今回の蛇足は特別版です。
先日書いた『箭疾歩』の完成までの道筋を、書ける限り詳細に書いてみようと思います。
かなり前になりますが、ゲームセンターで初めて『餓狼伝説』という格闘ゲームを目にしたとき、ぼくはものすごい衝撃を受けました。主人公のひとり、テリー・ボガードの闘う姿にです。彼は万歳をした後「バーンナックル!」と叫びながら、拳を突き出し相手に突進していました。
「なんじゃこりゃあ!!」と思いました。だって万歳する意味がわからなかったし、突進するその姿が実に男らしいと思ったからです。当然その場で百円を投入し、ゲームをプレイしました。選ぶキャラはテリー・ボガード。使う技はバーンナックル。ファーストプレイは本当にその技しか使わなかったです。通常攻撃も一切なし。一勝しか出来ずあっという間に終わりましたが、後悔はなかったです。
以来、『餓狼伝説』が大好きです。
それと関係あるかどうかわかりませんが、箭疾歩も大好きです。いや、関係あるのでしょう。箭疾歩とバーンナックルはよく似た技ですし、この小説を書こうと思ったきっかけのひとつは、つい最近PS2で出た『餓狼伝説』を買ったことですから。(ちなみにこのゲーム。買って二週間ぐらいになりますが三時間位しかプレイできてないです)
もうひとつのきっかけは、ネタが閃いたことです。突進技の箭疾歩を真上に向け打つのってどうだろう? 身長差があれば可能だよな。最後の最後で真上に向けて跳んだらインパクトあるか。絵的にも悪くないよな。と、ここまで進んだ所で話のほとんどが決まりました。
前々からアクションシーンのみを書きたいと思っていたところです。本当は剣戟アクションが良かったのですが、今回浮かんだネタはこっちなので仕方ありません。一発ネタで全てをコンパクトに収める自信があったので、すぐさま書き始めました。
冒頭は特になにも考えずに書きました。主人公は殴るのが好きだ、ということだけを読者に伝えればよかったので、テンポだけを気にして書いてみました。ここで言うテンポというものは、ほぼ僕の中で好きなテンポが固まっているみたいです。書くたびに似たようなものになりますが、いまのところはそれ程気にしてはいません。語尾が同じものになってしまう、という点だけは注意してますが。
書き始めてから、蹴りでない理由が少し弱いと感じたので、背が低いということも足してみました。文体がちょっぴり軽くなったけど。それはそれで良い、と判断しました。ここでこれを入れることにより、途中でいつでも息抜きが出来ると考えたからです。(息抜きとは、重苦しいシーン中、軽い文体で読者の肩の力を抜くということです。実際『箭疾歩』ではそこまで重いシーンがなかったので、無理して軽い文体は入れませんでした)
次のシーンの頭もやや文体が軽いです。意図的というか、直前の文章に引きずられた感じです。直そうかとも思いましたが、すぐ後の構えの描写が固いので、これはこれでいいか、とそのままにしました。
構えの描写は読んでいても退屈なだけだろうから、短く区切って読みやすく。
アクションが書きたかっただけだから、戦いのきっかけはなんでも良く、ありがちなものにしてみました。書いてから閃いたのですが、ここと冒頭の背が低いという描写のお陰で、ラストのオチが決まりました。決まってから読み返してみると、冒頭の軽い文体も案外良いものに思えてきました。冒頭とオチが軽いお陰で、サラッと読めた、という印象を読者に与えられるという気がしたからです。
戦っている場所と、最初の相手を定めた理由は後からの書き足しです。一回パソコンから離れ、他の用をしている間にあそこの描写が弱いかな、と感じて足しました。くどくなっていなければ幸いです。
二人目との対戦は頭の中にあった通りに書きました。『烈穿手』という単語は、こういったアクションものにはこういった飾りが必要かな、という考えから入れてみました。後述しますが、この短編は『拳児』という漫画を読みながら書いており、元ネタは漫画に出てきた『閃電手』という呼び名からです。最初『閃電手』から『烈閃手』という単語を閃き、そう書こうとしたのですが、変換過程で『穿』という文字を見つけ、こっちの方が元ネタが浮かび難いだろうということで変更しました。
