アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

赤穂事件   淀屋闕所と酒田の繁栄

2023-01-23 11:18:04 | 漫画
 
        淀屋闕所と酒田の繁栄


 改易時、浅野赤穂の藩札発行高は壱万弐千両程であり、藩に保有されている現物資産は七千両程であったそうです。
 従って、淀屋に集まった売却資金を全て回収し、更に、城に蓄えられた兵糧、武器等の売却資金を加えれば、幕府は、赤穂改易により壱万両程の資金が没収できたと思われます。

 淀屋闕所時に没収された財産は、金銀弐百数拾万両、家屋壱万坪と土地弐万坪、工芸品などが有り、諸大名へ貸し付けは拾億両程であったと見積もられる。

 淀屋闕所時には、赤穂改易の弐百倍以上の資金が幕府によって没収されたことになり、一時的には幕府の資産が増えた事には違いないのだが、淀屋闕所後の市場は大混乱になっていた筈である。

 淀屋は、闕所前から幕府から圧力を受けている。淀屋が発行していた米切手が廃止され、米の先物取引には支障が生じていたと思われるが、この時、淀屋は藩札を米切手の代用として流通させたのではないか。当時、大名の改易は珍しくなかったから藩札は信用がなかったのだが、それを淀屋が引き受けたのであろう。淀屋の大きな資産力によって、米切手は信用され、流通されていた。しかし、唯一信用が高い米切手は幕府によって廃止されてしまったのだ。

 米切手は廃止されたが、米切手の代用として、淀屋が保証する信用が高い藩札が流通すれば、市場は安定した筈です。しかし、幕府による淀屋闕所によって、その信用もなくなってしまったのです。当時、拾億両もの信用取引が消滅した衝撃は凄まじかった筈です。

 当時、金銀の現物資金が枯渇して、流通する小判の量を大幅に増やしている。これにより、品質の悪い小判が作られ、現物の小判の価値もなくなってしまう。小判の価値は損なわれ、藩札は信用がない状態であったため、やむをえず、市場は現物交換を余儀なくされていたと思われる。

 今まで、米切手で取引されていた市場から米切手が奪われ、更には、信用がない藩札が出回る事になってしまった。そうなれば、大切な商品を紙切れのような藩札で交換する事を拒んだ商人は、物々交換に頼る必要が出て来る。

 淀屋闕所により、上方と江戸の市場に大打撃を与えたと考えられるが、その混乱をよそに発展したのが酒田であった。また、淀屋重當 は、闕所処分とされる事を予想し、番頭であった牧田仁右衛門に暖簾分けをしている。当時、倉吉の米問屋と酒田の湊が、市場で大きく成長する事になっていきます。藩札による先物取引が少なかった日本海側では、物々交換による取引に適していたのかもしれません。そして、現物の米が、信用の無い藩札に置き換わることにより、酒田には豪農が育っていったと考えられます。
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