胸の鼓動がはっきりと聞こえ、うるさかった。限界を感じさせる荒い呼吸は不快だった。運動不足気味の身体は悲鳴を上げ、休憩をもとめ叫び続けていたが、僕はそれを無視した。身体の奥底から込み上げるなにかが、抑え切れない暴れ馬のようななにかが、走れと僕に命じていた。僕は臆病な普通人で、力ある者の命令に唯々諾々と従うしか能がなく、わき目も振らず全力で走り続けた。もちろんそれは僕の望みと一致していて、例えいま足を絡ませ派手に転倒したとしても、僕はすぐに起きあがり走りはじめたと思う。込み上げるなにかの意味を僕は正しく理解していたから。
一週間前から決めたいたのだ。今日、告白すると。
彼女とは高一の時クラスが一緒だった。会った時から惚れていたという訳ではない。当たり前の会話をかさね、クラスメイトとしてそれなりに親しくなるにつれ、少しづつ好きになっていった。告白しようと思ったのは三学期に入ってすぐだった。
そう、あの頃はまだ寒かった。いつの間にか暖かくなって、気がつけば夏がもう目の前まで来ていた。二年になって彼女とは別のクラスになった。もう、いいや、と思い何度も諦めようとした。出来なかった。諦めきれなかった。だから、いま僕は走る。必ず今日と決めていたから。次でいいや、と思ったら、もう二度と告白できないような気がして怖かったから。必死で前傾姿勢を取り、両腕を振って、足を上げ、僕は走る。
走り出して二十分。ようやく目的地が見えてきた。高校からふた駅離れた繁華街にあるデパート。僕より少し前に学校を出たらしい彼女は、そのデパートに寄ると話していたそうだ。それを聞いた僕はちょっと考えた後、覚悟を決めて走り出していた。
彼女は電車で行ったはずだ。今の時間だと電車の間隔は長めで、同じ手段では彼女との差が開きすぎる。なにより、のんびりホームで電車を待つような気分じゃない。自転車も頭に浮かんだが、貸してくれる友達が近くにいなかった。となると残りは一つしかない。幸いデパートまでの近道はすぐ頭に浮かんだ。僕は小学校の徒競走以来、久しぶりに本気になった。
繁華街に入ると、通行人の数が一気に増える。かわすのに注意を払うと足が遅れる。しかたない、といって許してもらえるわけではないだろうが、何人かとぶつかりながら先を急いだ。
デパートの入り口に着いて息を整えながら、次を考える。やばい、なにも思いつかない。彼女はデパートのどこにいるのだろう。適当に歩いてうまいこと出会えるだろうか。出会えなかったらどうしよう。
次の手段が一つも思いつかなかったので、とりあえず駅に近い入り口の側で待つことにした。通行人の邪魔にならないよう、風景に溶け込むようひっそりと目立たないように彼女を待った。
一分が経った。少し痺れを切らしてきた。
二分が過ぎた。やや挙動不審になってきているような気がしたので、気分を落ち着かせる努力をした。
五分経過。あれ、彼女もう返っちゃったのかな。それとも別の場所に行ってるのかも。不安が込み上げてきた。気分が全然落ち着かない。
「あっ、いたいた」
え、マジで!? 聞こえた声に反応してそっちを向いた。そして気づいた。そんなはずがない。案の定視線の先には他校の男子生徒が数人立っていた。彼女の姿は欠片もない。
落ち着け、自分。今からこんなでは、いざという時になにもできないぞ。深呼吸で無理やり落ち着こうとする。野暮な声がそれを遮った。
「おい、お前!」
いつの間にか、さっきの男子生徒たちに囲まれていた。
「さっきはよくもやってくれたじゃねぇか」
一人が恐い顔で睨みつけてくる。
「さっき?」
知らない連中だった。絡まれることをした覚えもない。
「てめぇ、さっき俺に体当たりかましてくれたじゃねぇかよ!」
思い出した。ここに来る途中、確かにぶつかったような気がする。
「あっ、ごめんね。急いでたから」
「ごめんじゃねぇんだよ! ちょっと来い」
腕をつかまれ引っ張られる。手加減なしだ。かなり痛い。
「イタッ、イタッ。ごめんごめん、悪かったって。ちょ、やめてよ。いま、それどころじゃないんだってば」