いま読み返してみると、この濃度の短編にこの飾りつけは少し過剰装飾かな、と思えてきました。
さらにここでは、『タイミング』と『カウンター』の二つが片仮名で出てきますが、本音をいうと書きたくなかったです。拳法ものなので片仮名は一切使わずに仕上げたかったのですが、代わりとなる単語が思いつかず已むを得ずこうしました。後に出てくる『ダメージ』も同様です。
三人目と戦う段になって、僕はふと気づきました。ひとりずつ闘っていくのは当初考えたとおりだが、それだと取り囲んだ理由がまったくないな、ということに。頭に出てくるお粗末云々は自分に向けて書いたものです。
化勁で投げられたところの描写が淡白すぎる、とこれも今更ながらに思うのですが、この時は少しも気になりませんでした。この後のことを色々考えていたからです。
ここまで構想通りに書き続けてきた今作品ですが、五人で取り囲んだ理由がない、と気づいたときから不安が募ってきました。一対一のまま戦いが進み、四人目の大男を倒し、残る一人を瞬殺して物語は終了、という構想でしたが、これでは少し単調かな、と思えてきたのです。多対一のバトルが少しぐらいあった方がメリハリが出るんじゃないか。その考えが強くなってきたので、ここで構成変更。化勁使いに加え、当初やられキャラだった蹴り使いが登場。
とはいえ、この二人はすぐにやられることとなります。
『放てば当たる 当たれば倒す 箭疾歩』
が物語の前提です。一撃必殺の技を魅せる代わりに、乱戦の醍醐味を魅せることが出来なかったのは残念です。
ここの箇所では他にも心残りがあり、それは前掃腿と連環腿のコンボです。コンボ自体は悪くないと思うし、千の技を強調するために色々な技名を出すのは必要なことですが、書き方がうまくなかった。
『刈るような脚払い――前掃腿(ぜんそうたい)だ』
『左右二連脚――連環腿(れんかんたい)だった』
一般的なものでないのだから、技の説明を当然です。振り仮名を入れるのも、こういった形では好きでないですが、仕方ないでしょう。
けど、短い間隔でこう似た文章が出てくるというのは、視覚的に綺麗ではありません。僕は読んでいて飽きないようにリズムなどにも気を使いますが、同時に、読まずにパッとその画面を見てバランスが取れ美しいかどうかも気にします。改行がなく、文章が長々と続く作品や、会話文がずらっと並ぶ小説を書かないのは、読みにくいからではなく視覚的に美しくない、と感じるからです。
特に今回は『――』があるためにこの部分が強調され、大層醜くなるな、と嫌っていました。それを改善しないまま掲載したのは、これも他によい手が浮かばなかったからです。
ブログ上に載せてみたところ、おもったほど目立っていないな、と思いましたが、何度か読んでみると今度はリズム感が悪いような気がしてきて、やはりこれは失敗だったと反省しています。
千の脚技は後のことわざを際立たせるため。二人目の敵が使った『合わせ』で倒したのは物語を盛り上げるためのちょっとした演出。うまくいっているかどうかは皆様の判断にお任せします。
最後の敵はオチとして思い描いていた通りのキャラ。ほとんど最初のイメージのまま書ききることが出来ました。
「どうだ、俺の肉体は! 硬功夫(いんごんふー)で鍛え上げられたこの身体には、天を穿つ、といわれた貴様の一撃も通用しない。そして!」
「硬功夫で鍛えた俺の一撃は、岩をも砕く破壊力を持つ。小柄な体躯でありながら、百を越える勝利を手にした貴様の最強伝説も今日で最後よ」
唯一の変更点はこの二つの台詞なのですが、この作品中もっともひどい箇所だと考えています。いくらなんでも、あまりにひどい説明台詞です。『天を穿つ』とか『百を越える~』だとかは後から付け足した装飾ですが、これはまったく必要なかったです。五人が主人公を倒して名を上げようとしていたんだ、というのをさりげなく説明してみたつもりだったのですが、もっとうまい手がいくらでもあったと思います。
安易過ぎる!
