白いノート~アラフィフ南天の備忘録

50代半ばを過ぎました。日々気づいた事を忘れないよう書き留めていきます。

思わず笑ってしまった

2017-09-21 22:36:57 | 認知症の母

先週、

、デイサービスでコーヒーをこぼしてしまい、ズボンをお借りして帰宅した。

今日、母のデイサービスの荷物を見たら、お借りしたズボンが入っていた。

そしてこんな添え書きをしたメモも。

『先日はありがとうございました。お恥ずかしい品ですがどうぞ』と・・・・

 

 

母がお礼として渡そうとした品物は・・・・・

 

 

 

洗濯ネット。

 

 

『貸してくれたのは、個人ではなくデイサービスだから、こんな事しなくていいんだよ』と

話し、お手紙も洗濯ネットも荷物カバンから出した。

 

認知症の母にとって大切な物?は

ビニール袋、割り箸、洗濯ハサミ、S字フック、そして洗濯ネットなのだ。

私が買っても買っても・・・・買っても・・・・・

なくなってしまう。

母が、見つけた都度押し入れや自分の箪笥にしまいこむせいだ。

大事な物なんだね。


実はね

2017-09-01 22:14:29 | 認知症の母

見慣れない番号からの着信。

?????

大抵はとらないのだけど、とってみたら・・・・

今は亡き実家のお隣のおばさんからだった。

実家の裏には、甥っ子が所有している家があって

おばさんは、甥っ子と連絡を取りたがっていた。

甥っ子とは、実家のお墓の事で私の姉が喧嘩を吹っかけて以来音信不通。

それより、アンタお母さん元気?と聞かれ・・・・

私『はい。身体はね。でも認知症になってしまいました。

きっとおばさんの事は覚えていると思うけど、同じ話を何回もすると思う。』

おばさん『あーそう。。○○さんはね、一人暮らしができなくなって老人ホームに入ったよ。お母さんは?家でみとるの?』

私『はい、家にいます。』

聞けば、おばさんは今一人暮らし。おじさんは4年前に亡くなったのだそうだ。

物心つく頃から、おばさんには本当に世話になった。

同級生の幼馴染がいたので、朝早くから夜遅くまで、よく遊ばせてもらった。

幼馴染が小学校へ庭のお花を持って行く時は必ず私の分の花束も用意してくれた。

おばさんの家には、おじさんの妹で知的障害の子がいた。私より20歳くらい上。

おばさんは、旅行も遊びもできなかった。

毎日、その子のお世話をしていた。

『自分しかできない事。』おばさんは誇りを持ってそう話していた。

でも、今のように支援する施設もなかった時代、大変だったと思う。。

実家を人手に渡し引っ越して20年。

懐かしさでいっぱいになって、『おばさん!今度会いに行っていい?』と聞いた。

おばさんも、『おいで。おいで。誰もいないから』と。でも・・・・

20年間で初めて連絡をしてきた理由は多分・・・

老朽化した甥っ子の家が何か近所迷惑になるような事になっているのだと思う。

首を突っ込むなよ!という点滅信号。

嫌な歳のとり方をしたな、私。

 


行く夏

2017-09-01 22:08:23 | 認知症の母

9月になりました。

この夏、一番の・・・というか唯一の思い出。

母が認知症になって、旅行ができなくなりました。

母を残して出かけるのは仕事の時だけ。

花火大会の日、思い切ってショートに預け、かつての仕事仲間と一緒に花火見物。

その後、深夜まで話し込み。楽しかったです。

4人がそれぞれ違う職場になり、昔話などを。。。

翌朝、朝食を食べた後、皆それぞれに薬を飲む。。。

歳です(-_-;)