プロ野球の巨人、阪神で主力投手として活躍し、現在日本ハムコーチの小林繁氏が
17日、心筋梗塞で死去した。57歳だった。
小林氏は鳥取・由良育英高から社会人の全大丸を経て72年に巨人に入団。
76年、77年に18勝を挙げて優勝に貢献。
79年に江川との交換トレードで阪神に移籍し、22勝を挙げて最多勝を挙げた。
78年秋のプロ野球ドラフト会議前日に起きた“空白の一日”騒動は、「アリ様」が
巨人と江川選手が徹底的に嫌いに成ったきっかけになった出来事だ。
日本野球機構は最終的に、巨人と江川卓のとんでもないわがままを聞き入れ、
その犠牲となって小林繁は阪神にトレードされる。江川は2か月間の出場停止。
「アリ様」は小林繁投手のファンだった。
端整な顔立ちでハンサムであり、あのアンダースローは素晴らしかった。
トレードされた屈辱を巨人戦8勝無敗という神が舞い降りた様な反骨をみせた。
インタビューで「同情は買いたくない。これからの活躍を見て欲しい」と言う、
コメントが今も耳に残っており、有言実行を見せ付けた。
この根性に、涙が流れるほどの感動を覚えた。
因縁のふたりが3年ほど前の秋、黄桜のCMで共演していたが、「アリ様」は
未だに江川と巨人を好かん。こういう類の男は何時まで経っても嫌いである。
確か、レコードを出しCMにも出て、飲食店経営に失敗して自己破産の記憶がある。
しかし、57歳という若さで指導者としては、まだまだ此れからという時に
気の毒である。
小林様、長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。
江川&小林 因縁の二人"和解の酒"
17日、心筋梗塞で死去した。57歳だった。
小林氏は鳥取・由良育英高から社会人の全大丸を経て72年に巨人に入団。
76年、77年に18勝を挙げて優勝に貢献。
79年に江川との交換トレードで阪神に移籍し、22勝を挙げて最多勝を挙げた。
78年秋のプロ野球ドラフト会議前日に起きた“空白の一日”騒動は、「アリ様」が
巨人と江川選手が徹底的に嫌いに成ったきっかけになった出来事だ。
日本野球機構は最終的に、巨人と江川卓のとんでもないわがままを聞き入れ、
その犠牲となって小林繁は阪神にトレードされる。江川は2か月間の出場停止。
「アリ様」は小林繁投手のファンだった。
端整な顔立ちでハンサムであり、あのアンダースローは素晴らしかった。
トレードされた屈辱を巨人戦8勝無敗という神が舞い降りた様な反骨をみせた。
インタビューで「同情は買いたくない。これからの活躍を見て欲しい」と言う、
コメントが今も耳に残っており、有言実行を見せ付けた。
この根性に、涙が流れるほどの感動を覚えた。
因縁のふたりが3年ほど前の秋、黄桜のCMで共演していたが、「アリ様」は
未だに江川と巨人を好かん。こういう類の男は何時まで経っても嫌いである。
確か、レコードを出しCMにも出て、飲食店経営に失敗して自己破産の記憶がある。
しかし、57歳という若さで指導者としては、まだまだ此れからという時に
気の毒である。
小林様、長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。
江川&小林 因縁の二人"和解の酒"