☆ KUNIパパ冒険の書 2章 ☆

君の瞳に・・・・ ペペロンチーノ。

戦死しなかったのに死んだオジイチャン

2019年07月13日 | 日記

NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」170825 2017年8月25日

インパール作戦

ビルマの竪琴の原本かな?

亡くなられた山口県の ウチのオジいちゃんも 参戦してた。 しかしヒドイ戦いだ。

うちオジイチャンは靴下をほどいて 魚釣りをしてビルマの現地人に教えてた と母親が言っていた。

オジイチャンに最後に会ったのが 僕が8歳の頃かな。

明るくて兄弟の多い 山口県の広い屋敷に親戚が集まると ドンチャン騒ぎ

その中でソファーの上でニコニコ して

一言も話をしないオジいチャンが とても印象的だった。

しゃべった所を一度も見たことがない。

僕も照れくさいながら一言もしゃべらず

亡くなられてしまった。

戦時中という過酷な経験を もしかしたら 大牟田廉也司令官から 口止めをされているのかと おもってしまう。

生きていれば・・・ たくさん聞きたいことがあったのにな。

イギリス軍の攻撃をうけながら 河幅600mのチンドウィン河 をわたり2000mクラスの山を越え 食料が尽きたままビルマのコヒマ やインパールまで行き500キロ

勝ち目がなくなり 大牟田司令官からの撤退指令後  記録的な豪雨の中 帰路500キロで  赤痢や衰弱 イギリス軍の攻撃で 多くの死者が出る中、まだ温かい 同士の肉を食べたり、 立っていればいいが倒れれば 倒れ待ちのハゲタカに襲われたり

あの戦時最悪の戦で生きて帰れた おじいちゃんと 血がつながっているだけで とても ありがたい。

ウチのオカンが8歳の頃 映画に連れて行ってくれて それがインパール作戦を題材にした ビルマの竪琴だった。

観終わってオカンはとくに何も僕に話をしなかった。

多くを語らない性格はオジイチャンと似ているのかな

40歳 超えて さらにおじいちゃんを尊敬 もっとこの戦について調べようと思う。

あの時のソファーの上の笑顔は、

もう天国だったんですね。