相手のことを思う。 よかれと思ってアドバイスする。
しかし、
人は自分の見解に執着する
「言うことを聞かない(怒)」「せっかく言ってあげたのに、、、もう知らない。勝手にすればいい(怒)」
これはエゴ。アドバイスを頭からはねつけるのもエゴだけど、「聞けよ!(怒)」というのもエゴ。せっかくのやさしさが、エゴに変わっている。(惜しいな~)
エゴ(変わらぬ自分の見解)は成り立たない、無常で無我だから。
「これは正しい、真理である」ならば、放っておけばいい。真理なら異論は成り立たないのだから。
自分の見解はデータのひとつとして示すだけでいい(正しく理解してもらえる工夫をする)。後は、それを受け取る人の判断にまかせるしかない。採用するかどうかはその人の自由。その人の人生なんだから。
慈しみの心があれば手を放すことができる
自分の見解は本当に客観的に観た真理かどうかを常に調べ、確かめ、柔軟に変更し、しがみつかないことだね。・・・だって、人間(の考えること)だもの。完璧なはずがない。
いつでも、慈しみの心でいたいと思います。
家庭の中でず~と子どもを育ててきたその癖がなかなか取れないのでしょう。(子どもであっても押しつけるのはよくないですが)
大人なら聞いてあげるだけで充分だったりしますね^^
いつでも慈悲のやさしさで人と接したいですね。
なぜならそれは自分の考えであって、正解稼働蛙は分からない。
私は何か相談をされたときは、相手の言うことを徹底的に聞いてあげる。
それだけで相手は、自分の頭の中を整理できる^^
したっけ。