは悪さだけじゃないかもしれないけど。
でも、確実にそんな人達はいる。
それだけで、心痛めたり、ちょっぴり憂鬱になるには充分だと思うけどな。
ちなみに、前々から考えていたこんなことをここに書こうと思ったのには当然理由ががあって、昨日の朝刊で読んだのさ。
万引き防止の目的で書かれた少女漫画を参考にして、万引きをして捕まった人がいるって。
嘘か本当か知らないけれど、僕達の祖先は禁断の果実を食べて楽園を追放されたらしい。
そのとき身につけた知恵は僕達を豊かにしたかもしれないけど、同時に僕達を不幸にもした。
僕たちはそれを知っている。
悪意も、悪事も。
それらは決して他人事ではなく、よその世界のことでもなく、僕達のすぐ傍らにひっそりと佇んでいるんだ。
『殺し方を知ってたからさ』
(『刑事コロンボ』より)
漫画でもなんでもいいんだけど、物語世界のちょっとした悪意を目にしたとき、ふと心が痛むことがある。
作り物の中の出来事を、どうしても他人事と割り切ることが出来ないのだ。
確かに僕はまだそれに出会った事がない。
作者の想像上の産物である悪意や悪事に。でも、それを作り物と楽観視する根拠を僕は持っていない。
だから、それはいつか我が身に降りかかる出来事、と認識してしまうことが多い。
さすがに、『デス・ノート』に名前が書かれたらどうしよう、なんては思わないけどね。
でも、誰かが理不尽な目に合うシーンなんか読むと、いつか僕の身にもこういった不幸が降りかかるんじゃないか。僕の身近な人がこんな目にあっているんじゃないかなんて思う。
出来事は作り物でも、そのアイディアを生み出したのは実在の人物だ。同じ閃きを得る人がいたとしても不思議じゃないでしょ。そして、それを実行する人がいたとしても。
そんな人が僕の隣にいないだなんて、誰が保障してくれるのさ。
作り物の悪意も悪事も存在する。
ニュースの中の不幸だって同様だ。
その確率がどれだけ低いかは知らないが、零でない限り、僕を襲う可能性はあるんだ。
もうちょっと具体的な話をすると、漫画とかを読んで、中に書かれている悪さを真似する人っているよね。
みなさんは見たことありませんか?
僕は結構見ている気がする。まぁ、真似するのは悪さだけじゃないかもしれないけど。
でも、確実にそんな人達はいる。
それだけで、心痛めたり、ちょっぴり憂鬱になるには充分だと思うけどな。
ちなみに、前々から考えていたこんなことをここに書こうと思ったのには当然理由ががあって、昨日の朝刊で読んだのさ。
万引き防止の目的で書かれた少女漫画を参考にして、万引きをして捕まった人がいるって。
嘘か本当か知らないけれど、僕達の祖先は禁断の果実を食べて楽園を追放されたらしい。
そのとき身につけた知恵は僕達を豊かにしたかもしれないけど、同時に僕達を不幸にもした。
僕たちはそれを知っている。
悪意も、悪事も。
それらは決して他人事ではなく、よその世界のことでもなく、僕達のすぐ傍らにひっそりと佇んでいるんだ。
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