あおこのぶろぐ

オペラ、テレビ、日常など、気が向いたときに書いていきます!

オペラを取り戻した日 深作健太演出 二期会「フィデリオ」②演出編

2020-09-10 09:33:40 | 日記
続いて演出&アフタートークの感想。

演出は、近代史の授業のような感じでした。
「壁」を描きたかったということと、戦後75年の祝祭公演にしたかったという、深作氏の意図は伝わってきました。アフタートークで、それらにこだわった深作氏の強い思いもわかりました。

いろいろな映像、映し出される言葉には唸りましたが、「ドラマ」として観るとわかりづらくもありました。

アフタートークで、「オペラを初めて観た」という若者に「オペラって何やってもいいんですか」と言われたり、男性(多分年配の)には「文字を読んでいて音楽が入って来なかった」というようなことを言われていました。

私は10代のまだオペラ初心者の時、以前書いたサヴァリッシュ指揮・鈴木敬介演出の「フィデリオ」を観ました。正統的な演出で、今でもあれが「ベース」になっています。
「読み替え演出」は20世紀にはほぼなかったですしね。

ある程度オーソドックスなものを観てこそ、読み替え演出を楽しめると思いますが、「初めて観る」という人も楽しめるわかりやすい読み替えならば良いかなと思います。
今回の演出は、そういう意味ではややハードルが高かったかも?

個人的には「ベルリンの壁」だけをモチーフにしたほうが、わかりやすく面白かったんじゃないかと思いました。
(今年、須賀しのぶさんの小説「革命前夜」を面白く読んだので。オペラは出て来ませんが、音楽と青春と歴史が描かれた秀作だと思います)

アフタートークで、1階席だったら深作氏に訊いてみたいと思ったこと。
序曲(今回はレオノーレ第3番)中に一つのドラマが描かれるわけですが、その時一旦手にした銃をレオノーレは手放します。
第2幕でピツァロと対峙する時に、銃は持たず、体だけで立ちふさがります。
アフタートークで進行役の広瀬大介さんが言及して下さり、質問の必要もなくなったのですが。
その場面が印象的だった、と広瀬さんはおっしゃっていました。
そして「武器を持たせたくなかった」と、深作氏は強く思いを語っていました。
それはよくわかりました。

が、私と、多分多くの観客は、カタリーナ・ワーグナーの「フィデリオ」も観ているのです。
「ピストルがなかったら、やられちゃう!」って思ってしまうのです(苦笑)。
大臣のラッパが鳴った時、ドラクロワの絵画が映し出されましたが、体を張って守るレオノーレの姿に、ピツァロが「自由の女神」を想起させ観念した、と思うことにしています。

このように新しい演出で「フィデリオ」を観て、私はカタリーナの演出、結構好きだったなあとしみじみ思いました。
登場人物の描写(ピツァロがレオノーレを想っていた、とか)が細かかったし、ドラマとして面白かった。賛否はあるでしょうけど。というか否のほうが多い?

でも私の一番のお気に入りは、BSで観た2014年のデボラ・ウォーナー演出、バレンボイム指揮のスカラ座の公演です。
演出もだけど、歌手の歌、ヴィジュアル、演技、全部良かった。特に終幕は、マルツェリーネに寄り添った演出で、好きだったな。

今回の二期会のプロダクションは、ソーシャルディスタンスを取らなければならない中で、様々な工夫がされていました。
ほぼ横並びで、距離を取り、向かい合っては歌わない。合唱団は声だけで登場せず、というように。

特に「どうするんだろう」と思っていたフロレスタンとレオノーレの二重唱。
抱き合いながら歌うことの多い場面ですが、レオノーレはフロレスタンの代わりにFの文字、フロレスタンのF、そして自由(FREIHEIT)を胸に歌い、歌い終わって抱き合う、という形で、極力違和感ない形で動かしていました。
改めて観たら、スカラ座の二人(フォークトとカンペ)も歌っている時は離れてました。

無理矢理感もあった終幕の「戦後75年式典」ですが、ああすることによって違和感なく合唱団を登場させることが出来たと思います。
レオノーレが合図を出し、鎖でなくマスクをはずさせた瞬間の字幕(広瀬大介さん)。
「神様! このような瞬間がまた訪れようとは!」(確かこんな感じ)
思わず、うるっとしました。
オペラに関わるすべての人、ファンも含めたみんなの気持ちだったと思います。

いろいろな見方や意見があると思いますが、歴史と記憶に残る演出だったことは間違いありません。
 


余談ながら、全く同じ時期に中劇場で東京03の「ヤな塩梅」が上演されていて、そちらも見たかったけれど、お笑いはもっぱらテレビ・動画で楽しみます。

オペラを取り戻した日 深作健太演出 二期会「フィデリオ」①

2020-09-06 21:13:39 | 日記
私にとっても生オペラは、2月の新国立劇場「セヴィリアの理髪師」以来。
新国立劇場でのオペラ公演自体、「セヴィリア…」以来とのこと。

飛沫と密が感染につながるという新型コロナウイルス。
私も予定していたいくつかの公演が中止になりました。
正直なところ1年くらいオペラ上演は無理なんじゃないかと思っていましたが、様々な制限はありましたが、無事開催されました!