この作品の全編に通じる反省点です。
大男との戦いの最中に空白行を入れたのは、最後の一撃のインパクトを高めるためです。このオチの為に書き始めた作品ですから、ここは精一杯芸を凝らしてみました。
ラストの台詞は最初に思い浮かんだもの。あっさりしすぎるラストはだらだら長引かせてもしょうがない、という判断からです。
この作品は『拳児』という藤原芳秀先生の漫画を元ネタに書きました。書かれていることのほとんどは『拳児』に載っており、箭疾歩の構えの描写も漫画を見ながらです。若干変えているところもありますが、それはオリジナル色を出そうとした結果です。そういう意味では二次創作と言えるかもしれません。
まぁ、こんなところでしょうか。ひとりで思いつく限りにはネタ晴らしが出来たと思います。
やってみた感想としては、面倒臭かった、の一点です。また、出来上がった作品についてだらだら述べるのは美しい行為ではないので、今後はしないと思います。
今回は特別です。
なんとなく、色々語ってみたかったから、という理由と、『切磋琢磨』ということに挑んでみたかった、という二つの理由でしてみました。
ネットを始め、小説執筆が好きだ、いずれプロになりたい、という人たちと出会いました。僕も同様なので、ともに頑張ろう! という想いはあります。
でも、その想いはどの程度のものなのでしょう? ともに頑張るとはどういうものなのでしょう?
作品を読み感想を言い合うこと? わからないことについて質問すること? 辛いときに励まし支えあうこと?
その全てではあるのでしょう。でも、それだけ?
ともに励む仲間に送るものとして、僕のいまをここに記します。
僕は作品を生み出すとき、このように考え、出来上がった作品を見てはこんな反省をしています。
もちろん、これが僕の全てではありません。
とはいえ、これが僕の平均的ないまの実力であることには間違いありませんし、考え方の根っこはここに記せたと思います。
これがネット上でなく、リアルの知人であるならば、日常の中で互いを知り、刺激を受け合い切磋琢磨していくことが出来たかもしれません。
ネット上で互いの顔が見えない状況で、僕に思いつくことといえばこんなこと。一方的に自分をさらけ出すこと。
そうすることで望むことはただ一つ。
ともに高みを目指したい。
先日書いた『箭疾歩』の完成までの道筋を、書ける限り詳細に書いてみようと思います。
かなり前になりますが、ゲームセンターで初めて『餓狼伝説』という格闘ゲームを目にしたとき、ぼくはものすごい衝撃を受けました。主人公のひとり、テリー・ボガードの闘う姿にです。彼は万歳をした後「バーンナックル!」と叫びながら、拳を突き出し相手に突進していました。
「なんじゃこりゃあ!!」と思いました。だって万歳する意味がわからなかったし、突進するその姿が実に男らしいと思ったからです。当然その場で百円を投入し、ゲームをプレイしました。選ぶキャラはテリー・ボガード。使う技はバーンナックル。ファーストプレイは本当にその技しか使わなかったです。通常攻撃も一切なし。一勝しか出来ずあっという間に終わりましたが、後悔はなかったです。
以来、『餓狼伝説』が大好きです。
それと関係あるかどうかわかりませんが、箭疾歩も大好きです。いや、関係あるのでしょう。箭疾歩とバーンナックルはよく似た技ですし、この小説を書こうと思ったきっかけのひとつは、つい最近PS2で出た『餓狼伝説』を買ったことですから。(ちなみにこのゲーム。買って二週間ぐらいになりますが三時間位しかプレイできてないです)
もうひとつのきっかけは、ネタが閃いたことです。突進技の箭疾歩を真上に向け打つのってどうだろう? 身長差があれば可能だよな。最後の最後で真上に向けて跳んだらインパクトあるか。絵的にも悪くないよな。と、ここまで進んだ所で話のほとんどが決まりました。
前々からアクションシーンのみを書きたいと思っていたところです。本当は剣戟アクションが良かったのですが、今回浮かんだネタはこっちなので仕方ありません。一発ネタで全てをコンパクトに収める自信があったので、すぐさま書き始めました。
