白いノート~アラフィフ南天の備忘録

50代半ばを過ぎました。日々気づいた事を忘れないよう書き留めていきます。

母の今

2018-09-14 21:16:52 | 認知症の母

研修や台風の後片付けなどで後回しにしていた母の面会に行って来ました。

母は家にいた頃、見た目を気にして

化粧品がない!と言ってアイブローと乳液を何本も買って来たり

美容院に重ねて予約してしまってましたが

入所後、白髪染をしなくなって、白とグレーと薄茶色が混在していました。

それでも全く気にならないみたいで(^_^;)

『ここは本当にいい所。みんないい人ばっか。』という毎度同じ話のエンドレス。

穏やかに暮らせている事が伝わり安心しました。

それでも、帰宅願望はあるみたいで、居室の端に荷物をまとめたバックが置いてありました。

これも、毎度の光景。

『今日は雨だから帰れないよ』と言うと、あっさり『そうか。もうじき暑くなって来るしね』と。

母の中では、今は春?

季節も理解できなくなっていました。

前回も前々回も訪問した時、私の事を『妹が来てくれた!』と言っていましたが

今日は私が誰だかわからなくなっていました。

一緒に暮らした事がある人である事はわかっているけど、時の流れや関係性がわからない。

そんな感じです。

 

 


人生の岐路①

2018-02-10 18:29:17 | 認知症の母

母が圧迫骨折をおこしました。

腰痛の訴えは毎度の事ですが、食事を少しずつ残すのでおかしいな、と思い整形に行き判明。

今まで排泄の部分はしっかりしていたのに、失敗もするようになりました。

圧迫骨折は動けないくらい痛い!イメージでしたが、母の場合『いつの間にか骨折』だったようで

今も元気に歩いています(-_-;)

安静、コルセット着用、言う事を聞きません。

認知症でなければ、必要な事が認識でき、我慢もできるでしょうけれど

今の母には通じる事はなく

『私はどっこも悪くない!時々ちょっと腰が痛くなるけど、知らない間に治ってく』と豪語。

おそらく、しりもちをついた事で骨折に繋がったのだと思いますが、その時の事も全く覚えていません。背中には柱でぶつけたであろう大きな痣もあるのに。

ファンヒーターの上でコーヒーを淹れたり

洋服がこげる至近距離で電気ストーブにあたっていたり

メガネが冷たいと言って電子レンジにかけたり

一人にしておけない状況が次々に起こり、

ここ10日ほどで、ハードな仕事も重なり

心底疲れ果ててしまいました。

今年秋60歳になる私。

体力も気力も落ちましたが、判断する力も衰えを実感しました。

夫や、姉にも相談しましたが、所詮他人事なのですよね。

介護は介護を経験した者しかわからない。

私は職業としての介護を10年していますが、

家族の介護は初心者で、家族が自宅で介護をする事は

体力も気力も経済力も・・・・・容赦なく奪って行くものだと知りました。

 


思わず笑ってしまった

2017-09-21 22:36:57 | 認知症の母

先週、

、デイサービスでコーヒーをこぼしてしまい、ズボンをお借りして帰宅した。

今日、母のデイサービスの荷物を見たら、お借りしたズボンが入っていた。

そしてこんな添え書きをしたメモも。

『先日はありがとうございました。お恥ずかしい品ですがどうぞ』と・・・・

 

 

母がお礼として渡そうとした品物は・・・・・

 

 

 

洗濯ネット。

 

 

『貸してくれたのは、個人ではなくデイサービスだから、こんな事しなくていいんだよ』と

話し、お手紙も洗濯ネットも荷物カバンから出した。

 

認知症の母にとって大切な物?は

ビニール袋、割り箸、洗濯ハサミ、S字フック、そして洗濯ネットなのだ。

私が買っても買っても・・・・買っても・・・・・

なくなってしまう。

母が、見つけた都度押し入れや自分の箪笥にしまいこむせいだ。

大事な物なんだね。


実はね

2017-09-01 22:14:29 | 認知症の母

見慣れない番号からの着信。

?????

大抵はとらないのだけど、とってみたら・・・・

今は亡き実家のお隣のおばさんからだった。

実家の裏には、甥っ子が所有している家があって

おばさんは、甥っ子と連絡を取りたがっていた。

甥っ子とは、実家のお墓の事で私の姉が喧嘩を吹っかけて以来音信不通。

それより、アンタお母さん元気?と聞かれ・・・・

私『はい。身体はね。でも認知症になってしまいました。

きっとおばさんの事は覚えていると思うけど、同じ話を何回もすると思う。』

おばさん『あーそう。。○○さんはね、一人暮らしができなくなって老人ホームに入ったよ。お母さんは?家でみとるの?』

私『はい、家にいます。』

聞けば、おばさんは今一人暮らし。おじさんは4年前に亡くなったのだそうだ。

物心つく頃から、おばさんには本当に世話になった。

同級生の幼馴染がいたので、朝早くから夜遅くまで、よく遊ばせてもらった。

幼馴染が小学校へ庭のお花を持って行く時は必ず私の分の花束も用意してくれた。

おばさんの家には、おじさんの妹で知的障害の子がいた。私より20歳くらい上。

おばさんは、旅行も遊びもできなかった。

毎日、その子のお世話をしていた。

『自分しかできない事。』おばさんは誇りを持ってそう話していた。

でも、今のように支援する施設もなかった時代、大変だったと思う。。

実家を人手に渡し引っ越して20年。

懐かしさでいっぱいになって、『おばさん!今度会いに行っていい?』と聞いた。

おばさんも、『おいで。おいで。誰もいないから』と。でも・・・・

20年間で初めて連絡をしてきた理由は多分・・・

老朽化した甥っ子の家が何か近所迷惑になるような事になっているのだと思う。

首を突っ込むなよ!という点滅信号。

嫌な歳のとり方をしたな、私。

 


行く夏

2017-09-01 22:08:23 | 認知症の母

9月になりました。

この夏、一番の・・・というか唯一の思い出。

母が認知症になって、旅行ができなくなりました。

母を残して出かけるのは仕事の時だけ。

花火大会の日、思い切ってショートに預け、かつての仕事仲間と一緒に花火見物。

その後、深夜まで話し込み。楽しかったです。

4人がそれぞれ違う職場になり、昔話などを。。。

翌朝、朝食を食べた後、皆それぞれに薬を飲む。。。

歳です(-_-;)