「うるせぇ、いいから来い!」
そのまま裏通りへ連れて行かれてしまった。この後というのはお決まりのパターンだ。素直にお金を出せば簡単にすんだのかもしれないけど、僕はそれを拒んだ。当たり前だ。これから告白しようという前にかつあげにあって素直にお金を出す奴がいるものか。その後で、どんな顔して告白しろというのだ。気に食わなかったから反撃してやった。走ったあとでクタクタの僕の身体は思うように動かなかったし、そもそも喧嘩なんて得意じゃないから、たいしたことは出来なかった。それでもまぁ、気分は晴れた。ぼこぼこにされ、地面に寝転んだまま、全身を襲う痛みに耐えるだけだったが、気分は悪くなかった。アスファルトの冷たさが心地よく、このまま休んでようかな、と思ったが、すぐに彼女のことを思い出した。ヤベっ、早く戻らなきゃ。
なんとか立ち上がり、デパートの方へ向かう。表通りに出た。数人の通行人が僕に気づいて驚いた目を向ける。けれど、そんなもんに構ってはいられない。
「きゃっ!」
小さな悲鳴があがった。うるさい、いいからほっといてくれ。無視して足を動かす。結構、辛い。
「ちょっと、大丈夫なの?」
後ろからの声には聞き覚えがあった。慌てて振り返る。
彼女の顔がそこにあった。
「え、あ、えぇ」
うまく言葉が出てこない。
「どうしたの、喧嘩? 大丈夫? おまわりさん呼んで来る?」
心配そうな彼女の声。でも、僕はそれどころではなかった。
「うん、あぁ、平気」
「本当? なら、いいけど。あっそう、新しいクラスどう? クラス替えしてからあんま会ってなかったけど、楽しくやってるの?」
「うん、まぁ」
「そう。……そういえば、テスト近いけど勉強してる? わたし中間悪かったから、真面目にやらないと評価が不安だわ」
「あぁ、うん、それは頑張んないと」
彼女は退屈そうにしていた。こんなつまらない受け答えでは当然だ。僕は必死に心を落ち着かせ、なんとか気の効いた台詞を云おうとしたが、舌がうまく回らないうえ、頭の中も真っ白でなにひとつ思い浮かばない。それどころか、だんだん息苦しくなってきた。
「え~と、じゃあ、わたし行くね。また、学校で」
手を振って、彼女が立ち去ってしまう。やばい、やばい、やばい。いけ! 俺!
「あっ、ねぇ!」
なんとかそれだけを振り絞った。
「どうしたの?」
彼女が足を止めて振り返る。
「あ、あのさぁ、いま付き合ってたりする?」
「え、ううん。いないよ」
「じゃ、じゃあさ、付き合って、くれないかな?」
良かった。云えた。やった。やったぞ!
「ごめん。付き合ってはいないけど、好きな人はいるの」
少しだけ申し訳なさそうな彼女。
「そっか。じゃあ、しょうがないね。どうなの? うまくいきそう?」
不思議とショックはなかった。むしろ気持ちがいい。肩の荷が一つ下りたといった感じだろうか。
「う~ん、どうだろう。よくわからない」
「そうか。まぁ、頑張れよ。応援するから」
自然と笑顔になれた。
「本当? ありがと」
彼女も笑顔だった。うん、なんかいいね、こういうのも。悪くない。非常に悪くない。
その後、互いに手を振って別れた。彼女が人込みの中に消えるのを見送った後、深く息を吸って気分を入れ替えた。
さて、帰ろう。
家までは、ここから電車で五駅もある。当然駅に向かうべきだが、何故か僕は駅を目指していなかった。ゆっくりとした足取りで、家の方に歩いていく。もちろん、家まで徒歩で帰るつもりはない。途中で、バスなり電車なり利用するつもりだ。でも、途中までは歩いていこう。いや、むしろ走ろう。理由なんか特にない。馬鹿なことを、青臭いことをしてるのはわかってる。それでもいいんだ。いまはそんな気分なんだから。
僕は走り出した。身体の奥底にあるなにかはまだ残っている。せめて、それがなくなるまでは走ろう。明日、筋肉痛で動けなくなったとしても構うもんか。
一週間前から決めたいたのだ。今日、告白すると。
彼女とは高一の時クラスが一緒だった。会った時から惚れていたという訳ではない。当たり前の会話をかさね、クラスメイトとしてそれなりに親しくなるにつれ、少しづつ好きになっていった。告白しようと思ったのは三学期に入ってすぐだった。