冒頭は特になにも考えずに書きました。主人公は殴るのが好きだ、ということだけを読者に伝えればよかったので、テンポだけを気にして書いてみました。ここで言うテンポというものは、ほぼ僕の中で好きなテンポが固まっているみたいです。書くたびに似たようなものになりますが、いまのところはそれ程気にしてはいません。語尾が同じものになってしまう、という点だけは注意してますが。
書き始めてから、蹴りでない理由が少し弱いと感じたので、背が低いということも足してみました。文体がちょっぴり軽くなったけど。それはそれで良い、と判断しました。ここでこれを入れることにより、途中でいつでも息抜きが出来ると考えたからです。(息抜きとは、重苦しいシーン中、軽い文体で読者の肩の力を抜くということです。実際『箭疾歩』ではそこまで重いシーンがなかったので、無理して軽い文体は入れませんでした)
次のシーンの頭もやや文体が軽いです。意図的というか、直前の文章に引きずられた感じです。直そうかとも思いましたが、すぐ後の構えの描写が固いので、これはこれでいいか、とそのままにしました。
構えの描写は読んでいても退屈なだけだろうから、短く区切って読みやすく。
アクションが書きたかっただけだから、戦いのきっかけはなんでも良く、ありがちなものにしてみました。書いてから閃いたのですが、ここと冒頭の背が低いという描写のお陰で、ラストのオチが決まりました。決まってから読み返してみると、冒頭の軽い文体も案外良いものに思えてきました。冒頭とオチが軽いお陰で、サラッと読めた、という印象を読者に与えられるという気がしたからです。
戦っている場所と、最初の相手を定めた理由は後からの書き足しです。一回パソコンから離れ、他の用をしている間にあそこの描写が弱いかな、と感じて足しました。くどくなっていなければ幸いです。
二人目との対戦は頭の中にあった通りに書きました。『烈穿手』という単語は、こういったアクションものにはこういった飾りが必要かな、という考えから入れてみました。後述しますが、この短編は『拳児』という漫画を読みながら書いており、元ネタは漫画に出てきた『閃電手』という呼び名からです。最初『閃電手』から『烈閃手』という単語を閃き、そう書こうとしたのですが、変換過程で『穿』という文字を見つけ、こっちの方が元ネタが浮かび難いだろうということで変更しました。
いま読み返してみると、この濃度の短編にこの飾りつけは少し過剰装飾かな、と思えてきました。
さらにここでは、『タイミング』と『カウンター』の二つが片仮名で出てきますが、本音をいうと書きたくなかったです。拳法ものなので片仮名は一切使わずに仕上げたかったのですが、代わりとなる単語が思いつかず已むを得ずこうしました。後に出てくる『ダメージ』も同様です。
三人目と戦う段になって、僕はふと気づきました。ひとりずつ闘っていくのは当初考えたとおりだが、それだと取り囲んだ理由がまったくないな、ということに。頭に出てくるお粗末云々は自分に向けて書いたものです。
化勁で投げられたところの描写が淡白すぎる、とこれも今更ながらに思うのですが、この時は少しも気になりませんでした。この後のことを色々考えていたからです。
ここまで構想通りに書き続けてきた今作品ですが、五人で取り囲んだ理由がない、と気づいたときから不安が募ってきました。一対一のまま戦いが進み、四人目の大男を倒し、残る一人を瞬殺して物語は終了、という構想でしたが、これでは少し単調かな、と思えてきたのです。多対一のバトルが少しぐらいあった方がメリハリが出るんじゃないか。その考えが強くなってきたので、ここで構成変更。化勁使いに加え、当初やられキャラだった蹴り使いが登場。
とはいえ、この二人はすぐにやられることとなります。
『放てば当たる 当たれば倒す 箭疾歩』
が物語の前提です。一撃必殺の技を魅せる代わりに、乱戦の醍醐味を魅せることが出来なかったのは残念です。
ここの箇所では他にも心残りがあり、それは前掃腿と連環腿のコンボです。コンボ自体は悪くないと思うし、千の技を強調するために色々な技名を出すのは必要なことですが、書き方がうまくなかった。
『刈るような脚払い――前掃腿(ぜんそうたい)だ』
『左右二連脚――連環腿(れんかんたい)だった』
一般的なものでないのだから、技の説明を当然です。振り仮名を入れるのも、こういった形では好きでないですが、仕方ないでしょう。
