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SRSが提供する患者ストーリー (乳幼児期側弯症のBrielleの物語)

2017-08-04 22:00:51 | 乳幼児期側弯症
http://www.srs.org/patients-and-families/patient-stories/brielle



10数年の間、一日20時間装具をつけて装具療法に取り組み続け、その効果を得て、もうすぐ装具を卒業することができる少女の物語です。


(英文和訳 by august03)
ブリエラは今年15歳になりました。
彼女が幼児期特発性側弯症と診断を受けたのは生まれて18カ月(1年6か月)のときでした。そのとき彼女は左胸椎カーブが35度。2歳になるとすぐにブレース装着を開始しました。
それからほぼ24時間の装具療法を続けること2年で、胸椎カーブは35度から12度に減少しました。それ以降、カーブの状態は安定し、それが思春期の脊椎が成長する時期まで継続しました。これに伴い、彼女の装具装着時間は20時間から12時間へと少しづつ減らすこができました。

ブリエラはとても活動的な少女で、競技バスケットでプレイしています。
つい先日の診察を受けるときには、彼女は3日間ブレースを外して診察を受けました。カーブは9度で安定していました。現在、彼女はブレースを装着していません。ご家族の愛とサポートに支えられながら、彼女は装具療法に対してとても忠実な患者さんでした。
ブリエラのケースは、装具療法の効果を伝えるうえでも、とても貴重なものです。
彼女の例も含めて、装具療法の臨床試験結果をいま、私たちは入手することができます。

ブリエラのお母さんの言葉
ブリエラは1歳6か月のときに、幼児期特発性側弯症と診断を受けました。私たち家族は、バケーションに来ていました。そのとき、彼女の入浴用の着衣のストラップが片方だけどうしても肩に引っかからず、娘の肩が平行でないことに気づきました。
娘はMRI検査、レントゲン検査などを受け、脊椎が35度のカーブをしていることがわかりました。私たちは、側弯症専門医師を紹介され、そして側弯症専門の治療を受けることとなりました。娘は、医師が積極的に装具療法を行うもっとも若い患者でした。アグレッシブな装具療法を必要とした娘は、一日20時間という長時間の装具着用を開始しました。
多くの医師のもとを訪れ、適正なパッドの位置の決定を行ったり、また成長につれて何度もブレースを交換しました。
娘がまだ小さかった頃は、装具にシールを貼ったりして飾り付けたりもしました。装具の調整で病院を訪れるたびに、車に乗ると泣いていました。その姿を見るのはとても辛いことでした。医師は娘に「痛かったら外してもいいよ」と語っていたものです。でも、娘はいつも強い兵士のようで、家に帰り着くころにはもう笑いを取り戻していました。

ブリエラは決して装具を着けていることで、イジメられるようなことはありませんでした。
幼稚園で、たった一度だけ、小さな女の子が娘のお腹に触れて装具のことを話題にしたことがありましたが、その子の母親はとても理解力のある方で、すぐにそのようなことをしてはいけないと止めさせてくれたことを思い出します。装具をカバーするような洋服を探して、着せるのはとてもたいへんでしたが、やがて、娘と私は協力して、どうすればいいかを学ぶことができました。彼女が大きくなり、肩紐をかけるタンクトップを着るような年齢になったとき、この状況がさらに難しくなったことを覚えています。

側弯症で装具を付けてはいましたが、それが娘の活動を、娘が楽しむことを妨げることは決してありませんでした。娘は、サッカーとバスケットボールが好きで、熱中していました。
また特にスイミングが大好きでした。それは装具を外している時間にカウントされない、ということこともありましたし、もちろん装具を外していたわけですが。
ブリエラは成績優秀で、式典があるときはクラスを代表して挨拶をする役目を言いつけられていました。側弯症が彼女の生活を限界づけることはありませんでした。たぶん、それは彼女がとてもとても若い時期だったからなのかもしれません、その年齢のときにはごく普通のことでした。彼女はまた、「固定された状態」というもの、これは決して悲劇なんかではない、ということを認識していました。多くの時間を私たちは病院で過ごしていました。
そこでは10代の子が、装具が必要と診断され、そして泣き崩れているのを見ました。
それを見るたびに私たちは怒りを覚えました。私たちにとっては、装具療法はすでに何年も続いてきているものであり、またこれからも続いていくものでした。短期間で終えるものではなかったからです。

ブリエラは、思春期を迎え、身長は170cmを超えました。私には、この長い旅を過ごしてきた娘が誇りであり、この気持ちを現す言葉が見つかりません。そして、医師からの「もう終わりですよ」という言葉を期待して待っているところです。

ブリエラからの言葉
初めて側弯症と診断されたり、受診したときのことは覚えていません。ただ、そのとき、私が泣き叫んでいた、ということを聞いています。私がまだ幼かったとき、装具を付けて教室に座るのが苦痛だったこと、体育をした後のとても暑かったこと、そして全然涼しくはなってくれなかったことは覚えています。両親が、私の背中が治ること、そしてこの状況が決して永遠に続くのではないと話をしてくれたことが嬉しかったことを覚えています。

いま、15歳となり、装具は就寝中だけになりました。装具療法を開始して以来、嬉しくて、とても興奮したニュースは、高校へは装具をつけて行く必要はないこと、そしてもうすぐこの長い道のりも終えると医者から告げられたことです。いまはすでに身長は170cmを超え、成長期も終えつつあります。装具調整で医師のところにいくたびに、もうこれで終わりだよと言われるのではと、内心、ビクビクしながら期待して待っているところです。