そう、あの頃はまだ寒かった。いつの間にか暖かくなって、気がつけば夏がもう目の前まで来ていた。二年になって彼女とは別のクラスになった。もう、いいや、と思い何度も諦めようとした。出来なかった。諦めきれなかった。だから、いま僕は走る。必ず今日と決めていたから。次でいいや、と思ったら、もう二度と告白できないような気がして怖かったから。必死で前傾姿勢を取り、両腕を振って、足を上げ、僕は走る。
走り出して二十分。ようやく目的地が見えてきた。高校からふた駅離れた繁華街にあるデパート。僕より少し前に学校を出たらしい彼女は、そのデパートに寄ると話していたそうだ。それを聞いた僕はちょっと考えた後、覚悟を決めて走り出していた。
彼女は電車で行ったはずだ。今の時間だと電車の間隔は長めで、同じ手段では彼女との差が開きすぎる。なにより、のんびりホームで電車を待つような気分じゃない。自転車も頭に浮かんだが、貸してくれる友達が近くにいなかった。となると残りは一つしかない。幸いデパートまでの近道はすぐ頭に浮かんだ。僕は小学校の徒競走以来、久しぶりに本気になった。
繁華街に入ると、通行人の数が一気に増える。かわすのに注意を払うと足が遅れる。しかたない、といって許してもらえるわけではないだろうが、何人かとぶつかりながら先を急いだ。
デパートの入り口に着いて息を整えながら、次を考える。やばい、なにも思いつかない。彼女はデパートのどこにいるのだろう。適当に歩いてうまいこと出会えるだろうか。出会えなかったらどうしよう。
次の手段が一つも思いつかなかったので、とりあえず駅に近い入り口の側で待つことにした。通行人の邪魔にならないよう、風景に溶け込むようひっそりと目立たないように彼女を待った。
一分が経った。少し痺れを切らしてきた。
二分が過ぎた。やや挙動不審になってきているような気がしたので、気分を落ち着かせる努力をした。
五分経過。あれ、彼女もう返っちゃったのかな。それとも別の場所に行ってるのかも。不安が込み上げてきた。気分が全然落ち着かない。
「あっ、いたいた」
え、マジで!? 聞こえた声に反応してそっちを向いた。そして気づいた。そんなはずがない。案の定視線の先には他校の男子生徒が数人立っていた。彼女の姿は欠片もない。
落ち着け、自分。今からこんなでは、いざという時になにもできないぞ。深呼吸で無理やり落ち着こうとする。野暮な声がそれを遮った。
「おい、お前!」
いつの間にか、さっきの男子生徒たちに囲まれていた。
「さっきはよくもやってくれたじゃねぇか」
一人が恐い顔で睨みつけてくる。
「さっき?」
知らない連中だった。絡まれることをした覚えもない。
「てめぇ、さっき俺に体当たりかましてくれたじゃねぇかよ!」
思い出した。ここに来る途中、確かにぶつかったような気がする。
「あっ、ごめんね。急いでたから」
「ごめんじゃねぇんだよ! ちょっと来い」
腕をつかまれ引っ張られる。手加減なしだ。かなり痛い。
「イタッ、イタッ。ごめんごめん、悪かったって。ちょ、やめてよ。いま、それどころじゃないんだってば」
「うるせぇ、いいから来い!」
そのまま裏通りへ連れて行かれてしまった。この後というのはお決まりのパターンだ。素直にお金を出せば簡単にすんだのかもしれないけど、僕はそれを拒んだ。当たり前だ。これから告白しようという前にかつあげにあって素直にお金を出す奴がいるものか。その後で、どんな顔して告白しろというのだ。気に食わなかったから反撃してやった。走ったあとでクタクタの僕の身体は思うように動かなかったし、そもそも喧嘩なんて得意じゃないから、たいしたことは出来なかった。それでもまぁ、気分は晴れた。ぼこぼこにされ、地面に寝転んだまま、全身を襲う痛みに耐えるだけだったが、気分は悪くなかった。アスファルトの冷たさが心地よく、このまま休んでようかな、と思ったが、すぐに彼女のことを思い出した。ヤベっ、早く戻らなきゃ。