けど、短い間隔でこう似た文章が出てくるというのは、視覚的に綺麗ではありません。僕は読んでいて飽きないようにリズムなどにも気を使いますが、同時に、読まずにパッとその画面を見てバランスが取れ美しいかどうかも気にします。改行がなく、文章が長々と続く作品や、会話文がずらっと並ぶ小説を書かないのは、読みにくいからではなく視覚的に美しくない、と感じるからです。
特に今回は『――』があるためにこの部分が強調され、大層醜くなるな、と嫌っていました。それを改善しないまま掲載したのは、これも他によい手が浮かばなかったからです。
ブログ上に載せてみたところ、おもったほど目立っていないな、と思いましたが、何度か読んでみると今度はリズム感が悪いような気がしてきて、やはりこれは失敗だったと反省しています。
千の脚技は後のことわざを際立たせるため。二人目の敵が使った『合わせ』で倒したのは物語を盛り上げるためのちょっとした演出。うまくいっているかどうかは皆様の判断にお任せします。
最後の敵はオチとして思い描いていた通りのキャラ。ほとんど最初のイメージのまま書ききることが出来ました。
「どうだ、俺の肉体は! 硬功夫(いんごんふー)で鍛え上げられたこの身体には、天を穿つ、といわれた貴様の一撃も通用しない。そして!」
「硬功夫で鍛えた俺の一撃は、岩をも砕く破壊力を持つ。小柄な体躯でありながら、百を越える勝利を手にした貴様の最強伝説も今日で最後よ」
唯一の変更点はこの二つの台詞なのですが、この作品中もっともひどい箇所だと考えています。いくらなんでも、あまりにひどい説明台詞です。『天を穿つ』とか『百を越える~』だとかは後から付け足した装飾ですが、これはまったく必要なかったです。五人が主人公を倒して名を上げようとしていたんだ、というのをさりげなく説明してみたつもりだったのですが、もっとうまい手がいくらでもあったと思います。
安易過ぎる!
この作品の全編に通じる反省点です。
大男との戦いの最中に空白行を入れたのは、最後の一撃のインパクトを高めるためです。このオチの為に書き始めた作品ですから、ここは精一杯芸を凝らしてみました。
ラストの台詞は最初に思い浮かんだもの。あっさりしすぎるラストはだらだら長引かせてもしょうがない、という判断からです。
この作品は『拳児』という藤原芳秀先生の漫画を元ネタに書きました。書かれていることのほとんどは『拳児』に載っており、箭疾歩の構えの描写も漫画を見ながらです。若干変えているところもありますが、それはオリジナル色を出そうとした結果です。そういう意味では二次創作と言えるかもしれません。
まぁ、こんなところでしょうか。ひとりで思いつく限りにはネタ晴らしが出来たと思います。
やってみた感想としては、面倒臭かった、の一点です。また、出来上がった作品についてだらだら述べるのは美しい行為ではないので、今後はしないと思います。
今回は特別です。
なんとなく、色々語ってみたかったから、という理由と、『切磋琢磨』ということに挑んでみたかった、という二つの理由でしてみました。
ネットを始め、小説執筆が好きだ、いずれプロになりたい、という人たちと出会いました。僕も同様なので、ともに頑張ろう! という想いはあります。
でも、その想いはどの程度のものなのでしょう? ともに頑張るとはどういうものなのでしょう?
作品を読み感想を言い合うこと? わからないことについて質問すること? 辛いときに励まし支えあうこと?
その全てではあるのでしょう。でも、それだけ?
ともに励む仲間に送るものとして、僕のいまをここに記します。
僕は作品を生み出すとき、このように考え、出来上がった作品を見てはこんな反省をしています。
もちろん、これが僕の全てではありません。
とはいえ、これが僕の平均的ないまの実力であることには間違いありませんし、考え方の根っこはここに記せたと思います。
これがネット上でなく、リアルの知人であるならば、日常の中で互いを知り、刺激を受け合い切磋琢磨していくことが出来たかもしれません。
ネット上で互いの顔が見えない状況で、僕に思いつくことといえばこんなこと。一方的に自分をさらけ出すこと。
そうすることで望むことはただ一つ。
ともに高みを目指したい。
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