病気をタタリや*(雷)*神罰などと考えていた原始医療から、病気を自然現象と捉えるようになったのは、*(中国)*中国では黄帝内経が著された前漢時代(紀元前206-後8年)の頃といわれます。
西洋でも同じ頃に*(ギリシア)*ヒポクラテス(紀元前460年ー前377年)が現れ、原始的な呪術や迷信から脱して、病気を科学的に捉えるようになったといわれます。
現代でも、もし病気の原因がはっきりせず辛い自覚症状で*(困る)*苦しむとするなら、何かバチでも当たっているのかと思い悩むかもしれません。
しかし、もしそうだとしても、人類が*(ケーキ)*誕生したのは10~20万年前といわれますから、病気をタタリや神罰などと考えていた頃の方が長いわけで、それは自然なことだともいえます。
ところで、人類が最初に始めた治療法は何だったのでしょう。
疫病にかかった人が数日で死んでいくさまを見るとき、*(ハート6つ)*病原菌を知らない昔の人達がタタリや神罰と恐れおののくのは当然だったでしょう。
ですが、*(キラキラ)*痛みに対しての治療は、人類が誕生した当初からやられていたとおもわれます。
実際に、打撲した時や腹痛が起った時に、*(パー)*なでたりさすったりすると痛みが楽になるのですから、そういうことは経験的にやっていたはずです。
今でも治療のことを『手当て』というのは、その名残なのかもしれません。
それ以前の動物に近い頃は、よく*(ラブリー)*動物がやるように、けがをした傷口や打撲した箇所を舐めていたかもしれません。おできが出来た時は、口でウミを吸い出して痛みを緩和させていたでしょうか。
唾液には*(晴れ)*殺菌作用があるといわれますし、打撲で腫れあがって熱を持っているときに、舐めると唾液が蒸発して熱を奪っていったでしょう。
幼い頃、ころんですりむいた*(唇)*傷口を舐めた記憶が血液のショッパイ味とともにおぼろげに残っています。
打ち身をした時、反射的に打った所にツバをつけることがあります。それは人類の長い時間の行動パターンが体内記憶として残っているのかもしれません。
ところで、けがや打撲をしたわけでもないのに出てくる痛みがあります。検査をしてもどこにも異常がないこともあるようです。
これは、漢方の*(バス)*経絡を当てはめて考えると分かりやすくなります。
仕事の無理や*(いっぷく)*心配事が重なると、体だけではなく内臓にも疲れが溜まります。
仕事が落ち着き、心配事が落ち着いた後、しばらくすると疲れた内臓の経絡に沿って*(波)*痛みを出し、体が内臓の疲れをとろうとします。
痛みの起こる以前に何か無理がなかったか、強い*(激怒)*ストレスがなかったか、場合によると、*(ビール)*暴飲暴食で内臓が疲れた後にも、そのツケとしての痛みが出ることもあるようです。
冬や*(ひまわり)*夏は体にとっては厳しい季節です。内臓にも疲れが溜まりやすくなります。*(梅)*春や秋の風が心地よい頃に、内臓に溜まった疲れが痛みとなって出てくることもあるようです。
そういう痛みは、体が自分自身のメンテナンスをしているようなものです。内臓の疲れがとれれば、いつの間にか痛みも自然に*(結晶)*消えていくようです。
自然は人の健康に必要な物を季節々々にうまく手当てするようです。秋は新鮮な*(りんご)*果物の宝庫です。それらは夏の疲れをとる妙薬なのかもしれません。