乗り越えるのに私がもっとも苦しんだのは、学校のサマーキャンプでの装具をつけての就寝でした。8歳のときから、ずっとサマーキャンプに参加してきました。そのときも必ず装具は持参して装着していました。まず大変だったのは「暑さ」でした。装具を装着して暑さが耐えられないほどになったらどうしようかという不安が付きまとうのでした。これに対処するために、母は夜じゅう通して眠れるようにうちわであおいでくれました。
もうひとつの課題は、初めてのキャンプで、友人に装具のことをどう説明するか、ということでした。カウンセラーは毎晩装具を装着させてくれるだろうか? 友達はたくさんの質問をしてくるだろうな、ということを考えると気持ちが落ち着かないのでした。でも、実際は、彼らは質問するようなことはなく、ただ興味があるだけ、ということに気づいたのです。過去7年間、私は同じ仲間とキャンプにいっています。そして今では彼らは、誰が私に装具を装着させるのを手伝うかで争うのでした。それがおもしろいこと、ということに彼らは気づいたのでした。

最近、側弯症と診断されたあなたに私がアドバイスするのは、側弯症は治すことができる病気であることに感謝しましょう、ということです。この世には「治せない病気」「治らない病気」がたくさんあります。もし側弯症をそれらと比べることが許されるならば、側弯症はあたかも腕に切り傷を負ったようなものです。誰もが自分の人生というものを考え、そしてこれからも人生は続くのだということに感謝することができます。

私の旅はそろそろ終わりを迎えそうです。側弯症のこどものなかには、医者に行くことを怖がっている子もいるということを聞きます。でも、私は医者に行くことは怖くはありません。
レントゲン写真を見て、装具がどういう働きを私にしてくれているかを見るのが好きです。
「終わりだよ」と言ってくれる最後の診察にいくことを本当に待ち望んでいます。




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できれば病気になんてなりたくないですし、病気とは無縁の人生を送りたいものです。
もし全く無縁に生きられたとしたら、本当にその人は幸せだと思います。でもほんとうに数少ない人たちですね。
私も、健康には自信があるほうだったのですが、無縁というわけにはいかず、
さらに、今年は、想像すらしていなかった病気に悩まされることとなり、今もまだ引きずっているのですが
病気になって、(言葉は矛盾するのですが)良かったと思えことがひとつあります。
それは、病気になって初めてその病気を理解することができた。ということ。
知識としてではなく、自分のこころとからだで理解できた、ということです。
この経験が何かの役に立つのかどうかはわかりませんが、
同じ病気のひとがいたら、その人と同じ視線で話ができるかもしれない、という意味で
決して無駄ではないと信じています。

それともうひとつ、これはおもいがけない病気になったことが大きく影響しているのだろうとは
頭では理解しているのですが、「神の意思」というものを意識するように変わってきました。
おそらくこれは、弱っている自分を反対側から支えるための脳の働きの(無意識的な自助作用のような)
そういうものの一種なのだろう、とも理解しているのです。ですが、やはり心底から
ああ私は神に生かされている、と感じる瞬間があります。

病気に負けたからそう思うのではなく、病気に立ち向かうために、そのように「脳」が働きかけているのだと思います。
そして、そういう働きをしてくれるのは、やはり神から見捨てられてはいないのだな、と自己肯定に繋がっているのも
事実としてあります。

 august03


☞august03は、メディカルドクターではありません。治療、治療方針等に関しまして、必ず主治医の先生とご相談してください。
 医学文献の拙訳を提示しておりますが、詳細においてはミスが存在することも否定できません。もしこれらの内容で気になったことを主治医の先生に話された場合、先生からミスを指摘される可能性があることを前提として、先生とお話しされてください。
☞原因が特定できていない病気の場合、その治療法を巡っては「まったく矛盾」するような医学データや「相反する意見」が存在します。また病気は患者さん個々人の経験として、奇跡に近い事柄が起こりえることも事実として存在します。このブログの目指したいことは、奇跡を述べることではなく、一般的傾向がどこにあるか、ということを探しています。
☞原因不明の思春期特発性側弯症、「子どもの病気」に民間療法者が関与することは「危険」、治療はチームで対応する医療機関で実施されるべき。整体は自分で状況判断できる大人をビジネス対象とすることで良いのではありませんか?



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1 コメント

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コルセット型取りしました (aiai)
2017-09-23 09:18:38
こんにちは。
昨年4月に息子の特発性側弯症で質問させていただいたaiaiです。
11ヶ月で発見してから今まで半年ごとの経過観察をして参りましたが、昨日先生のご判断で装具治療に進むことになりました。型取りをしたところです。
角度が40度を超えています。このままいくと手術、何とか時間をかせいで抑え込みたいのと矯正がきけばいいという期待と、、。
今は2歳半、未知の世界で不安もたくさんあります。装具のお話、グローイングロッドの手術の話も聞きました。

何よりもまずは装具を受け入れてくれるか、少しずつ慣らしていくにはどうしたらいいでしょうか?最初は装具になれるよう短い時間から、徐々にのばしていって保育園でも、、という流れでいいでしょうか?保育園にはお話してあります。

夫婦共々、心で泣いて強い気持ちで明るく子供と共に頑張りたいと思っています。
今できる最善のこと、コルセットを味方につけて何とか改善してあげたいです。
長い闘いになりそうです、、
胸が痛いです。
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