先月の藤原の「カルメン」は、オーケストラが舞台上に配置されていたそうですが、今回の公演は本来のオーケストラピットの位置に、客席との敷居ナシでした。つまりオーケストラもよく見えました。

1~3列目まで無人。席は一つ置き。
普段は隣の人が肘掛けからはみ出して来たり、音や臭いが気になったり、なんていうこともありますが、そういうストレスがないのはいいな、と思ったりして。


9月3日4日と行き、両キャスト観ました。出演者の方々についての感想。

囚人役の森田有生さんと岸本大さんは、最初から黙役で出演されていました。
密を避ける為出演者を減らしたということでしょう。また合唱団の方々を使えなかったからでしょう。大活躍でした。

最初のヤッキーノとマルツェリーネの二重唱は大好きなのだけど、初日は硬さが感じられ、声が溶け合わない感じがしました。
ヤッキーノの松原友さんは、この公演がデビューとのこと、だから緊張されていたのか?
マルツェリーネの冨平安希子さんは、徐々に声が出て来て本領発揮という感じでした。
2日目の愛もも胡さん、菅野敦さんペアのほうが最初から声、演技共に良かったです。風貌も役にはまっていたし。

ロッコの妻屋秀和さんは、いつもながら、高レベル、安心安定、ハズレなし!
山下浩司さんも健闘。いいおっちゃんという雰囲気を出していました。

ピツァロの大沼徹さん、いい声過ぎて、ヨカナーンなどはピッタリだけど、ピツァロにはもっと凄みが欲しかったかな。
2日目の友清崇さんのほうが、声、風貌共に私のピツァロのイメージに近く、良かったです。もっといろいろな役で聴いてみたいです。

ドン・フェルナンドの黒田博さん、件の新国立劇場の公演でもこの役を歌い、ブラックな?感じを醸し出していましたが、今回は普通の「大臣」。メイクで安倍総理に寄せていたように感じたのは私だけ?
小森輝彦さんも貫禄という感じでしたが、大臣のキャラも各々違っていた感じで面白かった。

フロレスタンの福井敬さん! こちらも間違いなし! 安定の歌唱!
2日目の小原啓楼さんも素晴らしかった! ローエングリンの時は、リリックなところが逆に苦しげに聞こえたのですが、強い声で歌いきるフロレスタンのほうが、合っているように思いました。

レオノーレの土屋優子さん、小柄(福井さんに合わせたキャスティング?)だけどダイナマイトバストなので、男装するとずんぐり見えて、「イル・デーヴにいそう」と思っちゃいました(ごめんなさい)。普通のイタリアオペラの女性役を見てみたいです。
木下美穂子さんもさすがの演唱です! 男装も決まっていた。第2幕、墓堀りのシーンで帽子が脱げてしまうアクシデント(多分)がありましたが、動揺も感じさせず。歌いきりました。「大丈夫大丈夫! 暗いからロッコにも見えてないよ!」と、心の中でレオノーレに声援を送ってました(笑)。

指揮は、当初予定されていたダン・エッティンガー氏が来日出来ず、大植英次さんに。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。
一度生で聴いてみたいと思っていましたが機会がなく、今回楽しみにしていました!
テンポはややゆったり目。オケピの囲いがないので、指揮ぶりも楽しめました。
その指揮振りとお顔立ちから、勝手に大柄な方をイメージしていたので、カーテンコールで出ていらした時、衝撃を受けましたが……。

合唱は二期会、藤原、新国立劇場の合唱団が担当。
密を避けて、ラストまで姿を表さず。
最後に広い新国立劇場大劇場の舞台をフルに使い、ソーシャルディスタンスを保ち、マスクをつけて登場。
レオノーレが「鎖を解く」ところでマスクを外したのには感銘を受けました。

ラストは客席に灯りをつけ、歌い終わると紗幕が上がり、ステージと客席が一つになりました。
ブラボーを浴びることが出来ない代わりに、歌手の方々も客の熱を目で味わっていたという感じでした。
ステージ・客席一緒になって、フロレスタンならぬオペラを取り戻した喜びを分かち合ったのでした。