6月18日、土曜日、今回は、船場のレッドカーペットとも称される三休橋筋を中心に散策しました。天気予報では晴れでした何故かあいにくの雨。傘を差しながら、案内人の説明に耳を傾けつつ、大阪市中央公会堂からの出発です。
大阪市中央公会堂(大正7年竣工)は株式仲買人、岩本栄之助氏の寄付により建設されました。相場で、莫大な損失をだして周囲の人々は大阪市に寄付した100万円を少しでも返してもらうように進めますが、「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」としてこれを拒否したそうです。公会堂建設のために莫大な私財を投じながら、完成を待つことなくこの世を去りました。大阪商人の「義」の精神、後世に伝えていかねばなりませんね…。
公会堂から三休橋筋に入り、土佐堀川を南に渡る栴檀の木橋を渡ります。橋の袂には景観として植えられ、昨年9月の台風で倒れた栴檀の木跡と、新たに植えられた二代目の木を見学しました。
続いて、三休橋筋を南に進み、「昭和5年開業で財界や文楽・歌舞伎関係のお客が多かったレトロな吉田理容所を見学」、との予定でしたが直前に予約がはいり残念ながら見学は中止となりました。
少し西に歩き、大阪大学医学部の前身とされる適塾は、蘭学者・医者である尾形洪庵が蘭学の私塾として江戸時代に開設しました。次に道路前の市立愛珠幼稚園は明治13年に開園され、現存する幼稚園として国内で2番目に古く、民間の幼稚園としては国内最古となります。「大阪市内には重要文化財が15ヶ所もありますが、適塾・愛珠幼稚園・綿業会館を含めこのあたりに4ヶ所も集まっています。」と森山さんの説明を伺い、改めて船場を見直しました。
再び三休橋筋に戻ります。三休橋筋は栴檀の木が立ち並び、ガス灯の整備・電柱の地下化・歩道銘板の設置など、大変きれいに整備されています。
マンションに生まれ変わった大理石造りの旧八木通商ビルと煉瓦造りの旧大中証券ビル(明治45年竣工)は、双方共に東京駅や奈良ホテルを設計した、辰野金吾氏の設計になります。
次の、日本基督教団浪花教会(1877年設立)では、牧師さんのお話を伺える事になり、中に入れていただきました。現在の建物は、1930年に近江兄弟社の創立者で、アメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリス氏が指導し、竹中工務店が設計・施工したものです。ステンドグラスを通して柔らかな光があふれる、素敵な礼拝堂でした。
芝川ビル(昭和2年竣工)に立ち寄ります。このビルを受け継ぎ守ってきたオーナーは、創建当初の建物に戻す改修工事や、魅力的な店舗のテナント誘致により、建物の魅力の向上・発信に力を注がれています。
続いての船場ビルディング(大正14年竣工)。このビルの最大の特徴はパティオ(中庭)があることで、玄関から中に入ると皆さんワァァァァァァ!という歓声を上げられました。建物中央に細長い庭があり、その中庭に沿って外廊下が設けられています。
最後は、綿業会館(昭和6年竣工)の見学です。戦前の日本近代美術建築の傑作と言われ、一般社団法人綿業倶楽部として使われています。見学箇所が多く興味が尽きない建物です。
終了後、自由参加でしたがほとんどの方が参加され、綿業会館のお洒落なランチを大変おいしくいただきました。
約三時間のコースは、楽しくてあっという間に過ぎました。三休橋筋は栴檀の木が整然と続く緑豊かな通りであり、近代の大大阪時代を思い浮かばせるレトロな近代建築が軒を連ねる様は、かつての船場の繁栄を彷彿とさせます。地元の方々や三休橋筋愛好会といった方々の活動もあり、素敵な散歩道に生まれ変わりました。案内人の三休橋筋愛好会メンバーである森山秀二さん、創建当初の写真を拝見しながらの説明は大変解り易く、かつ三休橋筋への熱い想いが感じられました。
ありがとうございました。魅力ある大阪のまちづくりを推進し、元気な大阪を取り戻して欲しいと強く思いました。