三日月ノート

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映画【砂の器:1974年製作】ネタバレあり

2013年11月02日 16時41分53秒 | 映画
松本清張原作で、丹波哲郎、加藤剛、森田健作、緒方拳などが出演しています。(チョイ役で渥美清!)

一種の推理ドラマとも言えますが、それ以上に人間の業というものを感じさせられる映画です。

国鉄蒲田駅操車場から発見された身元不明の被害者は、死後、顔を石で何度も殴られており、強い恨みによる犯行とされますが、捜査が進むにつれて、この被害者は誰からも好かれ、非常に思いやりがあり、恨みを買うことなど考えられないような人物として浮かび上がってきます。

一方、加害者は新進気鋭の作曲家。これからその地位を確たるものにしようとする時期でした。

事件は、被害者と加害者とが数十年ぶりに再会したことがきっかけでした。

消息がわからなかった加害者が東京にいることを知り、被害者はすぐに会いに行きます。
そして、ハンセン病のため国立療養所へ入所している(加害者の)父に、一目でいいから会ってあげて欲しいと懇願します。

加害者は幼い頃、ハンセン病を患い村を追われた父と1年間放浪の旅をし、最後に被害者に引き取られたのですが、療養所へ入るとき、父子は別れたくないため泣き叫んでいました。

物語の中では加害者の本当の殺人の動機は描かれていないため、そこは観る者の想像に任されています。

自分の暗い過去(出生)を知る被害者が突然目の前に現れ、保身のために殺害したという見方もあると思いますが、被害者の「善意」が加害者を追いつめ、殺人に至らせたようにも思えます。

被害者の行為のどれもが善意から出ているものであり、非難すべきことはどこにもないのかもしれません。
唯一、加害者が実父と会うことを拒んだとき、「首に縄をつけてでも引っ張っていってやる!」と言ったことは行き過ぎだったかもしれませんが・・・。

父と別れた幼い子供(加害者)が成人するまで、どんなことを毎日思い、自分の過去とどうやって対峙してきたのかは、本人のみが知りうることです。

でも被害者は「善意」の名のもとに、被害者の心にずかずかと土足で入り込んできたわけです。

映画の最後の部分で、二人の刑事のやりとりがありますが、そこで、

「でも、会いたかったでしょうね」「そりゃそうだろう。でも彼が父に会えるのは、音楽の中だけだったんだ」(会話は不正確かもしれません・・・)

とさり気なく言葉が挿入されています。

自分の中で、ようやく消化しようとしていたものを蒸し返され、これまでの自分の苦しさなどを無視するかのように、会うことを強要されたこと。それがきっかけで、心の中で鬱積していたものが殺意となって現れたこと。

あくまで想像ですが、なんだかそんな気がしました。


砂の器より「宿命」

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