なんとか立ち上がり、デパートの方へ向かう。表通りに出た。数人の通行人が僕に気づいて驚いた目を向ける。けれど、そんなもんに構ってはいられない。
「きゃっ!」
小さな悲鳴があがった。うるさい、いいからほっといてくれ。無視して足を動かす。結構、辛い。
「ちょっと、大丈夫なの?」
後ろからの声には聞き覚えがあった。慌てて振り返る。
彼女の顔がそこにあった。
「え、あ、えぇ」
うまく言葉が出てこない。
「どうしたの、喧嘩? 大丈夫? おまわりさん呼んで来る?」
心配そうな彼女の声。でも、僕はそれどころではなかった。
「うん、あぁ、平気」
「本当? なら、いいけど。あっそう、新しいクラスどう? クラス替えしてからあんま会ってなかったけど、楽しくやってるの?」
「うん、まぁ」
「そう。……そういえば、テスト近いけど勉強してる? わたし中間悪かったから、真面目にやらないと評価が不安だわ」
「あぁ、うん、それは頑張んないと」
彼女は退屈そうにしていた。こんなつまらない受け答えでは当然だ。僕は必死に心を落ち着かせ、なんとか気の効いた台詞を云おうとしたが、舌がうまく回らないうえ、頭の中も真っ白でなにひとつ思い浮かばない。それどころか、だんだん息苦しくなってきた。
「え~と、じゃあ、わたし行くね。また、学校で」
手を振って、彼女が立ち去ってしまう。やばい、やばい、やばい。いけ! 俺!
「あっ、ねぇ!」
なんとかそれだけを振り絞った。
「どうしたの?」
彼女が足を止めて振り返る。
「あ、あのさぁ、いま付き合ってたりする?」
「え、ううん。いないよ」
「じゃ、じゃあさ、付き合って、くれないかな?」
良かった。云えた。やった。やったぞ!
「ごめん。付き合ってはいないけど、好きな人はいるの」
少しだけ申し訳なさそうな彼女。
「そっか。じゃあ、しょうがないね。どうなの? うまくいきそう?」
不思議とショックはなかった。むしろ気持ちがいい。肩の荷が一つ下りたといった感じだろうか。
「う~ん、どうだろう。よくわからない」
「そうか。まぁ、頑張れよ。応援するから」
自然と笑顔になれた。
「本当? ありがと」
彼女も笑顔だった。うん、なんかいいね、こういうのも。悪くない。非常に悪くない。
その後、互いに手を振って別れた。彼女が人込みの中に消えるのを見送った後、深く息を吸って気分を入れ替えた。
さて、帰ろう。
家までは、ここから電車で五駅もある。当然駅に向かうべきだが、何故か僕は駅を目指していなかった。ゆっくりとした足取りで、家の方に歩いていく。もちろん、家まで徒歩で帰るつもりはない。途中で、バスなり電車なり利用するつもりだ。でも、途中までは歩いていこう。いや、むしろ走ろう。理由なんか特にない。馬鹿なことを、青臭いことをしてるのはわかってる。それでもいいんだ。いまはそんな気分なんだから。
僕は走り出した。身体の奥底にあるなにかはまだ残っている。せめて、それがなくなるまでは走ろう。明日、筋肉痛で動けなくなったとしても構うもんか。
よくドラマ化を勧めていただいてるのですが、お恥ずかしい話、作り方がよくわからないです。声優志望の方を募るのはわかるのですが、その後というのが、よく……。みんなで集まってスタジオを借りる、というわけではないですよね。
たぶん音声データーをどうのこうのということなのでしょうが、なんといいますか、想像も上手く出来ません。
ラ研で知り合ったある方がそういうのに詳しそうなので、機会があればこっそり教わろうとは思っているのですが、その機会がいつになることやら。
僕としてもドラマ化なんて出来たら素敵だな、とは思っていますので、よければ気長にお待ち下さい。
“走る”が心理描写とうまくリンクしているので、切ないながらも爽やかな雰囲気をとてもうまく表現できていると思いました。
このままラジオのミニドラマでいけそうです、ネットで声優志望の方を募ってミニドラマをつくり(MP3で圧縮して)公開してもおもしろいかもと思いました。次回作にも期待ですー。
ではまた!